<図版資料>
選挙が近くなると「戦場常在」(せんじょうじょうざい)の言葉が立候補の口から出る。
この言葉は馬場美濃守信房(信春)ではない。この美濃守は現在の下部町常葉周辺の武将豪族馬場家を継いだ常葉次郎が馬場家の名跡を継いで武田家に仕えたもので、現在の白州町や小淵沢町の要所を守護したものである。
歴史とは不確かな思い込みから出来上がる。教來石家は武田時代に「土屋家」の名跡を告いでいて、馬場美濃守とは関係がない。このあたりを混同して歴史にしてしまうから、後世あやふやな歴史が残ることになる。
また高揚軍艦の「信春」を大切にする歴史界は個人名でも勝手に名前を変えてしまう。
武田晴信から「信」の一字をいただいて「信春」ではない。歴史豊かな長野県には信春は居らず「信房」なのだ。
北杜市の活躍武将とすれば馬場美濃守であるが、残念ながらかれは南巨摩や峡東地方の武将が家臣である。
これも県内歴史家が間違っているところで、検証の甘さが目立つ。
北杜市内や韮崎市の廃寺や墓所群を訪ねれば、草叢のの中に傾いた武田菱の墓石があり、訪れる人もなく、佇むばかりである。
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