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私は調査研究に明け暮れる中でこの本を読むと「ホッ」とする。それは私など近づけない研究や実践から生まれるものと思われる。
「艶説 生きものの記録」泉二三彦氏著 昭和31年刊
はじめの言葉
(略)私がこの本を書くことになった動機は、かつて、世の紳士淑女に愛読された有名な「新青年」上いう雑誌に「まんだら放談」というコントをつづけて載せていたことがあります。その当時の私のフアンから「是非あれを続けてほしい」上いう要望が再三あったので、ついに勇気をふるって、この物語りを一冊の本にまとめてみることにしたものです。また、もうひとつの動機は、先日インテリ女性ばかりの或る会合に招かれて「生物の性行動」について放談を行ったことにもよるのです。この放談はインテリ女牲たちをひどく驚かせ、また楽しませたと信じたからです。というのは、その後続けて二度同じ会合に呼び出されたからです。
世の男性諸君を楽しませ、世の女性がたを面白がらせる物語りは、是非書いてみたいと思うようになりました。
ここに述べるおはなしは、そこらの教科書や科学書にはあまり書いてないことはかりです。な書かれていないかというと、学者がこの方面に無智であるということもありますが、性の行為というものは従来、あまりつっこんで描写することが許されていなかったからです。性行勤のごときは、恥ずべき本能であって、口にするもけがらわしいこととされていたからです。
フロイドという勇敢な先生があらわれ.て、「人間とは、まず何をおいても性である」という名言を公けにしてからは、「性欲は人間を支配する」という人間観がその後徹底してきたことです。
今日でさえ、「性欲」などというと、目を三角にして渋面をつくる学校の老校長先生や、旧思想にとりかたまった親父たちがまだ少なくないのですから、フロイド先生の男気は大いに買ってやらなければなり忽せん。
私は、この本で、動物の性行動をコント風に面自く描写してみました。言い伝えや小ばなしはさておき、書かれてある骨子に嘘は少しもありません。私は真実だけを語っています。私も科学者のはしくれの一人だからです。
従来の動物学は、大切な性生活の部分がほとんど除外されていて、何か骨抜きの学問であるような気がしてなりません。
「ゾウやカンガルーやワニがどんなところに拝んでいるか、どんな姿をしているか、骨が何本あるか、胃袋はどんな形かというようなことも、なるほど生物学の分野かも知れませんが、「ゾウウやカンガルーやワニの雌旋の生殖器はどんな構造をしているか、彼等はどのように発情してどのような交尾をするか、そしてこのような生殖行為は人間とどのようにちがうか」ということも、生物学の分野であるにちがいないのです。しかし、このようなことは動物学の教科者には絶対に書かれていないし、このようなこととを真剣に取組んだ学者もあまり見当りません。ところが生物の生殖行為は生物学の中でもっとも重要な問題であるにちがいないのです。生物といのは元来、生殖のためにのきの世に存在しているものであるからです。極言すれば、生物というものは、生埴器が主体であって、他は附属物に過ぎないものです。
象の耳やカンガルーの尻尾りワニの皮は、単なるアクセサリーであって、ゾウやカンガルーやワニの本体そのものはその生靖器なのです。この本体のことを少しも知らずに、アクセサリーばかりいじっているのが現代の生物学者なのです。ですから現在の生物学が骨扱きの学問であると私が感ずるのもまた無理もないことと共鳴していただけると思います。
原始時代では宗教の対象は生殖器でした。生殖器崇拝の思想がこれです。今日でも「金精様」とか何とかいって祭ってる神様の御神体が象徴物である例は、全国いたるところに
ありますが、これなどは「人間の本体は生殖器である」という真理を喝破した原始人の智慧を想わせてほほえましくなります。
人間と生れたからには「良い結婚がしたい」「よい子を生みたい」と願う心理はよく理解できます。そしてこの願いを成就するため生殖器を崇拝するようになったこともごく自然のことです。
今日のインテリ女性が神棚にこのような御紳体を祭って、これを日夜拝んで、「恋愛や結婚や出産」のためにお祈りしないのは何と悲しいことでしょう。現代のインテリ女性には原始人のような素朴な純粋性が失われてしまっているからでしようか。
ともあれ、原始人が「耳や鼻や目玉」を御神体に祭らず生殖器を選んだということは大出来でした。人間の生物的本体は生殖器に他ならないからです。
ところが近代の未婚女性は人間の生物的本体を少しも知らずに、恋愛したり、結婚しょうとしたり、子を産もうとしたりしています。これは驚くべき冒険というべきです。プラトニックな恋愛感情というものは、むしろこの序曲をなすものでしかありません。
彼女等は綽婚の相手としての男性の背の高い低いを論じ、容鋭の美醜を問題とします。
彼女等はこのようなアクセサリーしか問題とせず、男性の本件に関してはほとんど無知そのものです。このようなナンセンスな配偶者の選択法は動物たちは決して行いません。
「あの耳が素敵だからワタシはあの方と結婚するわ」とか、「丘の方のタテガミが美しいからあの方が好きだわ」とか、「彼の尻尾がたくましいからワタシは彼にするわ」などと動物たちは決していわないでしよう。
もちろん、近代女性は原始人や野生動物とはちがいます。ですからはだかの異性を観察したりする機会もないし、まして、つぶさに比較検討してみたりすることはなおさらできないちがいあやません。しかし知識をもつことは必要だと思います。人間の本体に関する知識を欠如しているということは悲しいことです。無知はしばしは悲劇の原因ともなります。知っていて揖になるということは人生ではないようでず。
そこで、この本のねらいがどこにあるかということがお判りになったと思います。
フロイド以前の環境のもとで育った私にとっては、これから度々「生殖器」とか「性欲」とか「交尾」とかいう言葉を使わなければならないことをひどく気にしています。またこういう言葉が出てくる度に気を悪くされる方もあるかと思います。これらは科学上の言葉上してお許し願いたいと思います。。科学の書物を読むには妙な先入観はさしはさんではいけません。ふつうのことをありのままにのべることが科学なのです。この物語りを虚心坦懐にきいていただきたいと思います。
また、物語りというものは面白くなくてはいけません。科学というとつまらないものと思ってはいけません。そこで私は、面白く読んでいただくために、随分智慧をしぼったつもりです。
これでも面白くなかったら、カソペンして下さい。私はシッポを巻いて、研究窒の奥深く逃げこんでしまうほかないでしょう。
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