サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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植林森林の衣替え

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夏が近づいてくると、人間社会だけでなく森林樹木社会も「衣替え」をする。特に必要のない皆伐採地植林樹木も現在「衣替え」が進んでいる。しかしそれは先行きのない「衣替え」である。「死滅」が待っている「衣替え」である。早ければ来年遅くても数年で倒れて、二酸化炭素の放出をはじめる。この森は放出する二酸化炭素の量が吸収量よりはるかに多い。

http://blogs.yahoo.co.jp/sabutyan65

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 無造作に繰り広げられる森林作業。大型機械が自慢そうに山地を破壊していく。それは数十年の蓄積。
 私にはその目的が理解できない。多くの作業地は植林地であり、山村では生産の場である。循環森林であり、それが当然のことで現在本質的にはかわらなくて形態的に凄まじい変化をしている。よほどのことがない限り、生産流通の先行きのない中での森林作業は無い。間伐も枝打ちも除伐も有料木材生産があっての作業である。sこには現在のような二酸化炭素吸収などのことは関係の無いことである。それは現在の閉塞する林政と地球温暖化防止「京都議定書」のための森林作業ではないはずである。
 地球温暖化防止のために、森林整備がどうあるべきかは大きな疑問で、専門家でも現在状況を是とする人はいない。それは作業量事業量の増加は=地球温暖化推進であることは、林政がもっとも理解s手いることで、それが理解できないようではお寒い限りである。
 簡単に言えば広葉樹を無視してしかも植林樹木のみを間伐乱伐してもそれは狭い考えと巧みな机上森林論である。現在の考えには戦後森林を研究した学者のような理論も少ない。現在は行政に囲われている研究員の成果もその中の持論展開ばかりで実際の森林には生かされない。表層森林論ばかりで見るべきものもない。本来なら自由に述べることができることが望ましい。
 林政が作業率アップのみを拡大解釈して、森林破壊の現場で、研究者や学者と話してみたい。間伐地で地球温暖化防止の話もしてみたい。
 日本の植林森林はは需要と供給のバランスの上にあり、現在のような植林しても育てない売れない林業はいつになったら見直されるのだろうか。
 ボランテイア活動・企業参加森林整備、それはそれで評価すべきことかも知れないが、その成長させた行く先がまったく見えないのも情けない。
 林野庁は伐採時や間伐時に大してどんな指導をしているのであろうか。

  最近の間伐放置林では、倒された間伐除伐財が鹿の食育を進めている。これなど林業の単発事業であり継続性を持たない事例である。この森林には行政も何回か訪れている。ただそれだけである。
 林野庁なども他力本願ではなく、職員が自ら育み理想的な森林を育ってもらいたい。できたら地方自治体派遣でなく、私のとこに数年預けていただければ、徹底スパルタ教育を現場実践して鍛えなおしたい。

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 私たちのような森林作業や製材加工などの作業は、いかに幼少からその作業風景や実感を養うかが大切である。昔の林業人は現在と違い幼少から仕事環境豊富で知識や技術も地域や周囲の仕事人から学んだ。現在のような絵に描いた林業知識などまったく見なくても、成長していくと、おじいさんのお父さんの山を守り生産していった。
 歌舞伎の世襲制とよく似ているのが仕事師の世界である。ほんらいなら林野庁やその関係の行政マンにこうした環境で育った人が多ければ、現在のような森林整備は行われない。樹木草木にも生きていて、それが地域環境の源になっていることの理解があれば、重機で木材を振り回すことはない。
 現在の林業の荒さはそれは林政の粗さでもある。山梨県などどこに行っても重機森林ばかりで、作業の後は東南アジアの伐採荒廃地にも似ている。困るのはそれが当然のように経過していくことが悲しい。
 昔では現在は森林樹木を伐ることはない、水を揚げている時期の樹木は使用に耐えない代物でタブーであった。また放置して腐れが早い。
 どこかに理想的な森林育成の場があるのだろうか。日本の森林の行く末は??。

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 山梨県や北杜市などは国家行政の文化振興・農業振興・産業振興・林業振興などの多くは財源の乏しい山梨県などは格好のターゲットになる。中には何でも補助金・非常事業に飛びつく首長も多い。そこに住む人も人の金でする事業には一部の営利目的いがいでは無関心である。
 しかしここにおおきな危険が潜んでいる。その事業展開の結果、地域の人々は本来の財産である風光明媚な山村景観や農村景観を失っていく。田舎がこれからは自然産業の広大工場ともなる。造成され憩いの場を失う農業団地などそこには風情などまったく存在しない。また観光なども落ち着かずに常に衣替えを繰り返す。本来の良さを失うことに平気になれば富士山のふもとの芝桜に何の抵抗もなく観光集客の手段となる。本当に富士山に芝桜が似合うのであるか。太宰治のゆうように、やはり富士山には月見草が似合う。芝桜を植え自衛隊が砲弾を放ち大型観光マシーンが空を飛び交い、森林を失い、狭い湖畔の道など車も通れない環境で、富士山世界遺産登録など遠のくばかりである。富士山ほど秀麗で汚れた山はない。

 文化や地域興しなどには有名人や著名人が訪れ行政の香りを後ろに携え、自慢そうに自慢話をする。大半の人は子守唄のように睡眠時間。この前も忘れされそうな俳優が、今度は田舎で百姓をするという、話を大枚叩いて講演会。有名人の農業など脚光を浴びても、蓄積した農業人の目次に至らない。田舎を馬鹿にするな。あなた方の冥土への橋渡しではない。

 さて最近、私にとってこうした行政文化の草刈場、押し付け文化の地域から、久々に文化工芸作家が生まれそうである。田舎出身の工芸家は都会人の言葉と話術工芸それに田舎を見下す目を持たない。
 私は彼女の製作する絵画や工芸には素朴さと愛らしさそれになんといってもやさしさがある。本来なら地域とはこうした人々を育てることが肝要であるのに、都会被れエセ文化被れした行政マンはその素晴らしさに気がつかない。私は彼女の作品を見るたびに心が躍る。それはその作品の多くに樹木が使われることである。樹木の活用や利用を忘れて、常にどうでもよい林政を展開する林野庁や関係者に、こうした取り組みを語る四角はない。森林を大型機械で破壊して農村景観や森林景観まで破壊する行政からは文化は決して育たない。日本の砂漠化は行政によって推進されている。

 作品は白樺を自然に反らせ、それを紙やすりで削り、自然形態変化を感性で工芸品にしていく。この元の反らす作業過程から生まれる技では、皿やお盆などその多くが生まれる。現在の進みすぎた工芸品と違って、自然樹木と工芸人の一体感が備わる。いずれ作者も紹介したい。私の周囲には多くの工芸かが住んで居られるが、私はいまだに感動したことはない。それは作者や工芸家の技が自然を封じているからである。

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