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「科学技術」はエネルギー浪費の張本人
(瀬尾健氏著『地球・環境読本』別冊宝島101 1989年)(数字変換)
このように考えてみると、現代科学技術の最先端を行くはずの原発が、実はエネルギーの巨大な浪費装置であるという事実が、明らかになる。だがそうは言っても、「こうした困難な問題も、科学技術の進歩によって必ず解決されるはずだ」と反論する人がいるかも知れない。
確かに、産業革命以来(なかでもとくに戦後)の科学技術の進歩には、目を見張るものがあった。科学技術にかかれば、できないことは何もないかのようだ。しかし、この「科学技術」なるものの成り立ちをちょっと考えてみるだけで、それが幻想に過ぎないということがわかる。
目を見張る進歩をもたらした科学技術の主目標は、実は、我々の生活を便利にするためにいかにエネルギーを便うかということであった。いかにエネルギーを使わないようにするか、ということではなかったのである。むしろ、目に余るエネルギー浪費の張本人、あるいは原動力とも言うべきものが「科学技術」であり、原発はその象徴的存在とも言える。
エネルギーを湯水のように消費することによってのみ、「科学技術」のめざましい成果があり得たのである。
例えば、交通機関を考えてみよう。馬、鉄道、バス、自動車、帆船、動力船、プロペラ機、ジェット機、ロケット……。すでに20年前に、人類はロケットに乗って月に足跡を残した。まことに技術の進歩はすばらしく、科学技術の輝かしい勝利を見る感がある。しかしこれをエネルギー消費の視点からみると、様相は一変する。技術の進歩の度合に逆比例して、エネルギー効率は急激に低下しているのである。鉄道より乗用車の方が6倍以上のエネルギーを食うし、飛行機も鉄道よりはるかに多くのエネルギーを消費する。ロケットに至っては、これらをはるかに凌ぐ。
食糧生産についても、まったく事情は同じである。
昔の農業に比べ、現代の機械化農業、化学農業は、科学技術の進歩のおかげで食料の大幅増産に貢献したかにみえる。この貢献度も現在でははなはだ疑問視されているのであるが、ここでは触れない。それ以上に、エネルギーの面からみた場合、大量の石油を動力として消費し、さらに化学肥料や農薬として石油を使い、おまけにビニールハウスなどでは暖房用に大量の電力まで消費するという点が大問題なのだ。
昔の農産物は太陽エネルギーのたまものだったが、今やほとんど石油エネルギーの産物といってもよい。そして収穫した作物のもつエネルギーより、投入した石油エネルギーの方が多いというのが現状である。この傾向は近年ますますひどくなっており、最近の「野菜工場」と称する農法では、太陽エネルギーを完全にシャットアウトして、石油エネルギーに100%依存するところまでいっている。これがつまり、科学技術のめざましい進歩の現実なのだ。
このように、科学技術の成果によって我々の生活が豊かになったように見えたのは、実はその裏に、エネルギー資源の湯水のような浪費があったのである。科学技術からエネルギーの大量消費をとってしまえば、後にはほとんど何も残らないといっても過言ではない。
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