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白須八幡神社の由緒書
明治43年5月 某氏子著
緒言
かしまくもかしこき、白須八幡宮ともうし奉るは、相伝わるところ、人皇七十一代後冷泉天皇の御宇すなわち甲斐源氏の祖新羅三郎源義光朝臣、任により当国に就きし際に、祠官石田道麿宿弥の時、神祇長に奏し、仁徳天皇・応神天皇・神功皇后の三柱を祭神に勧請したるを以って蓋し嚆矢となす。これ白須三柱八幡宮と崇め奉り、爾来武田家の崇敬不浅ところなり。
これを以って馬場家白須両家の祖源三位頼政卿の苗裔中宮少左衛門源兼綱始めて当国に来り武田家に遊事し、白須の居城せしより、その子孫相尋ねて崇敬し、民部少輔信頼までおよそ十二代氏神として尊み奉れり。
永禄年中馬場美濃守源信房・神主石田勘造それがしと共に力を合わせて字宮原の旧地より今の社地に移し奉り、宮殿瑞垣神楽殿までことごとく造築し毎年三月二十五日お神楽の神事無怠慢修行なり。
而してまた天正三年織田信長当国へ乱入のみぎり太守源勝頼(武田)朝臣の簾中白須刑部少輔政義をして、御太刀並びに御真筆の願書を献せしめ以って、その武運長久を祈りしに天なる哉、太守(武田勝頼)の武運ここに尽き神事も
荒廃に帰せり。
その後慶長八年(1603)三月朔日社頭東照神君(徳川家康)より黒印(神社・寺院の領地)を以って三石三斗六升の寄進あり、且つ又白須民部少輔信頼、寛文(1661〜72)の末頃大いに神事が荒廃し、ここに祭祀の再興を計りし事は旧記に歴然たり。
貞享(1684〜87)末頃よりことごとく廃絶し自力を以ってまた如何とも為し難きにより、住吉八幡宮に由緒ある名家並びに四方敬神の士の助力を乞い、大いに神事を復興するに至れり。
爾来星移り世替り幾多の変遷を経て明治維新となり革新するに方より神事も自ら衰退に皈せんとせしに、明治四十九年九月十日災に遭い宮殿炎上し拝殿・奉納物に至るまでことごとく烏有に皈し神霊また火炎に遭い、一時神無の境となる。ここに歎惜に堪えがたく、直ちに宮殿を新築し神霊を迎え奉らんと欲するも、時頻年の凶難と悪疫の流行に際し、民力おおいに衰微し恐れ多くも宮殿の再築をすることが出来ずに虚しく二年余の月日が経るに至れり。
明治四十三年に至りここに再建の機運の熟するところあり。氏子総代の鋭意熱心と敬神の篤志により工事に着手せり、拝殿と仮宮殿を造築し、明治四十三年五月に至り竣成し神霊を迎え奉るに至れり。
今その式典を挙げるに寄進人名を録して永く後迄に伝えんとす。
神霊の加護により国家安泰・五穀豊穣・民の福祉を増進し近き将来において正殿新築の栄を得せしめ玉わんとて畏み畏み白(もう)す。
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