<図版資料>参考資料
昭和八年「異説日本史」雄山閣編
私たちは読む本によって歴史観が異なる影響を受ける。山梨県の誇大から中世の歴史は誰も正しく伝えない。それは避けている部分があるからで、、たとえば朝鮮という言葉や民族問題がそれである。山梨県を覆う「北巨摩郡」「中巨摩郡」「南巨摩郡」など市町村合併で過去のものとなりつつあるが、これなど山梨県と朝鮮高麗(こま)の関係など、古代山梨の勅旨御牧の馬飼い人や、他国へ移住した巨摩人のことなど、現在でも色濃く歴史に残る。しかし官庁ご用達の歴史学者はこうしたことには触れず、表装歴史を繰り広げる。
「甲州金」「信玄堤」「富士山」「甲斐源氏」などなど、思いつきの歴史観などを平気で繰り広げている。また報道もそれについての見解や社論などもなく受け流し状態で、歴史誤認が人々に伝わる。
この甲斐源氏についても早くから茨城県の歴史書には、甲斐源氏は茨城県で罪を犯し、山梨県に流され、そこから興ったのが甲斐源氏、武田信玄の祖である。それを長いあいだ、甲斐源氏は甲斐から発生したような歴史展開を繰り広げ、ある歴史研究者に指摘され、急遽訂正したものが、現在は伝わる。
この富士川の戦い以後、甲斐源氏が一糸乱れぬ結束をしていれば、甲斐日本政権ができていた。そのくらい力があり、頼朝のもっとも恐れていたのが甲斐源氏の諸将である。武田信義・一条忠頼、頼朝に好かれて延命した武田信光など一人ひとりの活躍は限りなく枚挙に暇が無い。これは別記する。
●関連サイト
<http://blogs.yahoo.co.jp/denntukujp/2105106.html>
<http://blogs.yahoo.co.jp/kitanomorirekisi2007/4919567.html>
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