サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

山口素堂の知識

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http://homepage3.nifty.com/hakushu/perm-ex.htm

山口素堂の全貌  序

 山口素堂、目には青葉山ほとゝぎす初鰹の一句をもって世に知られている。否この句さえも松尾芭蕉の句と勘違いされている節がある。
 素堂は長い間『甲斐国志』という一級地誌の呪縛を受け、多くの誤りをもって伝えられた人物である。悲しいかな『甲斐国志』によって史実とは異なる生涯を持たされてしまった人物でもある。
 これまでも素堂の研究をしてくださった先生方は多い。しかし常に「芭蕉ありき」や「甲斐国志ありき」からの出発で、参考文献も素堂没後の偏った感のある後世資料が中心であった。
<関連サイトhttp://www.lib.pref.yamanashi.jp/kosyu/manabu/tku/toku_1.html

 『甲斐国志』の記述の内「素道」の項のみ 講談調で異様である。また元禄九年のかの有名な「濁川改浚工事」への関与が主に記述されていて、時の代官桜井孫兵衛政能の事蹟を「素道」の項に挿入する手法も見られる。又、宮本武蔵が甲州の出身であるとの記載(巻の百二)もあり、『甲斐国志』記述を全て是と出来ない一面もある。
 この『山口素堂の全貌』では資料をもとにして資料の無い部分は空白として推論は極力避ける方向でその生涯を綴ることにした。特に出生の寛永二十年(1642)から寛文六年(1666)、二十六才までの記載のある資料は文化十三年(1816)刊の『甲斐国志』と安永八年(1779)刊の『連俳睦百韻』の二書である。何方の書もその出処資料の提示がない。一書のみの資料は参考にはなっても全面的な信憑性は薄く感じられる。所謂誤伝に連なる可能性もある。
 素堂の生きた江戸時代は西山宗因(慶長十年・1605〜天和二年・1682)や北村季吟(寛永元年・1624〜宝永二年・1705)等の後継者として俳諧に新風を、の意気込みで松尾芭蕉や山口素堂が大きく飛躍した時期でもある。宗匠として俳諧の探究に勤しんで多くの評価を得た芭蕉と、多くの俳人を育み新風の先駆けとして活躍し文人素堂ではその生き方は根本的に違う。よく素堂の俳諧姿勢を淡泊であるとか追求心が希薄であるなどの評があるがこれは当たらない。当時の多くの俳人の多くは職業俳人である。素堂は俳諧を専業としてはいない。卓越した知識と教養の高さは専業俳人からも尊敬されていて、当時群を抜いて多い序文跋文の多さが物語っている。門閥不問の交友を深め、芭蕉亡き後の重鎮として俳諧世界を支えた。 素堂に関する研究は荻野清氏や山梨の清水茂夫先生の研究が著名である。特に荻野先生は俳諧研究の大家であり、その著作の影響力は大きく現在に及んでいる。
<西山宗因 yahoo検索>

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E5%AE%97%E5%9B%A0&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8

<北村季吟yahoo検索>
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8C%97%E6%9D%91%E5%AD%A3%E5%90%9F&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8

 また、『甲斐国志』に埋もれていた素堂の事蹟を直視し、新たな素堂像を浮かび上がらせてくれた數多くの研究者とその著作が、私の研究を後押ししてくれた。特に戦前の俳諧研究書には芭蕉の研究が目的であっても素堂を認めた記述が多く見られた。この『山口素堂の全貌』にはそうした記述を多く取り入れた。
 これまでの素堂誤伝、若しくは確定出来ないと思われる著書類には

一、 素堂の出生地
<清水サイト>
 http://homepage3.nifty.com/hakushu/ymns-let-17.htm
1)甲斐国巨摩郡教来石村字山口(『甲斐国志』他)
  2)甲斐国山梨郡府中魚町   (『山梨県の地名』他)
    ○素堂は甲府魚町に生まれ先祖は上教来石山口の出身といわれる。
  3)○江戸----『風俗文選犬注解』他)
  4)○不明----(『連俳睦百韻』寺町百庵の言)
  5)それの年甲斐の山ぶみをおもひける…………亡妻のふるさとなれば………
    ……外舅野田氏をあるじとする。云々(素堂自著『甲山紀行』・元禄八年)
6)国より帰る
われをつれて我影帰る月夜かな 素堂 (元禄二年)
7)山口家は、その祖山口勘助良侫(蒲生氏郷の家臣)以来、甲斐国巨摩郡教来石
  山口に土着した郷士であった。(『国語国文』「山口素堂の研究」荻野清氏著)
  註…この項は『連俳睦百韻』に『甲斐国志』をプラスした記述。
  8)素堂は江戸の人、云々(『俳諧奇人談』、玄々一著)
<yahooサイト>
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BF%B3%E8%AB%A7%E5%A5%87%E4%BA%BA%E8%AB%87&search.x=1&fr=top_ga1&tid=top_ga1&ei=UTF-8
素堂は本系町屋にして世々倣富の家なり。云々(『奥の細道解』、後素堂)

二、素堂の生日
1) 寛永十九年五月五日(『甲斐国志』)
2) 寛永十九年一月四日(『連俳睦百韻』)
<yahoo関連サイト>
http://homepage3.nifty.com/hakushu/ymns-let-17.htm
三、素堂の生家  
1)甲斐国山梨郡府中魚町、山口屋市右衛門家(『甲斐国志』)
(ただし、『甲斐国志』には酒造業とはない)
2)山口家は甲府に於いて、魚町西側の本宅を構え、酒造業を営みて巨富を擁し、
(功刀亀内氏蔵、写本酒之書付及び貞享上下府中甲府細見に依る)
  …この項、『国語国文』「山口素堂の研究」荻野清氏著による。
3)家頗ル富ミ時ノ人山口殿ト稱セリ(『甲斐国志』)
4)素堂の鼻祖は蒲生氏郷の家臣山口勘助良侫、町屋に下る。(『連俳睦百韻』)
 北巨摩郡蓬莱(正しくは鳳来村)に生まれる。幼名重五郎、父を市左衛門と呼び幼時一家甲府魚町に移転して酒造業を営む。(『甲州俳人傳』)
<yahoo関連サイト> 
 http://homepage3.nifty.com/hakushu/sodou-goden-haikei.htm

  四、素堂の名前

 姓については「山口」で確定出来る。これは『甲斐国志』ばかりでなく、書俳書に使用している。名については、
1)『甲斐国志』    −重五郎・信章・通称官兵衛。
素堂(堂=道)市右衛門。
2)『甲斐国志』以前の書
3)『連俳睦百韻』   −太郎兵衛・素堂(素仙堂の略)
4)『とくとくの句合跋』−松兵衛。
5)『俳諧錦繍緞』   −序文名…山松子。
6)『奥の細道解』   −俗名太郎兵衛・名は信章。
7)『升堂記』    −素堂
8)『竹洞全集』    −素堂
9)『地子屋敷帳』   −素堂 (この文書は国会図書館に現存する)
註…素堂の生存中に資料からは官(勘)兵衛の名は見えない。『甲斐国志』以後 の書に現れるようになる。
<yahoo関連サイト>

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BA%BA%E8%A6%8B%E7%AB%B9%E6%B4%9E&ei=UTF-8&fr=top_ga1&x=wrt

http://homepage3.nifty.com/hakushu/ymns-let-23.htm

 四、素堂と林家

1)自少小四方ノ志アリ。屡々江戸に往還シテ受 章句於春齋 (『甲斐国志』)
2)元禄六年(素堂、五十三歳)林家の門人となる。(『升堂記』門人名記載)

<yahoo『升堂記』関連ソフト>
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8D%87%E5%A0%82%E8%A8%98&ei=UTF-8&fr=top_ga1&x=wrt&.intl=jp
 
 五、素堂の仕官先  

1)舎弟ニ家産ヲ譲リ、使 襲称 市右衛門 自改 官兵衛 、時ニ甲府殿ノ御代官桜井孫兵衛政能ト云者能ク其ノ能ヲ知リ頻ニ招キテ為 僚属 居ル数年、致任シテ寓東叡山下 (『甲斐国志』)

2)青年時代江戸出府以後、寛文末まで彼の消息は甚だ明瞭を缺き、いかに穿鑿す るも要するに憶測に止まり、云々(『国語国文』「山口素堂の研究」荻野清氏著)

3)弱冠ヨリ四方ニ遊ビ、名山勝水或イハ絶レタル神社或イハ古跡ノ仏閣ト歴覧ザルハ無シ。(『素堂句集』子光編)
 
 六、号、今日庵

1)茶ハ今日庵宗丹ノ門人、号今日庵ハ盖シ宗丹ガ授カ(『甲斐国志』)
−宗旦筆「今日」の掛軸。(『通天橋』「素堂六物」)山田宗 から譲り受ける。
 <yahoo「今日庵」関連サイト>
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BB%8A%E6%97%A5%E5%BA%B5&ei=UTF-8&fr=top_ga1&x=wrt

 七、素堂の妻の死

1)元禄七年−(「素堂、曾良宛て書簡」)芭蕉の死に際しての書簡。
 人あるひは妻を迎へん事をすすむるを、固辞してやみぬ。(『俳諧奇人談』)  
<yahoo「曾良」関連サイト>
http://homepage3.nifty.com/hakushu/yamanashi-bungaku5.htm
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%9B%BE%E8%89%AF&ei=UTF-8&fr=top_ga1&x=wrt

 八、素堂の母の死

1)元禄三年説、甲府尊躰寺山口家の墓所にある墓石刻字による。
(『国語国文』「山口素堂の研究」荻野清氏著)
2)元禄八年夏、人見竹洞著 
 素堂山処士養八旬 老萱堂至孝乙亥之夏 忽然遭喪哀
(『竹洞全集』「素堂の母に捧げる挽歌」)
<yahoo関連サイト>
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%AB%B9%E6%B4%9E%E5%85%A8%E9%9B%86&ei=UTF-8&fr=top_ga1&x=wrt
 
  九、素堂家墓所  

1)素堂より先に没した父母と妻の墓所と、素堂の墓所感応寺(天王寺)との関連。
<yahoo天王寺関連サイト>
http://kkubota.cool.ne.jp/tennouji.html

2)甲府尊躰寺の山口家墓所について、荻野清氏の調査では、
三十基にあまる山口一家の墓標が今も残されていて、その中でも、最も古いのは、寛文十三年六月七日、江岸詠月禅尼と誌されたものであるという。
3) 小高敏郎氏は、この、江岸詠月禅尼 なる人物が素堂の妻だとすれば、素堂は寛文十三年(三十二才)、若くして妻を喪ったことになるといった。  
…この項「山口素堂の研究」筑波大学、黄東遠氏著より。      
4) 甲府尊躰寺の山口家墓所について調査の結果、前述の荻野氏の調査とは大きな違いが判明する。山口家の正面の墓石は山口勝(藤)左衛門と読める刻字がある。肝心な主市右衛門の墓石が無い。勤番士萩原氏の刻字のある墓石がある。


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