サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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 山梨県林業はその荒さでは群を抜いている。これは商業伐採から見放されて時点からの施策の誤りが起因している。
 山梨県の林政は「行政」と「事業組合」の二列がある。この両方とも国に深く関与していることは周知の事実であるが、他見と違うのは、事業体は自らの生産能力に乏しく、補助事業主体能率採算性が先行する。許される限り面積と量が対象であり、管轄機能も乏しく、いわば言い過ぎると「やりたい放題」である。事業の目的など関係なく、また事業現場からは次世代に繋げるとか森をつくるなどの考えは乏しい。これは無理もないことで、売れる売る目的のない次代を数十年続いたのであるから。しかし山梨県も遠くで見たわけではない。「中央拠点」を考え一部賛同企業を集めて、華々しくはじめたが、現在はどうであろうか。人材がない中での取り組みや熱意と根性が見られず、現在に至っている。
 
 本年からまた新たな、切捨て間伐・除伐(必ずしも細いものではない)の範囲が広がるが、相変わらず出る木材の活用利用の先行きは見えない。
 行政や事業主体者がそろって、山野に膨大な残僕木を後世に残す行為は、どう見ても良作ではない。抜本的な対策が望まれる。
 
 そんな中で、私は民間の新たな取り組みに出合った。皆伐採地の所有親族が、ストーブ用の薪を集めていた。
 退職後田舎に入り、薪ストーブへの懐古も交えて、これからは風呂も食事にも利用していきたいとのこと。
 「先祖か受け継いだこの土地をこのまま放り投げるわけにはいかない」できるだけきれいにして先祖に報いたい」
 私は感動した。林野庁や行政にはこうした取り組みが助長すべきで、林政が冒した林業を民間が補修する行為を直視することが求められる。
 

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 私がいつも筆上する林野庁や取り巻きの内部・外部団はさまざまな刊行物をつくり、私たちも勉強になることが多いが、専門書的様相が濃くて、なかなか馴染めない。慣行教育に教本的ものにも多くの書がある。
 しかし全体が例によって難解である。その一例を示す。

環境教育視点の導入を(「森林・林業教育が求めるもの」)
(「森林・林業教育 実践ガイド」 社団法人 全国林業改良普及協会編より)

■ 森林の大切さ

ここでは、森林を教育の場として、あるいは教材として利用することの有効性について考え、とくに環境教育の視点を導入することの必要性に触れよう。
私たちの生活と森林とは密接な関係にある。ここでは、人間の生活や生産という観点から森林の特性について3区分して考えてみたい。
ア.
一般市民の生活において直接的に、あるいは目に見える形で森林が利用されているのは木材や紙などの市場財(林産物)の供給源としての利用だろう。ここでは、市場財の供給源を国内に求めるべきかどうかという議論は避けるが、森林を単に市場財の供給源としてとらえるならば、それを海外に求めることも可能だし、代替製品の開発に期待することもできる。
イ.
土砂の流出を防止したり、崩壊を防いだり、水源をかん養(涵養)するなどの機能については、海外に求めることは不可能であるばかりか、流域やさらに小さな単位での機能の発揮が求められる。これら機能については、算定基準などの課題はあるけれども経済的に評価するとも可能である。
ウ.
森林を教育の場や教材として利用したり、レクリエーションの場として利用することなどの重要性は、教育活動や文化的な活動と同様に位置づけることができる。

このように森林は、市場財と環境財の供給というふたつの面で私たちの生活と密接に関係している。こうした森林について、一人ひとりが正しく認識することは、私たちが社会的な生活を安定的に快適に過ごしていくためにも大切である。
そして、森林と人間の生活との関連についての学習は、環境教育の目的でもあり、環境教育が森林を教材とすることの有効性もここにある。
こうしたことは、白然林だけでなく、人工林(経済林)についても、他の人工物(人為的環境)に比べた場合、樹木という非人工物が生産目的とされること、多くの場合、経営面積単位が広大であるために、工場生産などに比べ自然環境から多くの影響を受けることなどから、その便益供給の効率性の優劣はありながらも、環境財としても位置づけられる。
つまり、森林・林業教育をすすめる場合、林業を内容のひとつの柱とすることが求められる。そして、生産物である木材などは多くの流通・加工の過程を経て私たちの生活を豊かなものにしている。しかし、森林を教育的に利用しようとする場合に重要視されるべきことは、こうした市場財の供給機能だけではない。さらに大切なことは、林業という産業がその成りたちから現在までの過程で培ってきた「文化」にあるだろう。

只木良也氏は、林業技術を遷移(生態遷移)の人為的なコントロールである、と以下のように説明している。
「林業は高木林という遷移の終着に近い段階から産物を得ている。白然の遷移のままにまかせておいたら、高木林になるのに何百年も必要であるし、できあがった林が、目的産物を採るのに適当である保証はない。そこで、目的産物の高木樹種の苗やたねをいきなり一年生草や多年生草などの遷移の初期段階へ持ち込み、目的高木林へと短絡させようというのが、一般に行われている人工林の技術であるといってよい。遷移をショートカットするわけであるから、そこには白然からの数々の抵抗がある。この抵抗を排除するのが、草や低木などと目的樹種との競争を除く下刈り、除伐、つる切りといった作業であり、目的樹木同士の競争を緩和するための問伐などなのである。」

また、沼田眞氏は、「環境」と「外界の条件」とを明確に区別することの必要性を説いている。
たとえば、ある樹木の生育について、その最適な温度や最低必要な温度という指標がある。しかし、これらは「条件」である。実際にある樹木を育てようとすれば、最低温度という条件をクリアすれば良いのではなく、湿度や土壌の条件などさまざまな条件についてもクリアすることが必要だ。さらにいえば、これらの条件を個別に満たすのではなく、諾条件がどのように複合しているのかといった「外界の条件の総合的・複合的関係=環境」の持つ効果が問題となる。
こうした環境については、地域や場所などによって様々である。だから、「スギの生育最適環境とは」といった一般論ではなく、それぞれの土地や森林ごとに固有の環境を認識することが必要である。現代の林業は、先人の白然環境との接触のなかで培われた技術の集大成であり、林業技術者はそうした「文化」の伝承者であり、改良者であるともいえる。
林業および林業技術者の培ってきた「文化」は、人工林(経済林)だけに限られるわけではない。白然環境全般にわたる人間の社会的生活との関係のあり方にも活かすことができるだろう。それは、まさに環境教育の目的と合致し、林業活動の場を環境教育実践の場のひとつとして位置づけ、林業活動についての学習を環境教育に加えることの有効性もここにある。
一部の白然保護論者などからは「林業は自然破壊産業である」との声を聞くことがある。それは、戦後の拡大造林に対する批判を論拠とするものが多い。もちろん、戦時下の乱伐による森林破壊をその後の拡大造林をもって「白然の維持・回復に努めた」とすることはできないだろう。しかし、このことだけをとって林業の取り組み自体を批判することは適当ではない。

■ 実体験の大切さ

さて、これまでは森林の教育的利用に際する積極的意義を中心に記してきた。次に、副次的な意義について紹介してみよう。
現在、生活の場が人工物で覆われていることが多い。そうした人々に、白身が直接的に関っていない情報や技術を伝えても、それは断片的な知識の伝達の域を出ないだろう。そして、そうした状況のなかからは、たとえば子どもたちが生活と自然とのより良い関係をつくっていくことも難しいと指摘されている。

<ここからが自論>

 もっと間単に説明できる。人々は大昔から自然とともに生活して、自然からさまざまな提供を受けそれに工夫を加えて生きてくれたのであり、それは衣食住にわたる。
 日本列島改造や林野庁による行き当たりばったりの施策の影響で、国民の森林離れが急速に進んだのである。多くの人工自然林を伐採して、適地て適植を考えずに一律植栽を続け、山村は疲弊して、森林は生産の場ではなくなった。
 しかし森林と人間は共生関係にあるもので、そのことの大切さと人が森林や山野にできることを解くのが「環境教育」であって、先人たちの努力と工夫を無にする。現在の機械林業では子供や識のある人々への理解は深めることはできない。
 林野庁の「林業白書」を通年読めば、いかに保身行政化がよく理解できる。
 極論すれば山地を今も崩壊し続ける林野庁に「環境教育」などできるわけがない。

 ここで現在○○県○○市で行われている。「環境教育の森」を写真で見る。そこには「環境凶育」か「環境破壊教育」が実践されている。

 救えるのは子供たちに「悪例を示しながら」実践教育する意思があるのなら、それはそれで救われる。 
 山梨県の「企業の森」や「教育の森」はこうした悪例を持って示す事例が多すぎる。
 
 なおこの森の周辺には粗大ごみや植林地にさまざまなものが埋蔵されている。これは未来への贈り物かまお知れない。
 私もただ著さしているだけではない。ごみや空き缶などは極力集めて収集日にあわせて選別して出している。
 私も年間数多くの教育の場に出る。そのときは対象の人々の目線と私の目線をあわせて語ることにしている。過去を大切にして未来につなげる行為を私たちはいましているのであって、理屈や理論だけでは窮屈な「環境教育」になってしまい。行政の自慰行為となる。

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