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第二回川中島合戦<甲府市史>
天文二十四年(一五五五)
晴信、信濃川中島で長尾景虎と対戦する(「甲府市史」)
(上略)去程此年七月廿三目、武田晴信公信州へ御馬ヲ被出侯、村上殿・高梨殿、越後守護長尾景虎ヲ奉頼、同景虎モ廿三目
二御馬被出侯而、善光寺二御陣ヲ張被食候、武田殿ハ三十町此方成リ、大塚二御陣ヲ被成侯、善光寺ノ堂主栗田殿ハ旭ノ域二御座候、旭ノ要害へそ武田晴信公人数三千人、サケハリヲイル程ノ弓ヲ八百張、鉄胞三百挺入候、去程二長尾景虎、再次責侯へ共不叶、後ニハ駿河今川義元御扱ニテ和談被成侯、
閏十月十五目、隻方御馬ヲ入被食候、以上二百日ニテ御馬入申侯、去程二人馬ノ労レ無申計侯、(下略)(「勝山記」)
〔解説〕(「甲府市史」)第二回川中島の戦い
天文二十二年(一五五三)四月、晴信は念願の村上義溝の葛尾城を攻め落し、信濃の大半を掌中にした。村上氏は越後へ逃れ、長尾景虎を頼って、その援助によって、再度、小県郡に復帰していた。これによって長尾景虎との川中島をめぐる争いが始まる。
天文二十四年七月には、両老が川中島へ出陣し、晴信は大塚に陣を敷いた。景虎も善光寺へ着陣し、十九目には両軍が川中島で対戦した。
その後、善光寺の堂主であった栗田氏は旭城に籠って景虎を牽制し、晴信は旭城に兵三千人と弓八百張、鉄砲三百挺とを送り込んでいる。両者対陣のまま閏十月に及び、晴信は今川義元に幹旋を頼んで景虎と和睦し、ようやく両者は川中島から兵を引いた。
これを第二回川中島の戦いという。
<筆註>武田方の鉄砲三百挺の記事は注目される。
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