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湿地を渡る工夫に丸太が用いられていた。 参考資料<「歴史読本」よみがえる縄文時代> 古梅谷遺跡 <関連サイト> ●http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8F%A4%E6%A2%85%E8%B0%B7%E9%81%BA%E8%B7%A1&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8 、横浜北部の丘陵地帯の谷間から発見された縄文時代の木道。 古梅谷遺跡は横浜市港北区牛久保町にあり、北に南堀・西ノ谷貝塚、南に大塚・歳勝土遺跡をの昔る丘陵にはさまれた牛久保谷の下流部に位置する。 四本の木遺発見された木道は南北方向に二列放らび、他に白然木を配置したもの添二列ある。いずれも旧地表下二・七メートル、標高九メートル付近の泥炭層中に位置し、他に流木などはみとめられない。保存良好な一号は長さ二八メートルを確認したか、全長は七〇〜八Oメートルと推定される。すらりと伸びたコナラ類をえらんで伐採し、樹皮はむかずに幹を横木、枝を枕木や杭に利用している。 最長の横木は径二〇センチ、長さ九メートルもあり、その端部が少し重たるようにならべてある藺この接合部の下には枕木をわたして沈下をふせぎ、さらに立杭を打って横ずれをふせいでいる。枕木の代わりに杭を×状に打そって兼周としたものや、副え木を置いて横木の綱さをカバーした部分もある。丸太類は縄でしぱられていないが、全体として渡りやすく崩れないように工夫され、巧みな土工技術といえよう竈酉側の三号は横木の一部と杭淋残っていたが、一度作り替えられている竈この杭はヤマグワやコナラが用いられ、一号よりも太いものが多い鉋一号と三号は中央部で一〇メートルはなれているが、両者の開きは二〇度あり、池の南端付近と想定される木道の南側取付部はほぼ同じ地点と考えられる。これは構造上の類似とともに、二つの木道がかなり近い時期に同じムラの人によってつくられた可能性をしめす有力たあかしであろう百なお二号は一号の補助的な施設とみられるが、四号の性格は今ひとつはっきりしない。 古代の木遺 さて、貝本で最初に縄文時代の木道淡知られたのは大宮市の巴申晒う寿能泥炭層遺跡で、古梅谷は二例目にあたる。寿能泥炭層遺跡は大宮台地を開析した芝川低地の酉痒に位置し、 二列の木道が50メートルほなれて発見された。確認されのは10メートル前後であるが、横木に複数の短い丸木が使われているため、古梅谷例よりも幅広いのが特徴である。しかし、枕木やX状の立杭など、構造はほとんど同じである。そのほかに長さ80メートルもの杭列添二列みとめられ、いずれも縄文時代中期後半〜後期前半の蒔期である。この木遣は台地際から低地内のテラスに渡る小道と考えられている。 新保本町チカモリ遺跡の発見 <関連サイト> ●http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%A2%E3%83%AA%E9%81%BA%E8%B7%A1&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8 これから述べようとする巨大木柱の樹立遺構は、北陸地方を中心■に発見された特異力縄文時代の建造物遺構である。 チカモリ遺跡出土の半載木柱の大きさ(使用木材は栗・クリ) 10〜20cm----51本 20〜30cm----81本 30〜40cm----49本 40〜50cm----30本 50〜60cm----23本 60〜70cm---- 7本 70〜80cm---- 6本 80〜85cm---- 4本 計--------251本 加工方法 1)樹皮をはいで少し加工しただけの円柱。 2)半載して断面を半円形に加工したもの。 3)芯の部分を削除して、湾曲した板状のもの。 4)柱の底面と断面には相当精密な加工がされている。 5)柱材を運搬し、建立作業のために用いた溝や小穴がある。 6)木材加工は伐採現場で行われていた。 7)柱の下部に別の底板が認められる。 8)柱穴の大きさは1,8〜2mを超えるものもある。 9)柱は正円形に配列されていて入り口部分がある。 能都町真脇遺跡の発見(能登半島の先端に近い東海岸 引用資料----歴史読本「図版参考」 <関連サイト> ●http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%9C%9F%E8%84%87%E9%81%BA%E8%B7%A1&sp=1&search_x=1&tid=top_ga1&ei=UTF-8&fr=top_ga1&SpellState=n-2666457174_q-uEcjZ13ArS4c2Yw9SCjE6gAAAA%40%40 遺跡の概要(縄文時代前期中〜晩期) 1)巨大木柱列は3列の輪に並ぶ。 2)最大の木は直径96cmで、下部に運搬や建立にためか溝がある。 3)数度にわたり建て替えられている。 4)トーテム・ポール状の彫刻柱(現存高約2,5m、最大径約四45cmが出土) 5)巨大木柱列は、三つのサークル(環) 6)最も大きいのは、直径約7,5m直径80cm以上の巨柱 7)その他の木柱環状建遺構 新潟県西頸城郡青海町寺地遺跡(4本の丸柱と1本の半載の木柱根) 8)諏訪大杜では寅・申の年に、遠くの山から巨木をきって、ひきずりなから持ってきた後、杜殿の四隅に立てる御柱祭がある。 9)真脇の巨大木柱にある縦と横の溝状の切り込みや穴は、おそらく運搬のためのものであろう。 丸木舟の出土<参考資料----『歴史読本』「よみがえる縄文時代」 昭和61年11月号。丸木舟 森川昌和氏著> 鳥浜貝塚 <関連サイト> ●http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%B3%A5%E6%B5%9C%E9%81%BA%E8%B7%A1&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8 1)今から約5500年前の縄文時代前期の舟 2)舟尾部分の加工といい、保存状態といい、ケタ外れの優品であった。 3)舟尾は木の年輸が鮮やかで、きわめて良好に残っており、舟尾には2本の角のような突起を削り出し、さらに、この付近にトモ綱を結んだのか少しくぽみが見られる。」 4)材は杉(スギ) 5)長さ6、08m、最大幅63cm、厚みは3、5cm舟の深さは、27〜30cm 6)用材と加工 イ)直径1m以上のスギの原木を切り出し、.原木の樹の皮を剥ぐ。 ロ)杉(スギ)の脂(ヤニ)の多い部分、通称赤身の部分(中心部)まで、内側および外側から削り出して耐久カを増す加工 鳥浜貝塚の第2号丸木舟 1)出土層序が縄文時代前期 2)この舟は放射性炭素による年代測定などからして、縄文時代・後期に属する。 3)材質はスギで、舟底のみが残り、現存の長さ3、48m、最大幅48cm、厚み4cm。 4)加工 イ)スギの巨木をクサビで半分に割り、石斧で削り火で焦がしながら柔らかくし、また削っていった。石斧はマサカリ型とチョウナ型。 ロ)第1号丸木舟の内側には、点々と焦げ跡が観察される。焦がすことによって、スギの繊維がより綴密になり、舟の強度も増す。 ハ)最後は、舟全体を石で磨きあげ、ツルツルの舟が完成する。 5)丸木舟以外の木製品 石斧柄、丸木弓、小型弓、櫂、盆、鉢、杭、棒や板 伝福寺裏遺跡(縄文時代前期) 神奈川県伝福寺裏遺跡でも縄文時代前期の舟が発見された。材はイヌガヤと報告されている。 <関連サイト> ●http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BC%9D%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E8%A3%8F%E9%81%BA%E8%B7%A1%EF%BC%88%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%89%8D%E6%9C%9F%EF%BC%89&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8 長崎県伊木力遺跡 昭和五十九年、九州に珍しく縄文時代前期の丸木舟か出土した。 現存する長さは6,5m、幅76cm、厚さほ2,5cm。魚をすくう「タモ」の枠。 <関連サイト> ●http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%9C%8C%E4%BC%8A%E6%9C%A8%E5%8A%9B%E9%81%BA%E8%B7%A1&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8
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