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山の随想(「日本文化の遺産」民族文化研究所編)
踊る山の神
(「日本文化の遺産」民族文化研究所編)
東北地方一帯に見られる修験の徒の伝えた神楽−いわゆる山伏神楽と番楽にかかせない主要なレパートリイに、「山の神」というのがある。山の神は、クワッと口を開き、爛々たる金色の眼を見開いた真紅の面をつけ、足音もとどろに踏みならして、力強く舞う。ところが、民族学でいう山の神とは、子だくさんで気が荒く、顔のへちがんだ醜女(しこめ)ということになっている。これでは山の神は一体男なのか女なのかという疑問がでてくる。女性上位の現代では言う人もないだろうが、「うちの山の神」といえば、女でなくてはならないし、年中台所の火を管理し、子供を多産してきた過去の日本女性には、山の神の尊称がたてまつられていたものだ。
山の女神が、ことのほかオコゼ(長さ三粧ほどのキセル貝の一種と、魚のオコゼの両方)を好み、オコゼを見せると、狩猟の獲物を授けてくれるといい、また、山中で男が前をまくって一物をチラリと見せれば、山の神の御機嫌がよくなるなどといわれている。山の神がオコゼに血道をあげることは、すでに鎌倉時代からいわれ、金沢文庫の『名語記』には、「山の神ノ見テヨロコブナルヲコゼ如何」と記されている。
そうなると、日本の農耕儀礼の民俗でいう春の耕作季になると、山の神は山から里へ降りてきて田の神になり、秋の収穫が終わると田から山へ帰られるという説は、一体どうなるだろう。田のほとりにまつられる田の神は男性とされており、早乙女たちは、赤い腰巻もなまめかしく、田の神の花嫁の仕度で田植えをする。山の神は季節ごとに女性から男性へ、そして男性から女性へと、性の転換手術をするというわけのものではあるまい。田の神=山の神という考えはさらに検討される必要がある。山の生産と田の生産の、歴史的民俗的テーマが追求されねばならない。
私たちは、山に何をみるか。また山に住む人たちやその民俗、手芸品などに、どんな興味の示し方をしているのだろうか。どうも、日本人の観光族行や民芸好みは、利己的享楽的であるように思えてならない。ただ行った、見た、買っただけでは、心に何を学んだという反省は育たない。民俗採集にしても、学生が卒論のために見聞したものをまとめたとか、学者が出版の資料に強引に発掘してきたという作業だけでは何にもならない。調査団が訪れたあと、村の人びとの中に、非難や不平の声が残ることもある。私はまつりを尋ねて地方へ出かけるが、そこに住む人びとや老人たちと、たとえわずかな時間でも、親しく語りあい、ふれあうことを心がけている。美しい環境のなかで受けつがれてきた祭りは、そこに住む人びとの、深く豊かな伝統の心を伴なわずにはいないのである。私はつねづね、環境・人情・まつりの三位一体説を信じ、そのことを現代批評の基準にしている。学ぶということは、人間から得るものを、大切に心底に貯え続けていくことであり、人間性は、遠く山村・漁村の異った環境で精いっぱい生き続ける人びとを、心の友として交際できる喜びが積っていくことによって、身につくものだと思う。
人間を自然と対立させてきたのは、西欧の文明である。自然と人間を渾沌のままにしておく日本文化は、もう一度、人間尊重、人間仲介の方法を意識しないでは、発展する文化とはならない。抽象的精神は、自然や工芸品を人間性の表現=創造としてとらえ、生きている人間から学ぶものと同様に、感動・愛情・専重をつみかさねていくときに義なわれる。体験と総合、批評と分析を続けて学び考えることがなければ、芸術も学問も伝統も生まれないだろう。
国家体制の時代になって、宗教という甘い麻薬が必要になり、人間の堕落がはじまる。律令や戒律などをこしらえなければやっていけない時代になっても、山は活気と生産力を失わず、人間には無関心で存在する。変わるのは、制度と社会現象に影響される人間の側である。木地師は、山々を移住して、ロクロを回さなければ生きていけない。マタギは、厳冬の山に分け入らなければ、献上する毛皮が求められない。出家は、山で修行しなければ、世俗や他宗に対抗する自信がつけられない。ついに、山の神は、修験者たちに彫像されて、里を回り歩くようになった。
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