サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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最近の歴史界やその道の展覧会などの内容が粗雑というか、乱雑というか、細切れというか、県民に正しい歴史が届いていない。歴史に携わる人々の狭義の持論や私論のオンパレードであり、また奥行きの無い記事が新聞に踊り、テレビ報道が後押しする。最近のものでも「甲州金」・「武田信玄の治水」・「甲府城」・「新府城周辺遺跡」・「富士山世界遺産登録」などが挙げられる。甲府北口から発掘された甲州金などすばやく武田信玄と結びつける。治水では山梨県の些少地域を守ったことを美化賛辞して右岸の悲劇を全く無視している。安全を釜無川左岸のみに限定する信玄堤などを持ち上げて展覧会など開き県民や訪れる人々に誤認を与える行為は見苦しい。甲府城など全国でも有数な「落書城」で現在も増え続けている。こうした恥ずべきことを放置したまま、天守閣論など馬鹿馬鹿しい所業で監督官庁や関する歴史学者の遊び場と化している。この全国有数な落書きを消すことが大切なのに不可能なのかまったくみっともない。また報道も自ら持つべき厳しい視野が狭くなり、官庁ご用達報道ではあまりにも情けない。特にひどいのが「富士山世界遺産登録」に関する取り組みや報道はご粗末の限りで、美化するあまりに肝心の富士山の現況や登録項目の精査を亡失してしまった。富士山くらい汚れて傷ついて観光物とされたものはない。多くの日本人の重いが観光開発や行政の乱雑な取り扱いがここまで荒んだ富士山を築き上げてきた。それを関係者も報道も伴わない美化賛辞を送り続けて来た。だれがこんな富士山にしてしまったのか。開発と保護などの観点から誰も指摘しない、机上の空論虚論からは富士山は生まれ変われない。そして人々が本当の富士山に気がついたときには、もう富士山は蘇ることができないのである。富士山の世界遺産など要らない、富士山は国民の心の中では、日本での登録順位はトップなのであるから。

 今回は話題の信玄堤についての誤認について

うらみの信玄堤(『武田意外史』「第8章」古屋兼雄氏著1994刊)(一部追加)
 こうした汗と苦心の作は、あまり人に読まれない。

○ 釜無川左岸の水害認識(『武田意外史』「第8章」古屋兼雄氏著1994刊)
 上高砂村
もとは高砂村一村であった。(古地図、県立図書館)今は、上下集落になっているのは、まさに信玄堤最大の被害者である為であろう。
 「甲斐国志」
 「(略)本村ノ東ハ釜無川二逼ル田島欠ケ流亡シテ今五十一石四斗五升九合卜成ル、民戸モ過半野牛島ノ界内二移り居レリ」
 又、「中巨摩郡地名誌」には、
 「釜無川氾濫原の寄州の上に発達し、南北に連なっている。もと集落は今の釜無川寄りにあり、 氏神神明神社も5丁(550メートル)東にあったが、正徳2年(1712)の大洪水で流され、集落も神社も野牛島分寄りの現在地に移った。」とある。
 この村が、信玄堤築工以後に受けた被害は、ただただ逃げまどうのみであったろうか。
 石高が九割以上も流亡している。又、八田村誌の口絵に、明治二十九年上高砂水害写真が載っている。野牛島の河原村と、上高砂村の新居が流された。「上高砂長堤を突破して人家多数押流埋没」(八田村誌)

○ 神明川右岸で県道北側に神明社があり、石碑には、
 祭神天照皇大神 例祭 四月十五日・十月十七日
 信玄堤築堤以前釜無川は東に流れ、高砂邑はもっと東の寄州に発祥したが、信玄堤築造によって川が南流し度々の洪水で漸次西に移った。神明社も正徳三年遷宮の棟礼によれば五丁余り東の河原辺にあったが正徳2年(1712)7月5日本殿拝殿神木とも残らず流され氏子力を合わせて現在地に再建した。(略)

○ 八田村誌には、
 「信玄堤が造られ、瀬が高岩へ当てられるに及んで、今まですんなり南東方向に流下していた釜無川も高岩からはね返り、下高砂に当たるようになった。そして、7、80年後に上下高砂は西に退いている。下高砂は数年計画で徳永村地内に移り、高砂村はおのおの嘩手に西へ移った。信玄の直轄地が盆地の中心を占め、陣代金丸筑前守の持つ、徳永附近の地が盆地の中
心より痩せていることもあってか、不覚にも信玄治水の犠牲になったものと考えられる」云々
生かす時代である。

○ 釜無川左岸、龍王町の「信玄堤」信玄堤遠望

(龍王御川除)は、武田信玄が父信虎を駿河に追って、自立の時着工し(天文10年)、二十一年の (十七年とも) の歳月にて竣工され、甲斐の国又は甲府中郡一帯を、釜無川、御勅使川の激流から守り、山梨第一の穀倉になったと諸書は説く。
 天文十一年(1542) あたりに着工された。信玄二十一歳の時という。
 当時甲斐国内は、本格的な戦国時代に突入した時代で、父信虎は甲斐統一に、全精力をかたむけて至難な大業を遂げる為の日々であった。
 信虎は、笛吹川の水愚からのがれて、永正16年(1519) つつじが崎に館を築いた。
 しかし、眠前には、野に生色のない、荒涼たる砂河原であった。これを守るために、水魔と闘わねば自立はないと悟ったこ
とであろう。信玄堤は、後の時代によって美化されているので、信玄という囲の中から飛び出さないと、本当の治水の功罪は見えてこない。筆者はむしろ、父信虎の発想であったが、信虎力不足のまま、子の信玄に引き継がれたと思いたい。
 郷土史事典には、「信玄が釜無川の築堤に着工した年代は明らかではないが、父信虎を追放して自立した翌年の 天文11年(1542)とみられている」とあって明確でなく、仮説にすぎない。
 中巨摩郡誌には、
  「後奈良天皇の天文七年、信玄甲斐の国主となりしが、同11年釜無川大洪水あり、甲州一円泥砂の海となる。田園の被害、人畜の損傷、算ふるに堪えず、信玄以て邦家の一大事之より甚なしきは莫(な)しと為し、共治水の大策は此の時に尽くされたり。即ち龍王地籍に巨防を築く必要を認め、且つ其保護の法を立てて、甲斐平原の安全を図り、能く砂礫不毛の地をして、良田沃野と化せしめたりき。柳其治水策たるや、範を兵法に取り、巧妙を極めたるものにして、300有余年の間本州保全の鎮護たるを得し所以は、堤防の堅固たると、其保護の周到なるに基困也ずんばあらず。と記述されている。
現存して効力を発揮しているのは第一堤だけである。その他痕跡をとどめて道路などになっている所もある。
 激流に向かって、これを一時に止め様とすると、必ず破られる。何ケ所かに分けて、遊ばせ、弱まらせ南下させる。巨堤を築いただけでなく、常に保護管理をおこたらず、赤坂台の西山郷、興石郷の人達に、免租の徳を与えて、これを守らしめた。
 (史書によっては、西山郷、輿石郷の者に希望をもって募集したとあるが、荒涼とした不毛の地に希望する者はないはず。やはり、権力による強制であってこそ、戦国であろうか)
 人の住めない砂礫の平原となっていた、甲府、中郡を水魔から守り、自力をつけて、外征に明け暮れた信玄であった。
 これを広瀬広一氏(「甲斐国志」の要約や数多くの歴史に携わった歴史大家)「武田信玄伝」 によると、
「応仁大乱の余波を被った甲州は、文明以降国内大いに乱れ、永正、大永に至って、その極に達し、兄弟同族相争い、旱魃ほとんど寧日(ねいにち)なき有様となり、全修羅の巷と化していた。かかる時代であったから、農民は安じて、耕作に従事することがならず、地頭地主は、領地の保護の為、防河灌漑等の工役をなす遑(いとま)なく、地溝は埋もれ、堤防は破壊され、年々雨期に至れば、諸川氾濫して、田園を横流して、不毛となる有様であった。信玄嗣立の当時は、天災と兵乱と相次ぎ、治水の工を怠った故に、大河川の沿岸は、漠々たる砂原と化していた。天文9年、同11年の洪水には御勅使川暴れて「中郡の平地」を襲い、作物は砂に埋もれ、満水は連日去らず、一面の湖海となったと言い伝えている。信玄が治水の工を起す事を決心したのは、おそらくこの災変(害) に衝動されたのであろう」 (全文)
 と書かれている。
 現在の様な、物質の豊富さと政治感覚では、とうてい考えられない現状であったと思われる。水は流れるが川はなし、人は歩けど道はなし、無法の極であった。
 信玄は、連日湖海となっている甲府中郡を、信玄堤を築き、水魔から守ったのである。
  「実に萬代不滅の功というべきである」と広瀬広一氏はいう。「国志」にも信玄堤等、治工によって、中郡に新しい村や田が造成されたという記述がある。
 昭和町に「フジカラープラザ」がある。この会社が、昭和51一年に、公害防止の「汚水処理施設」を工事中、思わぬことがあった。4メートル掘り下げたところ、横たわる2本の大木に突き当たったのである。
 この大木は、根回り二メートル、長さ七メートル、樹種は不明というほかはないが、形態は完全で、周囲の深さ三センチ位は指でポロポロとはがれるけれど、その奥は固かった。こんな大木が、平地の昭和町の面積30平方メートルの、4メートル下から2本も出て来たのである。
推考するに、これは信玄堤築工当時よりさらに以前に、山の崩壊によって、現在地に流れつき横たわったものと思われる。それより土砂の堆積は年々続き、4メートルの堆積をみたと思われる。30平方メートルから、2本の計算をするならば、おびただしい数の流木が、甲府盆地帯に横たわっていると言える。
この書によって、太古の河川の氾濫が偲ばれて、慄然とするものがある。現在の中郷(なかごうり)漫々たる砂川原であったとすることは、確固たることのようである。

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鈴川倶楽部です。
治水土木は、技術論と水論(構築前後・地域別)の両方から語られなければならないと思います。

2009/2/10(火) 午前 10:21 KEN


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