サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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• 長保 5年        1003 富士山噴火。   (更級日記)
• 長保 6年 2月 10日 1004 駿河方面に被害。噴火は長保5年(1003)
                  (更級日記)
• 寛仁 1年 9月     1017 御一条天皇、九月、北方三カ所より噴火。
                  (富士史)
•      10月 21日      一代一度奉幣。    (左経記)
• 寛仁 4年        1020〜富士山噴火。
• 康平 2年        1059 富士山噴火。
• 長元 5年12月 16日 1032 長元5年12月16日〜長元6年1月2
                   5日富士山の南側 噴火。
• 長元 6年 2月 19日 1033 起白峯。至山脚。   (日本紀略)
                   爆発溶岩流。   (噴火年表)
• 承保 3年 3月 28日 1076 有富士山焼燃恠焉。
• 養和 1年              富士山崩壊。
• 永保 2年        1082 大洪水。
• 永保 3年 7月     1083 溶岩流、末端は西桂小沼付近、流出方面
                   は不詳。(扶桑略記)
                  富士山の活動がやみ、煙も途絶えたて休
                   む。小噴火ながら話題にのぼる。
                   (扶桑略記)
                   剣丸尾溶岩流
                   (『都留郡の謎を解く』窪田薫氏著)
                   白河天皇、七月…。二月にも噴火か
                   (歴史年表)
• 文治 6年以前      1190 西行、山家集。
                   けぶり立つ 富士におもひの 争ひて
                   よだけき恋を するがへぞ行く
                   あづまの方へ修業し侍りけるに 富士
                   の山を見て 風になびく 富士の烟の
                   空消えて 行方も知らぬ 我が思ひかな
• 元永 2年        1119 洪水。
• 天治 2年        1125 洪水。
• 長承 2年        1133 洪水。
• 寛喜 3年 9月     1231 大洪水。
• 仁治 3年 9月     1242 河川氾濫。鰍沢方面の被害甚大。
• 建長 4年        1252 富士山噴煙。
• 文永 6年        1266
• 元弘 1年 8月 19日 1331 ▽地震・崩壊。
• 延元 3年        1338 ▽噴煙
• 文和 2年        1353
• 永正 8年        1511 富士山噴火。   (扶桑略記)
• 永禄 3年        1560 富士山噴火。   (大原旧記)
• 寛永 4年        1627 富士山噴火。
• 元禄13年        1700 富士山噴火。  (日本災異記)
• 宝永 4年        1707 富士山噴火。
                   宝永3年十一月二十二日ら二十三日に
                   かけて駿河・甲斐の富士山麓一帯に地
                   震、二十三日大爆烈する、被害は江戸
                   ・戸塚・江ノ島にまで及ぶ。(別記) 
• 宝永 5年 2月 24日 1708 富士山噴火。
• 宝永 6年 1月 16日 1709 富士山噴火。
• 文化 6年10月  3日 1809 崩壊。
• 文政 8年 7月 26日 1825 鳴動。
• 天保 5年 5月 16日 1834 山津波。
• 昭和14年10月      1939 地震群発。

延暦・貞観の噴火について(『火山灰は語る』町田洋氏著)
一、延暦・貞観の噴火
 古文書に残された富士山の噴火記録は、天応一年(七八一年)を皮切りに十三回以上もある。その中で八00年の延暦一九年と八六四年(貞観六年)の噴火は宝永の噴火に比肩する規模のもので、多量の溶岩が流出して山麓の地形を一変させた大活動であった。
 延暦19年6月6日 800  
富士山が3月14日から4月18日まで噴火し、昼間は煙で暗く、夜はその光が天を照らす。雷は響き灰は雨の降るように降下して山河を紅くした。…『日本紀略』
 砂礫が霰(あられ)のように降った …『日本紀略』
 富士山の東の麓に小山があるが、元は平らであった。延暦21年3月雲霧晦冥、10日にして山になった。  …『富士山記』
 富士山が噴火して砕石が道(東海道)を塞いだので足柄路を廃して箱根路を開 く。  …『日本紀略』
 以上のようにこの噴火によりテフラが噴出して東方の地域へ降下・堆積したことは事実である。おびただしいテフラが足柄路を埋めたので、降灰の影響がなかった箱根路を新たに開くが、翌年足柄路も再開されるが、東海道の本道に復帰することはなかった。
 貞観 6年  864
 駿河国正三位浅間大神大山、噴火しその勢いは甚だしく、12里四方の山を焼く、その火炎の高さ20丈ばかり、雷あり、地震3度、十余日を経ても火勢衰えず、岩石を焦がし、峰を崩し、火山灰雨の如し、煙雲深くして、人の近寄るを得ず。富士山の西北の本栖湖に溶岩が流入す。溶岩の長さ30里、幅3,4里、高さ23丈ばかり、火炎ついに甲斐の国境に達す。  …『三代実録』
 富士山大火を吹き、山を焼き、草木を焦がす、土、礫、石流れ、八代郡本栖、セノウミ両湖埋まる。湖水の水は熱湯と化し、魚、亀、等皆死す。百姓の家屋は埋没し、又埋没せずとも人なし。その数かぞえ難し。…『三代実録』「甲斐国解文」
 津屋氏の研究によれば、この時の本栖湖・セノウミ(今の精進湖と西湖の前身の湖)の達した溶岩は、現在の青木ケ原樹海を造る溶岩で、富士山西麓の寄生火山、長尾山より噴出したものである。長尾山は火砕物がストロンボリ式噴火で積もってできた小さな砕屑丘だが、その最終期に、多量の流れやすい玄武岩質溶岩が流出してセノウミを二分する。他にも北山腹2900mの割れ目火口から噴出し、北麓富士吉田市を流れた剣丸尾溶岩流の下底と思われる土層から古銭が出土した。(河口湖博物館)
二、富士山溶岩流の説明(小川建三氏の調査による)
  延暦と貞観の溶岩
  山中溶岩流(鷹丸尾溶岩流)
 現在の山中村から忍野盆地の大半を埋没させる。小富士の下方より噴出した溶岩が桂川の上流部水口川を塞き止めて山中湖を造り、 この地域に在ったとされる水市駅を水没させ、さらに溶岩は長生・宇律野二村を埋没と云う。
  猿橋溶岩流(檜丸尾・雁ノ穴尾溶岩流) 
 富士山三合目下の焼山辺りより梨ヶ原を流れ、上吉田の小佐野・明見を通って桂川沿いに大月市猿橋まで流下する。従来富士の基盤 熔岩と考えられていたが、延暦度の物と推定されている。
 忍野盆地に在った宇津湖(火山堰止湖)は流出部の浸食作用で小さく挟まり、その部分に鷹丸尾が流入して埋まったが、流出部を檜 丸尾が塞ぎ小佐野の滝(鐘山滝)を造り、加吉駅・明見など六ヶ村が埋没したと云う。延長40 に及ぶ。 
  船津溶岩流
 現河口湖の湖尻部分、凡そ4 を埋めている。埋没以前はセノ海より流出する大田川と阿座川(浅川)が在ったとされ、この部分に 船渡村が在ったが埋没し、元々在った小海と阿座川の水を溜めて河口湖を造り、阿座川村を水没させたと云う。
  大和田岩流
 足和田山南麓西端から東端に及ぶ熔岩流。長尾山の下辺りから流下して、鳴沢・太田和を埋め、太原の集落に至ったと云う。西端付近にはせノ海から太田川が流出し、この辺りに川口駅が太田川沿いに在ったとされる。尚、大原村付近は大原荘が置かれた。 
  大室溶岩流
 大室山の下方から流下して「セノ海」に入り分断、本栖湖を造る。?
  剣丸尾溶岩流偵(貞観6年)
 富士北側八合目付近の牛ヶ窪から、三合目の座敷山にかけての亀裂噴火。流下して赤坂付近から下吉田の新倉辺りに在った御舟湖(小舟湖)を埋め、西桂町に至る延長20 及ぶ溶岩流。
  青木ケ原丸尾溶岩流(貞観6年)
 富士山北西の弱線帯の亀裂噴火。精進口一合目付近から流下して、寄生火山・大室山麓包み込み、流出熔岩は扇状に拡がり、延暦度 の噴出溶岩を埋めて「セノ海」太半を埋めて西湖と精進湖を造る。この時本栖湖完成か。溶岩の分流は足和田南麓に沿って流れ、『三代実録』によれば「百姓居宅与海共埋」とあり、この時に川口駅や太田川の埋没が完成したか。 

 

富士山 歴史講座資料
富士山の噴火&山梨県の災害
(一)資料から見た富士山の噴火(日付は書物に記されたもの)
• 景行43年         113 霖雨により低地一帯湖水となる。
                  (山梨県気象災害史)
• 武烈 8年         506 大洪   (山梨県気象災害史)
• 和銅 2年 7月      709 霖雨。   (山梨県気象災害史)
• 養老 2年         718 霖雨数旬に恒り諸川漲溢し、田畑荒廃す。
                  (山梨県気象災害史)
• 養老 2年(頃)      718 富士山噴煙
                  高橋連虫麿の和歌「詠不盡山歌」
                  一首並短歌
                  もゆる火を 雪もて消ち ふる雪を
                  火もて消しつつ  (万葉集巻の319)
• 天平 8年         736 大洪水。   (山梨県気象災害史)
• 天応 1年 7月 6日   781 駿河方面に灰が雨の様に降り、木の葉が萎
                  んだ。   (続日本紀)
                  七月六日。駿河国言す。富士山の下に灰を
                  雨ふらす。灰の及ぶ所は木葉彫萎すと。
                   (続日本紀)
• 延暦 8年         789 大洪水。   (山梨県気象災害史)
• 延暦19年 6月 6日   800 主に駿河方面に灰が雨の様に降り、山も川
                  も皆紅色となる。
                  六月乙丑。是日。勅。駿河相模国言。駿河
                  国富士山。晝夜炬燎。砂礫如霞霰者。求之
                  卜筮。占曰。于疫。宣令両国加鎮謝。乃讀
                  經以攘火上。   (日本紀略)
• 延暦21年 1月 1日   802 駿河・相模方面に砂礫が霰のように降る。
                  噴火は延暦20年(801)
                  (日本紀略)
• 延暦21年 5月      802 相模国足柄路が塞がる。小富士の出現か。
                  (日本紀略)
•       5月19日   802 富士山噴火の為に相模足柄路を廃して箱根
                  路を開く。相模国10国らの負税を免除す
                  る。
                  延暦廿一年五月甲戌、相模国足柄の路を廃
                  して筥荷の途を開く。富士の焼け砕きたる
                  石、道を塞ぐを以てなり。  (日本紀略)
• 延暦22年 5月 8日   803 延暦廿二年五月丁巳。相模国筥荷の略を廃   
                  して足柄の旧路を復す。   (日本紀略)
                  『富士山の記』都良香(みやこよしか)
                  (839〜879)漢詩人。
                  (前文略)山を富士と名づくるは、郡の名
                  に取れるなり。浅間大神と名づく。此の山
                  の高きこと、雲表を極めて、幾丈といふこ
                  とを知らず。頂上に平地あり、広さ一里許
                  其の頂の中央は窪み下りて体炊甑(かたち
                  すいそう)の如し。甑(こしき)の底にあ
                  やしき池あり。常に気有りて、蒸し出づ。
                  (中略)大き成る泉あり。腹の下より出づ。
                  大河なせり。山の東に脚の下に小山あり。
                  土俗これを新山と謂ふ。本は平地なりき。
                  延暦二十一年三月に雲霧晦冥、十日にして
                  後に山を成せりと。云々  (富士山の記)
• 天長 2年 5月      825 白根山大崩壊し、かつ洪水氾濫し国中一
                  大湖水となる。水没せる人命・田畑限り
                  なし。飢餓者出る。こと時勅使を向かは
                  しめ水神を祀り、一の宮・二の宮・三の
                  宮三社に命じ、龍王赤坂山下に水防祭を
                  行なう。    (山梨県気象災害史)
• 天長 3年         826 富士山噴火(神火)。須走口の小富士出現
                  する。? (寒川神社記録)
• 天長10年         833 洪水。御勅使川氾濫し原七郷荒蕪に帰す。
• 承和 3年         836 洪水。
• 仁寿 3年 7月 5日   853 富士神を明神とする。 (文徳天皇実録)
• 仁寿 3年 7月13日       富士神の神位を従三位に進める
                  (文徳天皇実録)
• 貞観 1年 1月27日   859 富士神を正三位に進める。 (三代実録)
• 貞観 2年 5月 5日   860 駿河国言。富士山五色雲見。(三代実録)   
• 貞観 6年 5月25日   864 青木原丸尾溶岩流。甲斐方面、「セの海」
                  を分断し西湖・精進湖が出現する。人畜に
                  大被害。   (三代実録)
      5月 1日   864 五月一日乃至三日暴風雨大雷電 黒煙劇噴
                  五日の朝一大激震と共に富士山西の峰に熾
                  火現る(中略)六月九日乃至十三日朝 復
                  び湯溶岩熱泥押し流し、御舟湖つひに一町
                  に八十間を余し埋没。なは御舟山を包囲し
                  て押流る。   (三代実録)
• 貞観 6年 5月25日   864 駿河国正三位浅間大神大山(富士山)噴火
                  しその勢い甚だしく、十二里四方の山を焼
                  く。その火炎の高さ二十丈(60m位)雷
                  あり、地震三度、十余日を経ても火勢衰え
                  ず、岩石を焦がし、嶺を崩し、火山灰雨の
                  如し、煙雲深くして人の近寄るを得ず。富
                  士山の西北本栖湖に溶岩流入す。溶岩の長
                  さ、三十里、幅三,四里、高さ二十二丈ば
                  かり、火炎ついに甲斐の国境に達すと。
                   (三代実録)
• 貞観 6年 7月      864 甲斐国司解文、溶岩が本栖湖・セの湖を埋
                  め、人家を没し火焔は東の河口にの海に向
                  かう。    (三代実録)
• 貞観 6年 8月 5日   864 甲斐国下知して云う。駿河国富士山に火あ
                  りて彼の国言上す。之を著亀( )に決する
                  に云わく、浅間明神の禰宜・祝等、斎敬を
                  勤めざるの致す所のなりと。仍りて鎮謝す
                  べきの状国に告げ知らせ訖わりぬ。宜しく
                  亦奉幣解謝すびしと。    (三代実録)
• 貞観 7年12月 9日   865 勅して八代郡に浅間神社の祠を立てて官社
                  に列し、祝・禰宜を置く。今年八代郡の擬
                  大領無位の伴直貞託宣して、云々
                  (三代実録)
• 貞観 7年12月20日   867 甲斐国をして山梨郡に於て浅間明神を致祭
                  せしむること、八代郡に同じ。
                  (三代実録)
• 貞観12年 7月      870 中央火口噴火。富士山噴火。被害は無し。
                  (寒川神社記録)
• 仁和 3年         887 遺使奉幣。   (三代実録)
• 延喜 7年 5月 2日   907 浅間大神を従二位に進める。
                  (諸社根源記)
• 承平 2年10月13日   932 朱雀天皇壬辰年十月十三日、富士山峰より   
                  八方に噴火し、溶岩・焼石・大雷にて雨の
                  如く降る。大宮神社焼失する。(富士史)
• 承平 7年11月      937 檜丸尾・鷹丸尾溶岩流は二分して一つは北
                  に向かい檜丸尾となり、一つは東に偏して
                  鷹丸尾となる。
                  十一月某日、甲斐国言。駿河国富士山神火
                  埋水海。   (日本紀略)
• 天暦 6年 2月      952 富士山峰より北東に噴火。  (富士史)
• 正暦 4年         993 一条天皇、八月、富士山北東三昼夜鳴動し
                   て噴火。    (富士史)
• 長徳 2年         996 大洪水。
• 長保 1年 3月  7日  999 富士山噴火。南側。駿河方面に被害。
                   (前略)駿河国言上の解文に云わく、日
                   頃(さきごろ)不字の御山焼く由、何の
                   祟りぞてへれば、即ち卜して云わく、若
                   しくは、恠( )の所に兵革疾疫の事有
                   るかてへり。此の間太宰府貢上の雨米一
                   袋・湧出せる油一瓶等のことを奏聞す。
                   即ち、上卿覧了り、弁官の文脈に下し給
                   うこと巳に了りぬ。   (本朝世紀)

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