
昨日、道路拡張工事にかかる土地に竹があり、「清水さんなら役立ってくれると思う」「枝や葉を取って置くので有効に生かして欲しい」との土木会社からの連絡があり、早速見に行った。途中で竹の需要がありそうな施設に寄っていく。「上垣を修理したいので欲しい」とのこと、現場に行ってみると、細い「ヤタケ」であった。300本くらいある。23日のうちにもちくると現場にお願いして帰った。すぐ横が「神代桜」のある実相寺である。樹木も元気なうちはいいが、弱ってくると排気ガスが一番毒である。
これまで根の部分の土を入れ替えたり、道路を遠くへ廻したりさらに、以前有った屋根も指摘され取り外した。それが見た目なのか、本質的なのかはわからないが、活きた部分と枯れた部分が織り成す自然のたくましさと年齢の重ねが表面を覆っていてなんとも風格がある。
心配になるのが寺側見れば左側、歩行道路側からみれば右側の尊い江戸の支え木(コンクリート部分)の接地面の腐食がだいぶ進んでいて、支え木を上に位置しないと、いずれ崩れてしまう。そうなれば後は左側に多少残る枝が唯一の花が咲く枝になってしまう。でもそれでも数十年数百年生き永らえるかもしれない。ただこうした自然枯れを他の樹木のように、延命措置はとるべきではない。いたずらに(失礼)樹木の形態を変えたり、またこうした工事によってさらに腐食がが進むことが、他の北杜市内の指定記念物に見られ、惨めな姿を晒している。樹木の自然治癒力を奪う保存事業は、明らかな行き過ぎで、弱ってやんでいる人の治癒力を奪い、造形美を求めることは、自然に対する冒涜でもある。
自然に枯れていくか、延命措置で生きるのが本当なのか。やはり人間の意識に「観光」の文字があるかぎり、こうした天然記念物は人々のさらしものになる。「神代桜」は今何を望んでいるのであろうか。
君は山梨県を代表して多くの観光客を引き寄せ、その尽くした功績は多大であります。
よってここに自力で生き抜くことを期待します。そして生き抜いてください。
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病院のベッドで沢山の管につながれて生きながらえているよりも、芝生の広場で横たわって空を眺めているほうが健康的ですよね。
漢方の医療に近い形で樹木自らの力で再生してもらいたいですよね。
昨年の春神代桜を拝見しました、観光客が手を伸ばして枝を触る姿はどうにも複雑な気持ちになりました
2009/2/3(火) 午後 4:55