サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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 森林破壊の元凶
『森林破壊と地球環境』大石眞人氏著 平成7年発行 丸善ライブラリー
著者大石眞人(おおいし・まひと)氏の紹介
(株)木材新聞社編集長・論説委員長、林野庁木材基本問題研究会、南洋材資源研究会メンパー各県林務部・各組合顧問・専門コンサルタントなどを歴任。わが国を代表する木材産業コンサルタントとして知られている。著書に『新しい木材産業とは何か』『世界の森林資源』『日本の杉』など。また登山ジャーナリスト、旅行作家としても著名であり、「温泉の文化誌」(丸善ライブラリー)、『全国いでゆガイド』『温泉ガイド200選』なとの著書がある。

<前文は(1)で>

 民間では、経費に対して周到しか収入のない事業を継続するということは考えられない。もちろん国としても、林野庁としても因っていて、頻繁に「国有林経営事業改書(案)」を作成し出している。ちょっと長くなるが、平成2年12月閣議諒解の「国有林野事業経営改善大綱」の一部を抄出してみよう。
「(前文)略
1 国有林野事業経営の基本方針
(1)森林の機能類型に応じた経営戦略
 国有林野事業に対する国民の要請にこたえ、その使命を果していくため、総合的に見て森林の諸機能を最高に発揮させるよう、国有林野を重点的に発揮させるべき機能によって自然維持林、大型生産林等に類型化し、これに適応した適切な管理経営を行う。
(2)経営の健全性の確立
 国有林野事業経営について、可及的速やかに健全性を確立し、借入金依存から、脱却するため、事業の民間実行の徹底、組織機構の簡素化、合理化、要員規模の縮減等経費の改善合理化の自主的改善の努力を図るとともに、累積債務については、経常事業部門と区分し、適切な累積債務対策を講じ、平成12年度までに経常事業部門の収支均衡を達成する。

2 経営改善の具体的措置
(1)事業実行形態の改善
ア、国有林野事業の現場部門については、流域単位で民有林、国有林を一体としてとらえ、効率的な森林施業を促進するよう、国有林退職者も活用化、森林組合、素材生産業者等による実行体制の整備強化を図り、森林調査等国有林野の管理経営上、直ようで行うべき必要最小限を除き、請負化などにより事業の民間実行を徹底する。
イ、管理経営部門については、業務の局、署集中処理OA化による効率化、職務再配分と事務の簡素化、可能な分野の外部委託等を推進する。
(2)職員規模の適正化(以下略)

 右で、一番重要なのは、「2−(1)−ア」の部分であると思う。結構なことを沢山謳っているのだが、役人文章の特長の難解さで、とくに国有林野事業の最悪の仕事である「製品(世の中でいう原木)」生産販売の転換について、思いが至っていないのは残念である。
 林野庁側としてはいうであろう。この「2−(1)−ア」の精神が生かされて、第三セクターが各地に誕生しはじめていると。それは本当で、平成6年度「林業白書」によれば、鳥取先代川流域、愛媛県久万町に第三セクターによる林業会社が出現していると発表されているが、これについては筆者に意見もあるので、第八章において再度申し述べたい。
 そうはいっても困るのは、林野庁が林野事業に製品(原木)販売にこだわっていることが、全国の民有林事業、つまりわれわれのいう林業を成立しなくさせていることである。つまり、木材原木価格が40年ほどほとんど横バイであるにかかわらず、労務運賃が5倍以上に上がり、所要経費が9倍以上になっていると林野庁自身が発表しているのだから、誰だって、民間の林
業が成立するとは考えないであろう。当然全国の林業は休止し、山は死に、やがて白骨化しょうとしている。
 しかも、いま林業に従事する労務者の平均年齢は63歳に達しようとしている。林野庁国有林事業の人減らしには、老化、あるいは死亡によって退職するのは歓迎だろうが、民有林ではそうはゆかないのである。しかも、ほとんど新規就業者の参入がないのだから、単純にいえば、もう10年たてば、林業従事者の平均年齢は70歳を超える。いくら高齢化社会とはいえ、従業員平均年齢70歳以上の産業が残ってゆくとは思えない。林野庁にはいつまでも「国有林野事業改善案」を出しつづけるだけで、モタモタしているような残り時間はもうない。陽樹王国、緑したたる日本の森林を救う猶予期間は少ない。

●大石眞人氏関連サイト
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E7%9C%9E%E4%BA%BA&ei=UTF-8&fr=usf&x=wrt

 森林破壊の元凶
『森林破壊と地球環境』大石眞人氏著 平成7年発行 丸善ライブラリー
著者大石眞人(おおいし・まひと)氏の紹介
(株)木材新聞社編集長・論説委員長、林野庁木材基本問題研究会、南洋材資源研究会メンパー各県林務部・各組合顧問・専門コンサルタントなどを歴任。わが国を代表する木材産業コンサルタントとして知られている。著書に『新しい木材産業とは何か』『世界の森林資源』『日本の杉』など。また登山ジャーナリスト、旅行作家
としても著名であり、「温泉の文化誌」(丸善ライブラリー)、『全国いでゆガイド』『温泉ガイド200選』なとの著書がある。

 (前文略)ところで、こんなことをいって、こまごまとした森林破壊をいい出しても仕様がないではないかという意見もあろう。実はまったくそうであって、国土庁、環境庁関係は前述の点に関心を持って頂くことをお願いするが、本当の森林破壊の元凶は、森林を監督管理し行政指導をすべき林野庁であると断定せざるをえない。農林水産省は、わが国の第一次産品、とくに生活必需品の生産を監督する官庁であるが、いまはもっとも困った官庁となっている。
 この省は食糧庁、林野庁、水産庁関係に大きく分けられるが、どれも困った失政の連続である。一番大きいのは食糧庁だが、この庁の主たる領域は、やはり「米」であろう。しかし、わが国の米政策は、統制も現在失政の連続で、いまや混迷の極を極めている。ようやく95年一一月に食管法がなくなったが、五三年も保たせず、早く廃棄すべきであった。水産庁は、いま
でも世界第一の水産国である。そのわが国の水産を司るのに、二百海里問題以来、きわめて影が薄い。もっとも遠洋漁業の多くなった水産業界のバックアップをするには「土下座外交」の外務省を通じてでは、心もとないのもやむを得ないかも知れない。
一番だらしがないのが林野庁である。農林省といわれたのが、おかしいといわれて農林水産省となったが、その後農林が農水省となり、「林」の一字は専ら「忍」の一字になってしまっている。
 林野庁というところは、他の省庁とかなり異なった歴史を有し、かつ、現状も異なる官庁である。
 林野庁は国有林という自己資産をもち、これで原木販売の現業を持っているとともに、全国の民有林の管理指導も行う。また全国的な治山治水事業の統率責任官庁でもある重要な官庁である。しかし、このところまことに影が薄い。なぜなら、運輸省が持っていたJR、郵政省が持っていたNTT、通産省が持っていた、専売局傘下だったJTなど、どこも純官業を離れ、
民営化してほぼ成功しているのに、林野庁は、どうしても民営化できない赤字採算の「林野庁特別合計事業」というのを持ち、身動きがならない状態である上に、今後も健全な見通しを立てることができない。しかも、この林野庁の態度こそ、全国の林業を壊滅させ、森林を荒廃させ、そして国民の税金をなおも大量に食いつぶしてゆく元凶となっているのである。
 なぜ、そうなのか。一応、林野庁が国会に提出して承認を得た平成六年度の「林業白書」に敬意を表して、彼らがいまの林業、木材産業、山林の現状について述べている箇所を引用してみよう。

 「我が国は経済大国となった現在でも、国土の67%の森林を維持している。経済協力開発機構(OECD)加盟国の中でGDP(国民総収入、名目)が1兆ドル以上の国(1993年)は、わが国を含め、米国、ドイツ、フランスの四国であるが、わが国を除く三か国の国と面積に占める森林面積がおおむね30%以下となっていることを対比させて見ると、わが国の森林率が先進国の中でも異例の高さとなっていることがわかる。
 その要因としては、国土の背稜(せきりよう)部が開発困難な急峡な山地で占められていること、森林の発生に最適な温帯モンスーン気候に属していること、水の確保等の面で森林との「共生」を必要とする水田稲作農業が広く展開されて来たことなどが考えられる。
 これらの要因に加え、わが国は古くから森林や木材との密接なかかわりの中で、優れた森林文化を育み、明治以降も近代的な技術、制度等をとりこんで、その新たな展開をはかったことも無視出来ない。
 しかしながら、森林文化の一番の担い手であり、森林の整備、管理を担って来た林業や林業と結びつきながら発展して来た木材産業は、現在、円高の進行に伴う外材輸入の増大、木材価格の低迷等により困難な状況に直面している。これに伴い、それぞれの時代と状況に応じて森林文化の展開と、その世の中に対する発信の場となって来た山村の活力も低下している。
 こうした状況が続けば、わが国のすぐれた森林文化の継承が困難になるだけでなく、森林文化の展開を通じ、確保されて来た森林の持った恩恵や効用を享受し続けることが困難となることが危惧される。
 筆者からすればかえりみて他を見るように思われるが、そのあとで同白書は、内地のスギ原木の立木価格がほとんど変りないのに、昭和40年を100とした場合、伐出賃金は520、造林費は929で、林業労働者の後継も何にもほとんどないという、絶望的な数字を並べている。続けて森林回復への取り組みについても記しているが、各地方の取組についても、きわめ
て象徴的であり、少なくとも採算のとれる林業回復、森林復興実は発表されていない。かえって森林を潰して、レジャーランドや温泉開発をするなどの考えが先行し、これでは森林破壊が深まるばかりである。

 わが国には、森林面積の約三分の一の国有林と、約三分の二の民有林があり、森林蓄積量からいえば、おおむね4・5対5・5位である。国有林は従来二種類あった。明治維新以後のことであるが、徳川幕府を中心とした武家族の持っていたものを国有とし、これを国有林とし、天皇一家の所有としていたものを皇室御用林といっていた。戦前までに青森だとか、木曽だとかに国有林と御用林の営林局が別にあり、営林署も別だった(ただ山梨県は貧困な県ということで、明治天皇が特別に同県へ県有林として下賜したので、山梨県のみは、異例に県有林が多い)。また木曽は長野営林局管内であるが、いまも名古屋営林局管内の白鳥貯木場で貯材され、公売に付されるのは、木曽が尾張の徳川家の領地〔天領という)であったためで、業界では木曽材のことをいまでも尾州材という。
 これらの国有林材は林野庁の手によって、「特別合計事業」と名付けられて、一部の立木販売を含むが、多く営林局署の職員によって原木に加工せられ、各営林署の置場(営林署の近くや山中の広場にあり、いずれも土場といい、後者を山元土場という)において、原則的に公開公売される。もっとも、この原木の販売方法は非常に複雑であり、局外者にはなかなかわかりにくい。そこで、多少の誤解をおそれず、ごく簡単に述べてみる。
一、立木での公売もあるが少ない。
二、伐り出された瞭木〔丸太)を林野庁では製品といい、これを土場で見積し、適当な山に積み上げて一口とし(巨木、又は銘木の場合は一本売りをする場合がある)一山を一口として詳細なリストをつくり、一口ごとに入札価格を書いたものを、公売場で入札させる。
三、入札は登録したもの(木材産業者=原木商も含む)によって自由に行われるが、指名入札といって、売方(営林局、署側)が一方的に指名した10社程度の業者によって、競争入札される場合もある。
四、以下わかりにくくなるので注意してほしい。
国有林材販売に限っての特別な方法として、
○ 配材、つまり随意契約がある(随意契約は特売と業界でいうので、以下特売と称する)。こういう不思議なものがあるのは、公売が競争入札であり、採算を度外視して入れる場合もあるから、業界の育成のために安価な材を別枠で提供するというものである。
○ その払い下げ価格は往年は、公売価格の6割くらいであったが、いまは採算が悪くなったので、公売価格と大した差はないらしい(特売価格は一切公表されない)。
○ しかも、もつと不思議なことは、毎年春になると、各工場(原木商は公売材の転売を許されぬから、特売は受けられない)に対し、その年度の配材表が送られる。お前のところへは、こういう原木を安い価格で売ってやるぞというお達しで、製材側にとつては願ってもないありがたいものだった。
○ ところで、この安い特売材を沢山もらうことが国有林材産地経営者の腕になる。配材基準は前年の公売材購入の多少による実績によるというが、これも営林局、署の一方的な割りあてだから、実際には、どうとでもなっていた(なお、公売は局公売と署公売がある)。
○ もっとも安いといっても、営林局、署側の勝手な配材であるから、受けた土場に不適な材もまじることがある。配材を受けた材は転売禁止だが、挽くこともできない材をあてがわれても困るから(営林局、署側はその工場に適した材を配材としているというが)特売材でも不適なものは、他へ転売することは公然の秘密であった。
○ いずれにしても、特売材はもうけのもとであるから、業者の、特にボスは営林局、署側の職員に接待攻勢をして、いくらかでも特売材を増やし、そして特売材の内容をよくしてもらうことに、努力したのである。

 誤解を避けるため申し上げるが、現在このようなボスの暗躍は少ないと思う。でも、戦後20年位の木材産業黄金時代には、たしかにあったし、筆者が実際にこの目で見ているのだから仕方がない。
 いまの林野庁、木材産業界はこんな悠長なことはいっていられない。総火の車である。特売だって、大した慈雨となっていないはずで、配材の一部を拒否するところもあるようだ。もう、林野庁側も赤字覚悟と決め込み、大蔵省も黙認しているらしいから、そんなこともないと思うが、営林署が落ち目になったころ、営林署長などは、月末になると業者のところへ自転車で廻って、集金をするのに汲々としていたこともあった。
 実は、「林野庁特別会計事業」というのは、その販売生産物によって、各営林局、署の人件費をはじめ、諸経費をまかなわねばならぬことになっている。従って、どうしても、国有林の木を売って、その売上金が大量に必要である。手っ取り早いのは売価の高い原木を売って、金額をまとめることだ。国有林では、よく知床や白神山地のブナの純林などを伐るといって、世論の反対を買う。なぜ、われわれが見てももったいないあの天然林を伐ろうとするのかといえば、つまり高い天然木を伐らねば職員の給料が払えないのである。スーパー林道など一般会計でつくっても、結局、奥鬼怒林道のように、人も通さず未利用にしているのは、もとは奥地の貴重な材を伐って人件費をかせぎたかったからで、環境保全のためならスーパー林道一つつくることだっておかしい。
 さて、これらの林野庁特別合計事業は、もはや、未来永劫、不採算の事業として、毎年赤字を重ね、林野庁は国有林野事業の借入金(債務)残高が94年度(94年4月−95年3月)決算で、初めて3兆円を越すと発表している。
 また95年度予算の国有林野事業特別会計の資金繰りを見ると、事業収入2384億円に対し、事業費は5843億円であり、収入は経費の四割しか見込めない有様である。職員の数も1万2846人から、1万1391人と一割強削減する方針が示されているが、これはいわゆるリストラでなく、新規不採用や高齢などの自然退職者に多くを期待している。
 
●大石眞人氏関連サイト
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A4%A7%E7%9F%B3%E7%9C%9E%E4%BA%BA&ei=UTF-8&fr=usf&x=wrt

 森林機能の分業化(「水と緑と土」 富山和子氏著 中央新書 1973刊)
 富山和子氏略歴(著書より)
富山和子(とみやま・かずこ)1933(昭和8)年,群馬県に生まれる。1957(昭和32)年、早稲田大学仏文科卒業。
1967まで講談社に勤務。1979「川は生きている」で26回サンケイ児童出版文化賞受賞。現在,水利科学研究所顧問,自然環境保全審議会委員.中央森林審議委員などをつとめるほか,立正大学短期大学部教授でもある。著書『知性への挑戦・青梅裁判』(隣人社)『自動車よ驕るなかれ一日本自動車文明批判』サイマル出版社。『水の文化史』(文拳春秋)主要論文「北海道防風林の地元民感覚」「水の政治,経済.社会牲」

<森林機能の分業化>

 私たちはいまになって、人間が自然の力を借りて生きることを放棄したことの重大な意味を、かみしめねばならなくなっている。おそらくこの社会が犯した最も大きな誤算は、水に対する考えかただったにちがいない。水を自然から切り離して扱おうとした堤防万能主義、ダム万能主義によって、水はいよいよこの国土に足りなく、一方ではいよいよ暴れ廻るようになってしまった。
人間がこの国土に住みついてからこのかた、つねにその力を借りて生きてきた森林という自然の偉大な働き手を、なぜこの社会は拒否してしまったのだろう。
 森林は水を貯え、水源を涵養する。森林はまた土砂の流出を防ぎ、山崩れやがけ崩れを防止してくれる。緑色植物が太陽エネルギーを用いて行なう光合成で、大気中の二酸化炭素と根から吸い上げる水とを植物有機物として固定すると同時に、その余った酸素を大気中に放出することはよく知られている。2億年もの間、その酸素供給老として働きつづけてきた陸上の主役もまた、森林だったのである。
 森林は気温を調節してもくれる。森林の中は冬暖かく、夏は涼しい。真夏の日中東京の都心部の温度は舗装や人工熱汚染のため場所によっては50度を越えているが、皇居や公園の森林の中だけは水面と変わらぬ気温を保っている。風を防ぐため設置された防風林は、同時に豪雪や濃霧からも土地を守ってくれる。北海道旭川地方の水田地帯では、防風林が農地々冷害から守っている。また帯広地方では、防風林は豪雪から道路や農地を守り、さらにオホーツク海沿岸では、春の季節風を防ぐばかりでなく濃霧をも防いでいる。防風林ひとつが、まさに一人何役もの仕事をつとめてくれている。
 森林は野鳥をはじめ野生の動植物を保護し、彼らもまた森林に力を貸して土壌という新たな自然の生産力を培っている。それら自然の森羅万象がとどこおりなくくりかえされてこそ、人間はこの地上に生存する権利を維持できる。森林はむろん木材も提供してくれる。それらどれ一つの楼能を見ても、人間に必要不可欠のものばかりではなかったか。
 もとよりこの社会が、自然の横能を全面的に不要としてきたとは必ずしもいえなかった。森林にその機能を発揮してもらい、人間がそれを利用したいがため設置された保安林という制度もあった。しかしそのような制度にあってさえ、保安林は森林法第二五条により11種頼もの単一目的に分類され、実務上は実に17種類もの保安林に分けられて指定されている。水源涵養保安林、土砂流出防備保安林、土砂崩壊防備保安林、飛砂防備保安林、防風保安林、水害防備保安林、潮害防備保安林、干害防備保安林、防雪保安林、防霧保安林、雪崩防止保安林、落石防止保安林、防火保安林、魚つき保安林、航行目標保安林、保険保安林、風致保安林などである。そして、その指定の理由が消滅したときは、農林大臣は遅滞なくその部分につき保安林指定を解除しなければならないことが、森林法第26条で定められている。
 たとえば農地が宅地化したところでは、対象となるべき農作物がなくなったことにより防風保安林指定は解除される。ダムができれば、水源涵養の目的は消滅したとして水源滴養保安林の指定は解除される。まさに、降った雨はいま直ちにそっくり欲しいとする水思想の体現であった。
 防風林は農地を守るばかりでなく、毎日の学童の通学の道を守り、その地域住民の日常生活のすべてを風から守っていたはずであった。さらに風を防ぐ以外にも気温を和らげ水源を滴養し、木材も生産し、すでにその地域の自然環境の一部としてはかり知れない役割を果たしていたはずである。(富山和子「北海道防風林の地元民感覚」、水利科学研究所『北海道の防風・防霧林』所収)
 また水源涵養保安林とはいえ、水源を涵養することも土砂の流出を防ぐことも、土砂の崩壊を防ぐことも、本来一体のはずであった。たとえばダムが建設されたことにより水源涵養の必要性がなくなったとしても、指定が解除されて開発が進められた場合、土砂は流出してダムを埋め、土砂崩壊という事態も起こる。人間が森林を失うのはこの際勝手だといえるけれども、それによってダムを失い、目的とする水までも失うのである。しかも、あのバイオソト・ダムの大惨事の教訓もある。
 この社会が自然に対して捧げた最大の善意である保安林制度にして、このような森林棟能の分業化、自然を無機化する発想をもってのぞんでいたわけである。まして他のあらゆるとき、あらゆる場合に自然が無機化して扱われ、やがて姿を消していくことになったのも当然といえた。
 今日では緑が欲しいと叫ぶ団地の主婦の中にさえ、「でも落葉は困るのです」と本気で発言する者もいる。事実、多くの場合住宅地の緑化には落葉樹が敬遠されている。建築家は緑豊かな都市を設計するために街路樹の本数をふやすことは考えても、周囲を舗装で固めてしまうことに抵抗を抱かない。蝶々は欲しいが毛虫は困る式のこの発想、挨や虫を毛嫌いして自然から自己に都合のよいものだけを引き出そうとするこうした発想の中から、あの「公害に強い木」も誕生したのである。
 森林法が制定されたのは明治30年、あたかも河川法が制定された翌年のことであった。

●富山和子氏関連サイト
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%C9%D9%BB%B3%CF%C2%BB%D2&ei=euc-jp&fr=usf&x=27&y=14

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 須玉町といってもその範囲は広く、山奥にまで及んでいる。また山梨県の中でも歴史豊かであり、北杜市内ではその量も内容も特出している。また民族。風習や伝承行事も多くあり中には山村として独特のものも継承されている。この地域には伝説や民話も豊富であり、現代人はこうした地域を特級過疎地として大学や法人が跋扈していて、その出入り数も特出している。こうした御仁は須玉の将来などより自らの延命措置のためにさまざまな補助金をいただいたりしながら田舎を切り売りしている。またその都度調査された内容は多くの学会や研究書中には卒業論文などにも活用され、その結果田舎は少しもよくならず、法人などの資金源にもなる。古くは「民族探訪」(国学院大学民俗学研究会)の調査報告書があるが、その内容は細かであり、田舎は丸裸にされ、そうした環境にない都会人には奇異に映るかも知れない。まるで江戸時代のことのように感じるかも知れない。
 そこでその一例を掲げてみる。

民族探訪 山梨県北巨摩郡須玉町旧増富村(昭和43年度 国学院大学 民族学研究会編)

村の概況

 須玉町旧増富村は北巨摩郡(現北杜市)の北東に位置し、長野県南佐久郡と接している山村であも二千数百メートルの瑞牆山(みずがきやま)と八幡山から流れ出た川が二つの谷あいを漁れて塩川部落で合流し、塩川となっているが、増富村の各部落はその谷沿いにわけ入ってできたという感じである。谷に沿って、上の方から、黒森(四十戸)・和田(五十一戸)・御門(五十二戸)・神戸(五十六戸)・東小尾(四十九戸)・日影(二十八戸)・日向(二十九戸)・塩川(三十九戸)・此志(八十八戸)・樫山(十一戸)の十群落がある。
昔は比志・日影・日向」樫山を宮本村、東小島・黒森・和由・御門・神戸・塩川を小尾村といったが、明治八年七月に合併して、増富村となり役場を神戸に置いた。その後昭和三十四年に、近くの村と合併して須玉町になり現在に至る。
 各部落は斜面に多くの家がかたまってあるためか、昔から火事が多い。東小尾では三十年程前に全焼した。日向では明治四十二年にヤギシタの数戸とシタムラを残して全焼、四・五年前にも雷が落ちて二、三軒が焼けた。比志では、丸山善信氏が憶えているだけでも十数回あったという。七十二年前に、丸山の本家と一の新屋など七、八軒が焼け、昭和十四・五年頃に五軒屋で蚕から火を出した。最近では昭和四十三年一月五日に塩川に行く途中の山が焼けた。また東小尾では明治三十一年、三十五年、昭和十年頃七大水害があった。
 電燈は、比恵では昭和四卒に、東小鳥では十二年についた。電燈のつく前は、マツダイを使い、昭和の初め頃はランプを用いていた。水道は日向で昭和二十八年に敷設された。
 山間地であるため、耕地が少なく、年間気温も低く、繁通の俵も悪いため農業は振るわない。主生業は養蚕と山仕事である。たとえば昭和四十三年度の村全体の現金収入は、養蚕、林業、牛の飼育、米作の腹になっている。副業として、コンニャククなどを作り、炭も焼いている。出稼ぎも盛んである。各家の平均耕作地面積は、田三反、畑五反程である。林業は盛んであるが、県有林が全体の八十パーセントを占めていて私有林は少ない。村の人は自分の家の農作業のあい周に山仕草の下請をしている。
 大さな神社としては比志に旧称社の比志神社があを。祭日は七月十五日でかる.氏子は比志、日影、日向、樫山、塩川の一部である。また御門に旧村社の神部神社がある。神主は小尾氏が代務めている。氏子は黒森・和田、御門、神戸、東小尾、塩川の一部の人々である。
 大正三年に東小尾にラジウム鉱泉ができ、今では四、五軒の旅館もできている。この鉱泉では、比志の丸山武久氏の祖父の浩太郎氏が最初に金泉湯を始めた。

 アイジと祝神

 本分家翠櫛をマキまたはアイジというが、アイ汐(エージ)は血のつながりを言う、マキは族縁というべきもの、婚戚を含めるとシンルイという。オオソウヤとは総本家のことで、次の代がソウヤ、次の代がシンヤである。オオソウヤとソウヤ、ソウヤとシソヤその、結びつきをアイジという。すべての親類の集りをマキという。従ってマキの関係はアイジよりも血が薄くなっている。ヨセマキという言葉もあるように、全く別のアイジとアイジが寄って、一つのマキを結成することもある。昔は、本家から分家を出す時は土地を(山も耕地も)半分に分けて与えた。田など、真半分の所に石を置いて分けたりした。アイジは隣り合っていて、ぴったりと合うのでその名がついたともいう。たくさんの分家を出した家は、どんどん小さくなっていきがちであった。何代かたつうち土地争いもあった。そのうち、土地を分けなくともアイジと呼ぶようになった。
 マキにも本マキと遠マキがあり、本マキとはオオヤ、シンヤの関係で.結ばれたものをいい、遠マキはオオヤ、シンヤの関係のないもので、本マキの人に頼めば入れてもらえる。現在、分家は表向きはマワケ(均分)であるが、六、七分を分かに分ける。家だけ建ててやって面倒見るのが一般で、日向ではアイジに出すには畑を一枚くれるだけであった。姓が違っているのにアイジになっているのは、特別にかわいがって、土地をやったりした場合の時である。普段は特別なつき合いはないが、婚礼や葬式の時にアイジとソウヤの関係がはっきり表れる。嫁の.世話などはマキの中心がやった。法印様はソウヤカブに休んだ。
 フデイとキタレモンと呼ばれるのがある。フデイは他から来た人であるが、勢力のある人から、その人の姓ではなく逢った姓をもらったものをいう。例えば「比志」の姓の人から、「志」だけもらって「志内」と名乗ったり、「小沢」か「沢」だけをもらって「成沢」と名乗ったりすることがある。キタレモンは他から渡って来た者で、ロクプなどが落ち着いた者をいい、姓をもらったりすることがない。
 塩川にはマキが五つあるが、結合の強いマキは小林九萬氏のマキと相原マキである。日向では三軒ないし八軒からなるアイジが七つある。アイジに属さない家はない。各アイジはそれぞれ別の神を祀るが不明のものもある。神戸にはマキが九つあるが、地域的に固まっておらず、村の端と端の家が同じマキという例もある。和田には藤原マキが七つあり、そのほかに笠井、杉本、藤本、油井・高橋・湯沢・坂本の七姓がある。黒森には六つの一マキがある。だいたい地域的に固まって一つのマキを構成しているが、甲には、部落の両端にある家が同じマキに属している例もあり、また近年のうちに分れたような例もある。アイジという言葉もあるが、黒森では同じものである。マキ内でイワイジンを祀るが、六つのマキそれぞれにあるわけではない。イワイジンを祀らないマキもある。

 個人名も多く出るので、今後こうした調査は公表されるものであり一考を要する。

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 現在準備中です。2名くらいで何百人、何千人の子供や家族を相手にしますが、何の予算もありません。せっせと年間集めた間伐材や家の加工端材を工夫して参加します。子供や家族の周囲を山梨の樹木で一杯にしたいといつも考えています。

関連サイト
http://sky.geocities.jp/rinsankakou/

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