サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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<図版資料>

山梨県のこの時代の地位関係者、歴史民族伝説などの研究者の努力にはいつ頭が下がる。個人の思い込みや派閥などがなくて、見ていても編纂者の意気込みさえ読みとれる。
 最近の歴史学者や研究者は報道や刊行本の作成が目立ってきて、大きな間違いを堂々と新聞に掲載している。
 私の町の出身とされる馬場美濃守信房公の記述などその最たるもので、寺の由緒書や地域の創作伝説をもとにして居られた。馬場美濃の別項を参照していただきたい。彼の白州伝承は江戸中期に自ら祖先とする馬場喜八郎が、新たに作った位牌などをもとに後世作成したもので、現にこの寺は数百メートル離れたところにあったものである。現在の墓所も甲府馬場家のもので、板碑は馬場家(現在の診療所付近)から先代住職が移動したものである。
 こうした事実や資料を見ないで、持論などかせね合わせるから、滑稽な歴史が伝播することになる。馬場美濃守信春は間違いで「信房」が正解である。甲陽軍艦より、彼の足跡を歩めばそれが理解できる。
 
 現在の諸先生もこうした資料編纂者の迸る郷土愛を学ぶべきである。 

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 最近山梨県ではこの「企業の森」の名称が森林界に踊る。森林荒廃の救世主のように持て囃されている。特に行政や森林管轄団体には経費軽減の良策としてこれからも増えていくことは間違いない。
 しかしこの「企業の森」つくりには、林野庁管轄だけで行えない事柄もあり、特に特に白州町のような花崗岩台地では、さまざまな要件が重なっていて、これからの行われる作業については地域住民も注意が必要である。特に白州町は水の里より水害の町として人々の記憶に生々しい。
 また現在の小河川林道などは河川堰堤工事や植林事業の際に設けられたものが多く、こうした道路は工事が終わると放置されることが多い。今後も白州の小河川付近はさまざまな砂防工事や堰堤工事が待たれている。
 資金の少なく赤字続きの林野庁は、現在こうした他力本願でしかも身内に経費が流れる仕組みを構築する。企業もイメージアップ敵取り組みと、行政の良好な接点として受け入れる。これはすべてがそうとうはいわないが、ごく自然の成り行きである。
 しかしここで肝心なのは、その工事や植生変換などと、地域防災についてしっかりした計画と実施がどこまで可能かまったくわからない。
 こうした崩落産地を単に企業イメージの森や山などにだけ利用されてはたまんらない。安易な自然への工作はその何倍もの自然災害などの報復を受けることはこれまでの歴史が証明している。

 防災・自然景観・長期展望・さまざまな地域に適した植林。崩壊道路の改修などなど多極的見地が求められる問題であり、単に林野庁管轄の「企業の森」では及ばないことは明白である。
 企業も行政も、実施計画やそれによって変化する長期展望などを、地域や市民にも情報を提供する必要がある。最近の傾向ではこうした事業が「特定」された団体や組織に丸投げ傾向にもあり、それが目的のようにも見て取れる。

 私たちの山や小河川はそれに森林は山梨県の上流にあり、いかに下流地域の災害を防ぐかを背負っていることも忘れてならない。

 私はこの地域の調査を数年続けているが、あまりにも広大で荒廃している山地や植林森林を見てきたが、その地域のそぐわない樹種や植え離しの荒れた森林が多々ある。また崩落林道など危険地帯も多くある。
 こうした事業の実施には相当な研究と対策が求められるのである。「企業の森」は「地域の森」でもあることを忘れてはならない。郷土の森林は郷土が守り育てることが鉄則と私は考えている。

企業も森つくりのみでなく、地域の人々が山に復活できる道をも探って欲しいと思う今日この頃です。

図版は山梨県発行のパンフレットより。

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<yahoo検索サイト>
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E6%A7%8B%E9%80%A0%E7%B7%9A+%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%99%BD%E5%B7%9E&ei=UTF-8&qrw=0&pstart=1&fr=top_ga1&b=1

糸魚川・静岡構造線とは
<『活断層 自身のなぞを探る』金子史朗氏著昭和54年発行より>

何本かの断層の集りで、長さ二五〇キロメートル、S字形に本州を横切る。断層帯をつくる一つ一つの断層の性格や変位量、地質時代はまだ不明な点が多い。いずれにしても断層帯のしめす総体的な効果は、明らかに日本アルプス側を高めている。断層帯にそって松本平.諏訪湖などの内陸断層盆地の発達していることも、大きな特徴といってよい。
たとえば青木湖や木崎湖など仁科三湖の西縁は、屏風のごとくそばだつ断層崖で、山麓の断層は湖成堆積物・信州ローム火山灰層や土壌層を切断している。仁科三湖の東側も、また松本平の東縁も、低いがみごとな南北性の断層崖である。これらの盆地は第四紀中頃(フイッツション・トラック法によると地質年代は約六〇万年前)には、およそ現在の輪廓が生じていたといわれている。断層をともなう盆地側の本格的沈降と周辺山地の隆起とは、第四紀に入つてから進行したものである(図23)。
盆地の誕生前には、西のアルプス山地から東流する河川があつた。というのは大町市の東方に海抜一○○○メートル級の中山丘陵があるが、この丘頂には東流する河川のはこんできたアルプス起源の花騎岩や、チャートなどの直径一・ニメートルといつた巨礫がみられるからである。地質学的にはそう遠くない日のエピソード----松本平の陥没はつい昨日の事件だつた----を十分語っている。
諏訪湖もまた両側を断層で囲まれた、完全地溝である。断層は河成段丘.扇状地.崖錐を切った活断層である。その食い違い量は湖盆を取りまく山(断層崖)の高さプラス湖底での基盤の深さだが、湖畔での掘削では地表下三七一メートルで基盤に達していない。したがつて落差は少なくとも八○○メートル以上ある。
この断層起源の大湖水は土砂で埋没して、いまは水深数メートルにすぎないが、八ツ岳
ができる以前、古釜無川を通じて東へ排水されていたのではあるまいか。いまは八ツ岳の
巨大な火山錐が裾野を南へひろげ、三〇〇〇メートルの赤石山脈の断層崖との間に、釜無
川の隘路をつくっている。この谷も空中写真で示した(六一頁)ように、二、三列の活断層に規制されて異常に真っすぐのびている。
 確かに火山放出物・湖成層・段丘を切って、ときには水系や小丘縁に数十メートルの左ずれの食い違いを与えている。
赤石山脈側では離の湯や青木鉱泉が、断層破砕帯にそってならび、断層上で水系.山脚に系統的な数十〜一○○メートルの左ずれ屈曲がいちじるしい。地質上の糸魚川・静岡構造線もまた三キロメートルほどの左ずれの食い違いがあるが、これは断層の南北での結晶片岩の分布上の位置のずれから推定されたものである。
しかし糸魚川・静岡構造線の南部では、それは数十キロメートル以上もあるという意見もある。もっともS字形をえがく糸魚川・離岡構造線の中で、中央の約三分の一の区間(塩尻―韮崎間)は、水平(左横)ずれが著しく、活断層の特徴が目立つ。
それにしても歴史時代いらい、糸魚川・静岡構造線が地震活動の上で静かなのはどうしてなのだろう。近い過去に大活動期があったのだろうか。文献上、承和八年(八四一)に信濃の国府-松本地方に・大地震(M六・七)があったという。その後、姫川地震(一七一四年、M六.四)、つづいて大町地震(一九一八年、M六二)まで、たいした活動の記録はないのである。しかし鮮明な活断層の発達からみて、釜無谷を要注意地域の一つに考えることでは、犬方の意見が一致するのではないだろうか。

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