サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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エネルギーの危機 エネルギーは使えば使うほど人間は貧しくなる!
(瀬尾健氏著『地球・環境読本』別冊宝島101 1989年)(数字変換)
 
 もっと根本的な問題を考えてみよう。原子力発電は、本当にエネルギーを生産しているのだろうか。
 いまさら何をと言われるかも知れないが、実はこの問題は、20年以上も前から議論されており、いまだに決着がついていないのである。アメリカのエネルギー開発庁(ERDA)が一九七六年に行なった計算を、ここで少し検討してみることにする。
 原子炉の規模は電気出力I○○万キロワット、これが30年間、平均稼働率61%で運転されるとする。すると発生電力総量は、(100万×0・61×30×365×24=)1600億キロワット時となる。
これをカロリーに換算すると、137兆キロカロリーという天文学的数字になるが、驚くにはおよばない。以下では「兆キロカロリー」という煩わしい単位は省いて、数字だけを示す。つまり、この原発一基から取り出せるエネルギーの総量は137である。
 一方、原発を運転するためには、火力と比べるとかなり多くのエネルギー(つまり石油)を投入しなければならない。ERDAによるとその大部分はウランの濃縮に要し、このエネルギー量は26にもおよぶ。その他のさまざまな出費を合わせると、投入しなければならないエネルギーは総計36となっている。つまり、36のエネルギーを投入して137のエネルギーを取り出したのだから、正味のエネルギー収入は(137÷36=)101、率でいえば(137÷36=)3・8倍の収穫を得たことになる。
 これなら立派にエネルギー生産の任務を果たしていると言えるのだが、実はこの計算の中身を調べてみると、投入エネルギーの項目に重要なものがかなり抜けていることがわかる。高レベルの放射能の長期管理費、原子炉の廃炉費用、送・変電設備の建設費(原発は僻地につくられるから特別に必要になる)、揚水発電所の建設維持管理費、大事故時に予想される出費や補償、などである。原発から取り出すエネルギーの方にも送電損失や自家消費、揚水発電損失などがあるから、137というエネルギー生産からも、かなりの量を差し引かねばならない。そこで、これらの修正要素をすべて加味した場合にERDAの計算結果がどう変わるかを調べる必要があるのだが、ここでは一例として大事故の問題を考えてみることにしよう。

 
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蓄積される放射能

蓄積される放射能
 (『地球環境が危ない』増田善信氏著 発行者 山本功氏 新日本出版社発行1990:4:20)
 
水爆実験場の近くの現地住民は、この時およびこれ以後の実験で大きな被害を受けたが、この水爆実験によって放出されたJ児の灰〃が、放射能の雨となって全世界を汚染した。しかし当初はまったく放射能の観測体制がとられていなかったので、正確な値は得られていない。四月に入り、各地の大学や研究機関で雨や空気中のチリの放射能の測定が実施されるようになった。五月になって、南からの気流が入るようになり、各地で高濃度の放射能雨が観測されるようになった。すなわち、五月十四日に鹿児島に降った雨からIリットル当たり毎分4000カウントの放射能が検出され、ついで五月十六日には京都でIリットル当たり8万6000カウントの記録的な放射能雨が観測された。それ以後主として日本の太平洋岸に強い放射能雨が降り注いだ。図41(略)は広島、京都、東京で観測された放射能雨の強さとその減衰曲線を示したものである。これらの放射能の強さは、チェルノブイリの際に日本で観測された放射能雨に比べて格段に強いので、ビキニ水爆実験の当初の放射能は、日本付近でもかなり強いものであったと推定される。
 1954年9月、アメリカにつづいてソ連が核実験を開始し、世界中が放射能雨に悩まされるようになった。1963年に部分的核実験停止条約が締結され、大気圏内の核実験が停止され、放射能雨そのものは少なくなったが、1968年に中国が核実験を開始してから、ふたたび増加した。しかし、最近は大気圏内の核実験がやられていないので、チェルノブイリ事故の時は別として、それほど強い放射能雨は降っていない。
 しかし、放射能雨が減ったからといって、安心だとはいえないのである。それは半減期の長い、しかも有害な放射性物質、たとえばストロンチウム90とか、プルトニウム239が、年々地球上に蓄積されているからである。図42(略)は気象研究所と秋田のストロンチウム90の年々の降下量と蓄積量を示したものである。この図から個々の年の降下量が核実験の開始や中止にあわせて変動していることがわかるが、もっとも問題なのは積算降下量、すなわち蓄積量の線である。
たとえ大気圏内の核実験が停止されても、成層圏まで高く吹き上げられた放射能を含んだ細かいチリはゆっくりと降下し、地上に蓄積される。現在でもわずかであるが降下しているのである。地上に蓄積されたストロンチウムやプルトニウムは、野菜や穀物などに吸収され、食物を通して人体に蓄積される。先にも述べたように、チェルノブイリ事放による放射能汚染はきわめて深刻で、事故直後の蓄積量は1963年に匹敵するものであったが、それでも現在までの核実験による蓄積量のせいぜい48%に過ぎないのである。この意味では今までの核実験によって、陸も海も、そして空まで、まさに地球全体が放射能に汚染されていると言っていいであろう。
ビキニ水爆実験と″死の灰″
世界中を汚染した放射能 日本の原発事故
(『地球環境が危ない』増田善信氏著 発行者 山本功氏 新日本出版社発行1990:4:20)
 
 1954年3月1日、静岡県焼津港のマグロはえ縄漁船第五福竜丸(140トン、乗組員23名)は、東経166度35分25秒、北緯11度53分25秒付近の洋上でマグロはえ縄漁に従事していた。ちょうどはえ縄を投縄後、エンジンを止めて漂池中の午前3時50分(日本時間)頃、西方に突然強烈な閃光が望見され、夜明け前の空と海が真昼のように照らし出された。それから7、8分してにぶい爆発音が聞かれた。火の玉の方向にキノコ状の雲ができ、それが空一面に広がってどんよりと曇ってきた。午前6時半ころより5、6時間白い粉が雪のようにチラチラ断続的に降り、船の甲板は靴の跡がくっきりとっくように真っ白になった。これがビキニ環礁でアメリカが実施した水爆実験によって吹き上げられた″死の灰″で、水爆実験場から約160キロメートル、アメリカがあらかじめ設定していた危険区域からさえ約60キロメートルも離れた第五福竜丸の上にまで降ってきたのである。ビキニは東経165度25分、北緯11度35分に位置し、マーシャル群島の中にあるサンゴ礁の島である。
アメリカはこの年の3月から5月にかけて、はじめての実用規模の水爆実験を、このビキニとエニウェトク環礁で実施し、その第一回目の実験がこの3月1日のブラボー爆発とよばれる実験であったのである。
 異常な閃光、爆発音そして降灰という現象を体験し、第五福竜丸の乗組員は、ビキュ環礁の核実験に遭遇したのであろうと考え、そうそうに漁を打ち切って帰途に着いた。彼らは身体についていた粉は洗い落としたが、3日目ころから顔がうす黒くなり、4日目ころから耳にカサブタができ、髪の毛が抜けはしめた。″死の灰〃による急性放射線症に冒されたのであるが、乗組員はよもやそのような病気に冒されているともしらず、3月14日早朝焼津に帰港した。
 当日は日曜日であったが、身体の不調を感じていたので、焼津協立病院で診察を受けた。乗組員を診察した医師は、ビキニで水爆実験が行われたことを知っており、しかも症状がいわゆる原爆症に類似していたので、とくに症状の悪い二人を東大病院に紹介した。翌15日、東大病院で診察を受けた二人のうち一人はただちに入院、他の一人も16日に入院することになった。
 この事実は「読売新聞」3月16日付朝刊でスクープされ、全世界に報道された。これがいわゆるビキニ水爆事件の発端である。早速医師団が組織され、東大病院に入院した二人以外の全員にたいする診察が行われた。その結果、全員が焼津協立病院に入院し、二週間後に東京に運ばれ、東大病院と国立東京第一病院に入院した。第五福竜丸の乗組員がどれだけの放射線量を受けていたかは正確にはわからなかったが、彼らがもち帰った″死の灰″の分析の結果などから、23人中6名が50%致死線量以上の外部被曝を受け、100パーセント致死線量に近い被曝を受けたと推定される人もいた。これはガンマ線の被曝線量であるが、乗組員はこのほかにベータ線の照射を受け、同時に、体内にとり込んだ放射性物質からの内部被曝も受けていたと考えられる。
 半数死線量以上と推定される外部被曝を受けた久保山愛吉さんは、約半年後の9月23、「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という言葉を残して死亡した。広島、長崎につづいて三度日本人が原水爆の犠牲になったのである。
 3月1日の一発の水爆で風下1000キロメートルを越す範囲に、長期にわたって深刻な影響がもたらされていることが明らかになった。図40(略)はこの3月1日の水爆実験による放射性降下物の影響範囲を示したものである。この図で破線で示した領域は、アメリカがあらかじめ放射線の影響があり得ると考えて設定した、船舶の航行禁止区域である。しかし、この区域以外にいた第五福竜丸をはじめロングラップ島やアイリングナエ島にも死の灰が降った。この図の単位は96時間のグレイで、3グレイの線の内部が、そこに4日間滞在すると半数以上の人が死亡するという範囲である。
 アメリカは1946年から58年まで、ビキニ環礁を原水爆実験場として使用し、23回にわたって実験を行なった・そのためビキニの住民は強制的に立ちのかされていたが、ロングラップなどの島じまの住民はそのままであった。そのため1954年の一連の水爆実験によって大きな被害を受け、ロングラップ島67人、アイリングナエ島19人、ウトリック島57人が被災し、現在までに約50人が死亡したといわれている。ビキニの島民は60年代に一度帰島したが、島の汚染が甚だしいのでふたたび離島し、現在にいたるもまだ帰島できないでいる。
 ビキニにおける水爆実験の影響は海にも現れた。放射能を含んだチリが海流にのって運ばれ、太平洋全域が汚染されたのである。海水が放射能に汚染された結果、漁船や魚が汚染され、漁業関係者は大打撃を受けた。この年の11月までに合計638隻の汚染漁船が検出され、457トンものマグロが廃棄された。廃棄処分にされた汚染マグロのとれた海域は、太平洋ほとんど全域にわたっており、いかに放射能汚染の影響が大きかったかがわかる。
 
(注) グレイ(Gy)
放射線の吸収線量の単位。吸収線量とは放射線の種類に関係なく、どれだけの放射線エネルギーを体が吸収したかを表す量。休重1キログラム当たり1ジュールのエネルギーを吸収した場合がIグレイである。
 
過去にもあった東京電力・福島第二発電所三号機事故 
世界中を汚染した放射能 日本の原発事故
(『地球環境が危ない』増田善信氏著 発行者 山本功氏 新日本出版社発行1990:4:20)
 
わが国の原子炉でも、放置すれば大事故になりかねない事故がたびたびおこっている。たとえば1997年7月、関西電力・高浜原発一号機で、一次冷却系のなかにとり付けてあった、78キログラムの金具が脱落して、ポンプやパイプを破損する事故がおこった。
さらに1989年1月には、東京電力・福島第二発電所三号機で、再循環ポンプが破損し、金属片が原子炉内部にまで散らばるという事故がおこっている。チェルノブイリやスリーマイル島の事故を含めてこれらの事実は、現在の原発は、放射性廃棄物の処理を含めて未完成な技術であることを示している。
世界中を汚染した放射能 アメリカのスリーマイル島でおこった原発事故
(『地球環境が危ない』増田善信氏著 発行者 山本功氏 新日本出版社発行1990:4:20)
 
 このようにチェルノブイリ原発事故は史上最大、最悪の事故であったが、1979年3月28日にアメリカのスリーマイル島でおこった原発事故も大きな事故であった。この事故は原子炉の炉心を冷やしている冷却水がなんらかの原因でなくなってしまう冷却水喪失事故とよばれるもので、炉心溶融一歩手前の事故であった。この事故で環境に放出された放射能は希ガスが250万キュリー、ヨウ素131が15キュリーと評価され、当時は商業用原発史上最大の事故といわれた。

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