

さて難解も論じてきたが、「林業白書」など私にはなんのことやら理解できない。国民に見せたくない部分は小さく記事も少なく、どうでもより責任転嫁で余所行き論書であるから、理解しようとする方に無理がある。
野放し状態の民有林赤松皆伐採への行政の対応の鈍さはどうにもならない。今条例などで規制しても、来年の4月以降でなくては効力を発しない。また数十年山の樹木の売買などなかった農林家にとってこの上ないありがたい話でもあるから、行政もその分補填する余裕など無いから致し方なく遠くから見ているだけとなる。福田総理に問えば「どこか問題があるんですか」「それは民主党のせいです」とか町村さんなら「そうした状況はよく精査して問題があるなら議論すればよいし、せっかく内地材が流通してきたのであるから水を差すような議論は避けるべきである」これを農水大臣が答えれば「そうした問題については本省としては数年前から調べていて、あと数年すればしっかりした案がまとまるので、その後に法案化していきたい」かな。
かくして山は丸裸になり、急いで植えた桧植林は鹿に食され、大きな水害が起こり、あわてて緊急対策がとられることになる。
森林は徐々に伐採して徐々に植えていく。林層を一度に変えることなど許されはずがない(日本では許される)これは長い間に培われた森林技術の第一歩でなのだ。森林の成長速度に反した伐採は大きな山地損壊を生むことは過去が実証している。
木材の売買は当事者の問題であっても、そこで起きる環境変化や景観それに水保全の問題は人類共通の問題なのです。
山の木は切ることも売ることも自由です。しかし林地開発より急激な変化を齎す商業伐採を黙って見ているようでは林野庁など不在と同じです。
国会議員や地方議員も一週間山地っを歩いてみれば、私の言っていることが理解できます。事前に言っていただけばいつでも現地に案内します。
今日もどこかでひも付きの補助金の導入に、その筋のお墨付きの学者と補助金目当ての組織や団体がそれまでの行政批判の矛先を収めて一致協力して、理論先行の事業が展開されています。
補助金の多くから生まれるものは、日和見主義の地域と地域離れした人たちの活躍の場を与えるだけのことです。
私たちの近くにも都会の植民地を作るような話があります。関係者やっきとなってなれない横文字を振りかざして、それが地域振興になりと力説します。都会の人と地域の人がふれあい文化交流を通じて云々の言葉がパンフレットから零れ落ちそうです。
観光も人も行事も商品サンプルとして扱われることの先行きの無さに気がつくことなく電車は走り始めています。いずれ脱線でもしたら、おろかな補助金協奏曲に気がつきます。そのときでは遅く、観光も長い目で見れば致命的なダメージとなります。今観光で大事なのは一人ひとりの積み重ねでなにができるのかではないかと思われます。いかに田舎にして置くかが大切で、そこには都会業者の意見を聞かない「頑な姿勢」も求められます。こだわりこそが最大の観光資源なのです。と思います。
勇気のある行政マンの声を聞きたい。たまには市民の声を直接聞くのもいいですよ。
議員の皆さんも公務員の皆さんも、机上でなく私の案内する場所で話し合いましょう。
自然はいつでも人間のためにあるような錯覚と、そのときの人が自由に作り変えることができると思い違いをしている人が、私の周囲にもいます。私は自然は怖く恐ろしいものと自覚しています。
どうですか福田総理答えてください「---それは個人的な非常に狭い考えであって、私はそんあ深刻な問題とは考えていない。それは民主党の体質の問題でしょう」ありがとうございました。(誤字脱字、誤分など未訂正)
|