
私は家が製材業であり、樹木の中で生まれ育ってきた。だから東京などに行って駅のホームに居ると、猛烈な頭痛に襲われる。木の香りが恋しくなる。こんなコンクリートやガラスの造形物の中に生きていくことや、仕事をすることなどできないし、信じられない。
私はもう10回くらい飛騨高山地方を訪れている。飛騨は木材の活用とその歴史が豊かで、原点を失った木材業界へ痛切な警告をも含め、勉強に出かける。そこには不思議なことに住む人も知らず知らずに、玄関の横梁にヤキ材を使用している、玄関が90cmくらいしかなくても設置してある。なぜか100%ケヤキである。
飛騨の一目でわかるのは垂木などの木口が白く塗装してあり、暗い褐色の塗装とともに、優雅感と巧みの技が表現されている。
よくテレビで「家の建て替え」や「造り替え」を放映する番組があるが、私は全番組をみたわけではないが、着工も前に、荒々しくカケヤ(大木槌)などで、豪快に壊す場面が映る。土壁も無残に取り去られる。
そして「匠」の登場である。確かに斬新なデザインで機能的な間取りに変身、施主の驚きが放映を盛りたてる。そして匠や解説者が己の信念と木と建築へのノウハウを論じる。
しかし決定的に不足しているのは、先人の建築や工法を否定すること。
狭い地域に、その時代に培われた技術で実施された建築技術を否定するようなことは「匠」はしない。テレビなどにもてあそばれる「匠」などは存在しない。すべてが勉強素材なのである。現在では不適当であってもその時代では最良のものもあるはずだ。
「匠」の条件は
1)樹木を大切に扱うこと。
2)樹木の特性を工法で消失しないこと。
3)先人の技術を尊敬すること。
4)自らを匠と表現しないこと。
5)「匠」とは人間的工匠を含むこと。
などが挙げられる。
使い難いこと。
そこに人と木造住宅の会話が始まる。便利さを追求するあまり、人は木との会話を失う。
山梨県と違い、飛騨地方には欧風や洋風住宅が少ない。富山でも中心部家屋でさえ、樹木が、日本建築が呼吸している。
山梨県にはこうした傾向は少なく、地域景観にも不自然さを露呈している。
裏木曽街道を通過しても、視野の中には、地域の樹木を生かした、大型の日本住宅が並ぶ。当然の様に。それはそこに住む人々の先人の感謝と工法の伝承の表れでもある。
山梨県は常に新たなものを求め、大切なものを次から次へ消失していく。洋風住宅や欧米型住宅は個人の生活権利であっても、連綿とした景観では違和感があり、不自然さえ感じる。
山梨県は、住宅のオリンピック会場であり、世界の建築が乱舞して、それは飽きることなく続いている。
施設や住宅の洋風化は、樹木と人の接触も払拭する。
飛騨地方などに名松も求めるとき、それは各家庭に狭い庭でも必ず松が植えられていて、玄関が人を迎える。伸びた枝が玄関を優しくする。
寺や神社にも赤松が同居している。赤松皆伐採を推進するどこかの県などとは比べる余地もない。
それが町並み形成に大きな役割をしている。(別記)
山梨県では邪魔者扱いの赤松も信州や飛騨地方や富山ではしっかり、その存在を示している。
さてこの玄関のケヤキ(欅)の使用は、何人かに尋ねたが、明快な答えはなかった。それは知らないのではなくて、知る以前から自然な工法として当たり前に用いられている証であり、生活に溶け込んでいる。
だから全体の景観が生まれ、そこにふるさとを求める人々が訪れる。日本の原風景を求めて外国からも多数やってくる。樹木や竹や小枝にいたるまで繊細で優雅な工法と設置が世界の人にも郷愁を感じさせている。
不便さを共用して、一体化して、飛騨高山は栄える。
山梨県にも合掌集落(富士五湖地方。西湖念場)もある。訪れる人も多い。昨年「山本勘助展」の開催中や以後数度にわたり訪れたが、なぜか落ち着かない雰囲気がある。ここに勘助や戦国武将は要らないし、求めない。
集落復活と観光は一度誤ると収拾ができない。また運営にも地域の人がどれだけ参加しているかも問題ではないか。
常に改まる山梨県の行政には、NPO法人が多く取り巻き、その分だけ田舎人は取り残される。彼らは行政に都合よい組織であっても、必ずしも地域生活に根付いていない。(言い過ぎかも知れない)
補助金とNPO法人が山梨県再生の道を開いてくれるのか、それとも--------。
飛騨高山それは、
水と
建物と
赤松と
住む人と
工夫と
飛騨工匠が
町並み景観を表現して
保存する人々の心が
滲み出ている。
小さなゴミを拾う老人と
朝市の逞しいやさしい母親の
手の皺にそれが刻まれている。
フランス人に日本語方言交じりで
話す朝市に女性こそ
飛騨の原点なのかもしれない。
朝市のおばちゃん。
そばで川原からいっきに石垣登りを競う中学生
君たちも飛騨高山を守ってくれ
それは日本の心の樹木のふるさとだから!
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