サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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歴史は誰が創るのか

 最近若い女の子の間で戦国武将のグッズを集めるのがブームとなっているようであるが、その歴史は作られた部分が多い。それは日本を代表する人物でも同じである。
 昨年のテレビ放映で山梨県は勘助ブームが起きたが、今年は誰も口にしない。開発された「勘助商品」もすっかり姿を消して、関係諸本など半値でばら撒かれている。
 勘助の歴史的史跡などそのほとんどが後世の我田引水型の創作歴史から生まれたもので、特に勘助の墓や供養等それに生家と称する地域などもそのほとんどが危ういものである。また歴史家や歴史作家などの御仁なども歴史資料の隙間に持論を挟むから、史実と創作が行き交って混乱する。有名の歴史家など、山梨県北杜市に新たな勘助の史跡を作り上げ、報道も寄って集って有る事無い事を書きたて、さらにテレビが踊り、そのために新たな歴史施設(張りぼて)を借金財政の中で提供する市まで出てきた。ツアー観光のメッカとなって、静かな山地も荒れた。
 歴史上の人物を調べるときに必要なものは、その人物が没してから現在まで、時代の中でどう書かれどう息づいてきたかを調べることが大切である。
 またその時代背景でも取り扱いが違う。甲斐の名将武田信玄でさえ親を追放した極悪人として戦時中などは書くことがご法度であった。信玄の筆頭家臣馬場美濃などは主君武田勝頼を逃すために命を捧げた人物として、戦争の度に持て囃された。こうした人物は馬場姓を名乗る人は不明な箇所を線でつないで家系書ができ、供養塔と称するものまでつくり先祖と祭り上げる。骨や髪を埋めたなどの話も歴史にはならない話である。
 とにか不明な部分に付け込んで、さまざまな歴史創作をするから日本列島に勘助が充満する。山梨県の勘助歴史など何一つ実証されていない中で伝説や伝承それに創作附会歴史が絡み合っている。驚くことに最近の報道でもっとも活用されている勘助画像など明治以降の創作創造画像であり、多用すること一年で認証され人々の意識の中に実像として認識されている。
 こうしたことの繰り返しがさまざまな弊害を生む。テレビもドラマか史伝か明確にしないと地域では、史実より観光商売であり、そのドラマが最有力の宣伝として活用される。そしてブームが去るとその歴史まで抹消される憂き目にあう。
 観光も行き過ぎると、勘助屋敷や勘助墓それに勘助親戚まで創り上げてm抜き差しならない状況を産み、それが歴史崩壊につながることを考える機会さえ奪ってしまう。
 私のすむ北杜市の観光や文化財資源などはパンフレットの陰で天然人工崩壊を繰り返していてその認識の甘さはなんとも形容しがたい状況にある。
 テレビや映画に利用され踊らされる様は情けない。その間に管轄するかたがたの専門的認識も薄く次から次に天然記念物も消えている。日本一の名松「舞鶴の松」「駒の松」少し古いが「八幹の松」などなど、安易な指定と業者任せの保全がさらにこうした樹木の命を縮めてきた。それに国指定の「谷戸城」「金生遺跡」などすっかり変貌してしまい、見る影もない。そこにあった神社や墓までなくなり。復元技術も工法も稚拙で、ありもしない縄文時代の建物など、何が国指定なのか理解できない。傍らの資料館の立派な建物が異様である。
 山梨県では多くの補助事業や施設建設で数多くの遺跡や遺構が破壊されてきた。その中には中世の大きな意義を持つ遺跡や、数時代の遺物が積層した地域や場所などが破壊され続けた。
 事業を先行するために遺跡の「試掘堀」も無い場所を掘り、ある場所は触れないで着工。現在の北杜高校グランドの調査など、三塚古墳も想定される場所などで、担当行政に再三調査を申し入れた。川を隔て丘陵では田畑団地化事業、表面土をブルドーザーが剥ぐ、そこには文字が書かれた中世の器が無数産卵している。湿地帯からは人骨と思われるものもある。鮮やかな模様の縄文土器の破片。堆積した川砂の積層群に挟まった弥生式土器に唖然としたこともあった。
 庶民性や市民性を持たない考古学などは、時に寄れば自然破壊の最先端にもなる。大切な樹木も彼らにかかれば無用な長物であり、邪魔な存在でしかない。

 歴史は創作してはならない。観光に毒されたりしていけない。また安易な文化財保護まど多くを見直す時期に来ている。歴史書や県市町村誌などは厚いことや表装それに執筆人の豊富さではなく、いかに的確に人々に史実を伝えるかであって、著者の思い込みや持論の展開の場所であってはならない。
 よく武田信玄を山梨では「信玄さま」と呼ぶと紹介されるが、首切り執行人の戦国武将など子供たちにどう伝えるのか。「信玄さま」はそれを崇めて食の種にする神社や仏閣それを取り巻く有益業者の呼び名である。
 歴史の謎を解く関係の書物を読み終わった後にはさらに謎が深まるだけで、何の解明もされない歴史書もある。中にはさらに混迷を与えるものもある。

 山本勘助も死後、江戸の歌舞伎や浮世絵で持て囃され、暇な江戸軍学者と称する人に活用されてきた。江戸時代の随筆には、多くの勘助伝承が記されているが、それは虚実折半するものであるが、現在伝わる勘助伝説は記載されていなし。したがって現在の勘助伝説伝承故事来歴は明治以降に生まれたことは間違いない。(誤字脱字誤文未訂正)

http://blogs.yahoo.co.jp/kitanomorirekisi2007/4775263.html


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