サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

山本勘助資料室

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○信玄帷幕の謀将は誰か(P255)
   山本勘助、真田幸隆

 武田家に於ける帷幕の謀将は誰々であったと云ふと、先ず第一に誰でも、軍師として山本勘助晴幸を考へるのであろう。そして又これに続いては真田弾正幸隆を挙げるであろうと思われる。
 武田信玄と云えば川中島合戦を聯想し、川中島合戦と云えば山本勘助を聯想する。
 事程左様に山本勘助晴幸入道道鬼斎の名前は有名であり、…真田三代記等と云ふ様な俗書によって真田弾正幸隆の名も人々に親しまれている。
 乍然事実は人々が考えている、山本勘助や真田幸隆は武田家に取って然程重要な役割を演じた者ではなかったらしい。
 (略)
 山本勘助晴幸は天文十二年(1543)より永禄四年(1561)の川中島合戦迄の此の間大功を立てたのは天文十五年(1546)の戸石合戦の時であった。
 若い頃諸国を遍歴したと云ふだけで諸国の事情に通じ、天文、兵法、槍術等に亘り、当時天下に幾人と数えられる程の人傑であった事は間違ひなかったであろうと思われるが、前期武田家譜代の諸将に比しては、身分が低く始め知行二百貫を賜り、後八百貫迄に立身した事は甲陽軍艦にも見えるが、百騎二百騎を預かる所謂侍大将ではなく、足軽大将であったのである。
 (略)
 真田三代記や俗書に見る川中島合戦などでは、一世の謀将として扱われ、殊に川中島合戦の時は、所謂山本勘助の啄木の戦法に反対しが、用ひられなかった。若し信玄が真田の戦法を採用して居れば、甲軍の大勝利に帰したのである。とか何とか色々云はれている が、事実はそんなものではなかったらしい。
 (略)
 山本勘助にしても戸石合戦に於ける甲軍の敗勢を救って勝利に導いた事は抜群であったが、川中島合戦に於ては、越後の名将、上杉謙信の為に見事裏をかゝれて作戦失敗の責を負ひ遂に討ち死にしてしまった程で、勘助一代の不覚と自らも称しているが、兎に角失敗であったのである。川中島合戦の失敗は相手が名将謙信であったえ恕す可き天もあるが、勘助晴幸には更に此の外に失敗がある。
 (略)
 「諏訪頼茂息女年十四歳になり給ふ。晨朝かくれなき美女にてまします。これを晴信公妾にとある義なり」
 について老臣が反対したが、山本勘助が老臣を説得し納得させた。(内容、既に記述)
 (略)
 これは非常に功利的な考え方であって、また人道にも反した事であり、山本勘助ともあろう程の考へる可き、事ではなく又信玄すべき事でなかった。これは川中島合戦に於ける
作戦の失敗以上の大失敗であると言へると思ふ。
 川中島合戦では謙信のために裏をかゝれとは云へ、これは部門の恥ではなく堂々たる作戦の失敗であって、何等恥べき事でなはい。云々
 (略)
 馬場美濃守が築城の術を山本勘助に習った事は、甲陽軍艦「軍法の巻」に左の如く見えることによって事実であろう。
 「……略……侍大将のつけ城、是は少別なり、一つにしても不苦、右三河牢人に山本勘助と申武士信玄公、御譜代のごとくにめしつかはるゝ者也。当家の城取はこの勘助流のなり、勘助に馬場美濃守能く相伝す」……略……
 とあって、駿河の江尻城、田中城、信州眞木島城の縄張りと伝へられている。
 川中島合戦はで有名な海津の城は、山本勘助の縄張りであるとも言われ、又一説に馬場信房の縄張りでもあると言われているが、これは山本勘助生存中の事であり、山本勘助の縄張りであると言ふ説の方が正しいと思われる。
 信州小諸城の城門も勘助晴幸の築いたものあるとされている。要するに当時山本勘助について馬場民部信房が、小諸、海津等の普請には実際指導を受けてものであろうと考えられる。
 尚、山本勘助に就いて言へば、今尚残る名刹甲斐の善光寺、(甲府市里垣町)も其の普請に当たって山本勘助が、監督の任にあったと言われている。
 (略)
 幸田露伴博士は「武田信玄」の中で
「永禄四年九月十日、川中島の大戦に其不自由な身の六十九歳の老体を馳驅奔突させた挙句、大小八十六カ所の創を負ふて、悪戦苦闘し、川中島八幡原の草の中に魂魄をたゝきつけて戦死したころは實に痛快壮快の好男子である」
 と云っていられる。
 (略)

 p272 『信玄全集末書』に

 「…略…陣城、境目之士大将居城、之外エ取出城、敵城エ付城、此等皆、山本勘助晴幸、武田家ニ善推廣委細傳 馬場美濃守信房。信房幕下之士早川彌左衛門幸豊傳之、又随心幸豊、而小幡勘兵衛景憲停伝授之矣」
 とある。取出と云うのは砦であろう。又同書に

「小田原陣、家康公卿陣城、山本帯刀卸陣屋の役なり、内藤四郎右衛門、高木主水、両武者奉行相談にて、早川爾左衛門に隠密にて申付、曲尺の馬出、つぼの升形にとらする。」
 とある。
早川彌左衛門は、武田家滅亡後徳川の家士となっていたものである。
山本帯刀と言うのは、山本勘助晴幸の弟(異母弟?)であるが、武田家とは何等交渉はなかった侍である。始め上杉謙信に仕へて豪勇の誉れあり、越後の「阿修羅」とか「首捨帯刀」などと異名をとった程の人物で各戦陣に於て高名をしても敵の首を皆拾てゝ顧みなかった侍でである。謙信に寵愛されていたが義将謙信は、甲軍に兄勘助があるを以って、骨肉相闘ふを避けしむる為、三河の松下元康(後の徳川家康)に書を迭り「秘蔵の家来であるから大切にして貰ひ度い」 と、これを徳川家忙託したと言はれている。
 幸田露伴博士は、「武田信玄」に於て、
「勘助の弟、山本帯刀成行といふものも兵学を得て居たのであらう。永禄十一年三月遠州濱松の城を徳川家康の為に修築したと言はれている」
 と、説かれている。この帯刀成行も兄に劣らぬ人傑であったものと思はれる。

 山本勘助大義を知らず

山本勘助晴幸は、兎に角武田の家中で原美濃守、小幡山城守、横田備中守、多田淡路守と並んで小身衆の中では五指を屈する中に数へられた程の名臣ではあるが、学問は無かったものゝ如くである。
 甲陽軍艦に、天文十六年二月二日に、信玄が山本勘助を呼んで、軍法備立等に就いて聞いた事が見えているが、その時「軍法、備の立様を申せ」とあれば、「勘助『終に左様のこと仕たる事無之』とて仲々申上げ得ず』と記されてある。又同書に、同じく二月十五日に、
 晴信公八幡原へ社参有し時、廻廊にて山本勘助を召し、
「其方は物の本四五冊も読みたるか」
 と、問ひ給ふ。勘助
「一冊も読み申さず候」
 と八幡を誓文に立て申上る。と、ある。若い頃、軍学、兵法、槍術の指南をしていた勘助晴幸であるが、侍大将でなかったので、
「軍法、備の立て様を申せと言はれても、終に左様のこと仕たる事無之」
 とて「仲々申上げ得ず」で、何しろ相手は十六歳の初陣以来、名将として知られた甲斐の国主信玄である。その信玄を前にしてでは、所謂、耳学問であった山本勘助、如何に智略縦横の兵法者であったとしても、「仲々に申上げ」られなかった事は当然であった事と思はれる。学問が無かったとしても、智将であり、兵法者であった事は間違ひない。否むしろ眼に一文字なくしてこれ程の兵法者であったとすれば驚嘆に値するものである。

 石水寺物語りに左の如く僻べている。

「…略…山本勘助、聞き及ひたる程、分別才覚ありて、工夫の智略よろしく、思案の宏才者なり。一文字を引かずとも、学問なくとも、物識りと言ふは此の勘助ならん、此れは只智者と申す者也、とて信虎公、信玄公二代へかけて四人の足軽大将とこの山本勘助々そへて五人衆に其の年からなされ給ふなり」
 とある。四人の足軽大将と云ふのは、原、小幡、横田、多田の四将の事である。又同書に、小幡上総守が婿の武田典厩信友公(信豊か?)に教へて、世の中に、兵法つかひ、兵法者、兵法仁の三者があり、小幡の同心、前原筑前などを兵法者と呼び、塚原ト傳などは兵法の名人と言ひ、山本勘助や浪合(波今)備前守などは、兵法仁と云ふものであると言ったと事が記されている。此處で云ふ兵法とは武芸の事であろう。

 然しながら一世の奇才山本勘助も惜むらくは無学であった事てある。伊南芳通の評言ではないが「而れども勘助、いまた王道の説た学ばす、冶道の書を得ずして説く事尚小なり」で、諏訪頼茂の、其息女事の如き失敗があったのである。更に又、甲陽軍鑑末書にも左の如き記事が見えている。

 ○信玄公本勘助に御尋ね三ケ條の事

 永禄三年庚申正月十三日に信玄公山本勘助に尋ね給ふは、
「我と対々の堅き様子の敵の殊に大剛なるをば、あてがひ如何」
 と御尋布勘功中候は
「よく押へを置なされ、あたりの猥なる國々を取治たまひ、此方大身におなり候て、御ためと対々剛敵も終には全亡しなされべぐ候なり」
 信玄公被仰は、
「近刻皆類親、或は縁者の儀は如何と被仰」
 勘助申は、
「猥なる国は其大将天道よりにくみれ得候へば、それを亡したもふは信玄公の御業にあらず、天道への御奉公と思召なさるべきと申しあげる。
 と、今一歩と言ふ事である。後に信玄が今川家を減ぼした事などを考へると、勘助の此の進言を聞く時は、それは逆に人道を無視したそれこそ天道にも逆く結果となる。
 智略他に冠絶したりと雖も、山本勘助晴幸未だ大義の自覚なく、名将信玄の下、山県大貳先生か、或は又後年維新に際會したる当時の如く、烈公斎昭に於ける藤田東湖先生の如き、斎彬島津公に於ける南洲西郷先生の如き謀将の無かった事は、内に烈々たる勤皇の芽生を感知出来る信玄の為、返すがえすも残念千萬の事であつた。


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