サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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<甲州金>(『山梨百科事典』山梨日日新聞社編)

<図版は『甲斐国志』>

 甲斐国内にあって国中三郡と郡内領は生活・民俗などで異なる点が多かったが、とくに甲金(幣制)、甲州桝(量制)「大小切(税制)は三郡に限られて、郡内領でみられなかった。
 甲州金は三郡のみに通用した独特の地方貨幣で、武田氏時代以来金座を勤めた松木氏が甲府佐渡町に吹所を置いて、請負制度により冥加金を納めて鋳造していた。元禄時代までの甲金は総称して古甲金とよばれ、その種類は100余に及んだという(甲斐国志)。元禄8年幕府は「元字金」改鋳に際して甲金を元字金に引替えさせる甲金廃止の触を発したが、翌九年国中の大小百姓をはじめ商人・職人などの反対運動が起こり、幣制統一の企図を断念した(「甲金書類綴」県立図書館蔵)。甲府藩成立後、幕府の金銀吹替に準じて甲金の改鋳が行われた。宝永4年「元字金」にならった甲安中金、次いで幕府が乾字金(宝永金)を鋳造すると正徳4年甲安中金を廃して「甲金今吹」を鋳造、以後「享保金」に対する享保六年の「甲重金」と続いたが、柳沢氏の国替で吹替が中途で終わったため、同12年から吹足として「甲重金」と同品位の「甲定金」が鋳造された(甲斐国志)。
当時三郡で日常使用された貨幣は甲金と銭で、甲金は一分判(目方一匁)以下二朱判・一朱判・朱中判(目方一分二厘五毛)の四種で、時々の吹替が行われても民衆にとっては古くから使い慣れた重宝な貨幣であった。甲府家から甲府藩の時代には小判と甲金取混ぜての貢納が許されていたが、幕府領になって以後は年貢その他の上納金はすべて小判に限られ、また従前どおり他国からの移入品の支払には小判を充てなければならなかったことから(前掲甲金書類綴)、貨幣経済の発展に伴い小判との甲金の両替相場いかんによっては両替損を生ずる恐れが多分にあった。
両替相場の変動について「裏見寒話」は「他国より小判多く来るときは下がる。貢納金等に、小判国中に入用の時は上る也」と端的に述べている。


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