サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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 最近酸くなってきている山梨県の史跡名勝の観光地。新しく作り直されたり取り組みが容易く観光商品(?)になりやすく、どうでもよいようなものでもテレビや報道で取り上げると人々はすぐに飛びつき出かける見物する。それは本来の自前のよさではなく、紹介されたことへの小さな感動を求めていく。しかし2度とは訪れない。普遍的な観光地はそんなに変わらないまた変えてはいけない。ラーメン屋が新築したら客を失いようなもので、観光地の整備には相当量の配慮が必要となる。
 これは巨木や御神木にもいえることで、観光物件としてみるか樹木信仰でみるかでもだいぶ違ってくる。特に神事に使われてきた樹木を最近では簡単に確かな資料や調査能力のない中で簡単に腐食箇所にウレタン注入したり、蘇生箇所まで保護と称する手を加えて、結果的に存命期間を縮めてしまうことになる。樹木は必要以上の人口修理を可としない。しかし行政によっては何でも手をつけて見るも無残な姿に変えてしまう場合も多く、いったん人工を加えると、御神木はその神の心も御宣託もなくなり、ただの老木に成り下がる。神の声など聞こえてこない。
 私は現在でも数本の巨樹を追跡調査しているが、国の補助金を使って必要以上の保存事業を繰り返している国指定記念物がある。木の周囲をウレタンで包囲して、呼吸困難を呈しているものもある。中は内部がすっかりかびていて痛々しいものもある。
 こうした現場を見ていると、それは保存が求められているのでは無く、それに伴う国の補助金がほしさにやっているとも考えられる。いわゆる事業資金の捻出のために巨木が御神木が犠牲になっているのではないか。事業費捻出ためにこうした行為が繰り返されている現実には私は悲観する。
 樹木にすれば指定など無くて自由に生きて生命期限を全うすることのほうがよい。同じケヤキでも国指定記念物を凌ぐものも多い。そうした樹木は近くの人々の生活に溶け込み、風景になじみ、神の樹木風格もある。誰に見られなくても、行政の手を経て無駄な工作されるより、私はこうした樹木を静かに看まり育てた地域の人に感謝したい。間違っても国指定記念物に指定したり、観光商品にして欲しくない。そっと生かしてやりたい。この樹木がどこにあるか私は忘れてしまった。しかし心の中にはいつも生きていて大きな枝で私を覆っていてくれる。御神木である。

 この樹木の中はまったくの空洞、周囲の細胞のみで生きている。その生きる逞しさは感動する。そこには人の関与を否定する力強さを感じる。だから御神木である。このなかでかくれんぼをしたり、多くの遊び場と自然と人間の一体感を与えてきた木に人工は許されない。手を加えると祟りが起きる。

 末尾の三枚の写真は、現在も保存事業が行われている「国指定天然記念物」のケヤキです。


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