サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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 私がこうした問題に固守するのは、私はそうした厳しい山作業や林業に携わってきたからで、それが山村文化であり、田舎の風情である面では掟でもあった。ある日大規模な森林整備(赤松皆伐採桧植林)地で、無残に転がり重機に破棄された石祠を見たときに、その配慮のなさに唖然とした。現在官民一体となって緩斜面や平坦地に近い場所に作業が集中する。これは機械作業ができる地域で仕事量も増す地域でもある。県有林や国有林は急斜面に位置していて、作業がはかどらない。出来高林業では誰もが平坦地を好む。しかしこれでは森つくりは中途半端であり不完全のものとなる。
 山梨県に今一番求められるは、針葉樹の場合は「売るために造林・育林」で」あり、ただ単に国指定の作業量確保のためのものであってはならない。しかしその作業地を見て感じることは、育っているという感じは生まれない。
 私が生きた幼少年時代には、山が生き生きしていて、働く人たちも良材を育てないとすぐに競争に負け生活も支えられない。だから山ノ神の神事など盛大に行われてきた。そのシンボルたる石祠などは里山の入り口や中間の林道沿いにあり、中には山の中には墓がある。石祠であってもそれは行き倒れの人の墓であったり、伝染病で亡くなった場合などその遺体処理も集落の仕事で場所を決めて焼いたそして埋葬して簡単な墓石や祠を建てた。いまでも木の葉に埋もれた祠が散見できる。またなかには集落や小単位集団の共同神もあり、多くの信者もいた。それは山仕事のような危険な仕事ほどその信仰心は強くなる。これは大切なことで今でも守るべきことなどである。機械作業でも手作業でも山に人が向かい時には当然の事でもある。しかし林政の手が里山にも及び、間伐や除伐も事業体と機械作業が中心になり、神も仏も関係ない人々や所轄官庁により、消失していく運命にある。単なる仕事場になってしまった。
 私は調査の過程で数多くの祠を立て直してきた。その数は多い、中には重くても難作業の場合もあった。これは続けて行きたい。しかし中には明野町に造成された企業森や教育の森の側道の傍らに麹などにより壊されそうになった信仰対象の石造物を安置してあり、ほっとした。こうした取組みこそが観光面でも地域郷土保持の基本でもある。
 林政講師と称する方々も少しはこうした過去の山仕事や信仰心を学べば、現在のような荒い事業は少なくなるとこ請け合いである。
 山野で祠の上に周辺事業の樹木根や農業資材の放置が現在の農水省の事業展開を象徴している。

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