サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

世界遺産と観光

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角行の参考資料

富士講の開祖角行

<岩佐忠雄氏著「北富士すそのものがたり」第一巻より>

富士講の開祖長谷川角行

富士講の開祖長谷川角行とは、一体どの様な人であったか、戦国時代の初
頭、世の中大いに乱れて、道義全く地におち、群雄各地に蜂起した頃、左近大
夫藤原久元の子として生れ幼名武松と云う。

永禄元年、十八才の時、此人を導かんとの大願を発し、諸国修業の後、元亀三
年、吉田口より登山、その崇厳なる姿に打たれて、後に前記人穴で苦行の末
(天正元年・1573、富士山麓の人穴で、四寸五分角の上に立ち、丈余の杖と、
一本の藤蔓にすがって、爪立ち苦行一千日の末、富士講という教倫を編み出
す)、正保三年六月二日死去した。時に百五才、 

角行の創唱した教義を一口にして言うならば、「人間日常の機徴」にふれたも
ので、其頃迄、神遣、仏教、儒教、修験道、の混然とした山岳宗教と浅間神杜
に対する信仰から、加持祈薦、卜占(うらない)施術、まじたいなど、いわゆる「お
たき上げ」と云う行法を盛んに行なって、商売繁昌、難病平癒、家内安全、夫婦
和合、という日常生活に即した、極めて判り易い教義を流布したので、信仰の
対照となった当時の下層庶民百姓の間に著しく普及したことは現代の新興宗
教の勃興とよく似ている様だ。

併し、この根本となった「御身抜き」と称する秘文や、基言密教や、呪術、場占
から来た、難解きわまるいろいろの教典、即ち大行の巻、真言秘書真伝、不二
行の巻、法門の巻、其他は一般の人には公開しなかったといわれる。

心ある入信決定(けつじょう)の者のみが開き見ることが出来る。凡人がこれを
開き見るときは、たちどころに眼がつぶれる。と云って、固く秘巻を閉じて見せな
かった。であるから、余程自信のある者の外は、終生これを見ることはなかった
という。たとえこれを見る人があったとしても、当て字や、作り字が余りにも多く
極めて難解、読む人に依って十人十色の解釈をしたと云う。

(略)開祖角行以来百数十年の間、民間信仰を、三国一の霊峯富士山と、霊験
あらたかな浅間神杜とに結びつけたので、富士へふじへと物すごい登山者が
押しよせて、吉田の町は繁昌した。

中輿の祖食行身禄

<岩佐忠雄氏著「北富士すそのものがたり」第一巻より>

富士講中興の祖と云われ、角行書行藤仏よりも知られ、親しまれている角行六
世食行身禄(じきぎょうみろく)は、角行以来の教典に、更に新らしい教倫を打出
し、角行より一段と人心を把握した。

身禄は、伊勢の国一志郡清水村の生れ、伊藤伊兵衛と云う油商人である。

十七才の時、月行の弟子となり、信仰の念非常に厚く人にこえていた。

或時吉田に来り、油商いの傍ら、富士講に関する新説を説いて、夜の更くるを
知らなかった。高声を発して教典を唱える姿は、狂人のごとく、何軒かの御師の
坊を転々としたが、皆断られ、落ち着く先が無かったところ、これを喜んで迎え
たのが、大田辺こと田辺十郎左衛門だという。

(十郎左衛門は後に北行、月鏡と称し、玉の坊の屋号を授けられ、身禄派第一
の宿坊となった。)それ以来理解が深まるとともに、益々、入信者が増加した
が、角行の唱えた、呪術・加持蔦・ト占、淫猥と思われる御詠歌等の教義は、つ
とめてこれを避け、専ら神祇に徹することを心掛けた。

当今迄富士講信者の守り札として授与した「おふせぎ」(御符)すら閉め出す程
だった。

享保十八年、富士山七合五勺の、烏帽子岩の岩窟に籠って、一ケ月間の断食
修業を行ない、遂に死去入定するまで、有名なる三十一の巻(不説の巻)口述
して、これを十郎左衛門が筆記したことは、吉田の人なら大半は知っていること
ふおもう。

其後、身禄の後をついだ、伊藤一行七世、八世の伊藤参行と続いたのである
が、明治初期の頃には、再び角行の思想が流布される傾向があったと伝えら
れる。

この頃大宮の浅間神杜の宮司であった宍野半(ししのなかば)が富士浅間神杜
の宮司を兼務して、新らたに「扶桑教」という一派をたてゝ今目に及んでいること
は前に記した。

しかし富士講の根本義にはたいした変りはない。とも角も、富士講一世角行以
来、約三百年、江戸末期まで、信仰界の太陽として、庶民の思想をリードし江
戸から関東一円、遠く関西、東北迄も普及したことが、御師の発達につながっ
ていた事は事実である。

食行身禄「不説の巻」の一節に、

----浅間様のお産まれなされ侯ところは「けんこん」と申し侯、この処は富士北
口上吉田より一合ほど登り候へば、お胎内と云うところなり----

とあり、「隔掻録」の中には

----中の茶屋より西へ入ること十一町に洞穴あり、「胎内穴」と云う。間口七八
問、入ること四五丈ばかりにて、傍らに折れて入る。これより下り平たる岩上に
立つ、これを「子返へり」と云う。頭上甚だ迫りはって僅かに進む。ここに乳房の
ごとき岩あり、水滴りて乳の出るごとし。これより十丈ばかり行けば、稍々広く歩
し易し、正面に大日如来の銅像あり、紀を束ねたるがごとし盥石(たらい石)とい
う石あり、形たらいに似たり、中に「えた」のごとき石あり、仰ぎ見れば、石のし
わことごとく胸、肋骨に似たり。浅問大神の出現の古跡たりと云う----

と、ある。富士登山をする道者の大半は、この胎内めぐりと、忍野八海及明見
の蓬池に参拝することになっている。

http://blogs.yahoo.co.jp/asamaookami/1745285.html

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