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特別名勝をゆくケーブル
「太陽」昭和41年発行 42年新年号掲載記事 平沢正夫氏著
( 日本一金になる山)より
霊峰富士のドテッ腹に,これまた穴をあけるプラン
夢と希望のあるお話をもう一つ。「45年の万国博までには,ぜひやりたいですなあ」富士急行の杜長・堀内光雄氏も,負けじとばかりに,感慨をこめて“夢"を語りだす。
霊峰富士のドテッ腹に,これまた穴をあけるプランである。山麓一帯の交通網をほとんど独占する富士急のこと,そのトンネルにケ一ブルをとおし,一気に山頂まで,お客を運びあげようというのだ。
プランそのものは,“モグラ・ケーブル"のニックネームで,いろいろと人の口のはにのぼっている。
すでに昭和10年9月,元貴族院議員の貴金属商・山崎亀吉氏が許可申講をだしたことがある。
「富士は,六根清浄を唱えてのぼる霊山だ。国立公園という見地からも賛成できない」
と,当時の内務省に断をくだされ,あえなくポシャッてしまった。
第2号は,戦後の25年2月。山梨県出身の若尾財閥の当主,若尾鴻太郎氏が出願したが,若尾氏の死にあい,計画は消え去った。以上の二案は,いずれも山梨県富士吉田からの路線であった。
三度目は静岡県側から出された。35年12月のことである。冨士宮口を起点にする建設案だったが,申請のしっぱなし,現実にはいたらなかった。
若尾氏の第二案の実現をめざし,富士急の会長・堀内一雄氏(当時は社長)は,丸ビル内の東京支社を設立事務所にあてるなど,大いに肩いれをした。そのイキサツから考えて四度目に,富士急じしんが単独で名のりをあげたのは,当然といえるかもしれない。
「40年の外人観光客は36万7,OOO人だった。そのうちのどれだけが,日本のシンボルともいうべき富士山にのぼっただろうか。いまのままでは,外人にのぼれといってもムリだ。ヨーロッパヘいけば,アルプスのユングフラウは電車でのぼれる。富士山も,外人がのぼれるようにしなければいけない」
堀内社長(会長の長男)が申請を出したのは,38年の9月であった。その案によると,富士山の西南側の山腹,高さ2,500メートルの地点を起点にする。途中,八合目(3,400メートル)でいちど乗りかえ,頂上駅(3,722メートル)にいたる。所要時間は,八合目まで8分,頂上まで7分,計15分。路線の総延長は約2.3キロである。そして,五合目駅までは,富士宮登山道の三合目から,舗装道路で連絡する。とにかく,これで,東名高速道路を100キロでスッとばせば,車とケーブルをのりつぎ,東京から富士山頂まで,2時間たらずの行程になってしまう。
工費は約27億円。2年あまりで完成の予定だ。いまからでもおそくはない。万国博にはゆうゆう間にあう。ただ,許可の見とおしが----問題である。
この地域は,国立公園であるとともに,文化財保護法による特別名勝にも指定されている。そのため,普通の場合とちがって,厚生省と文部省のOKをもとらなければならない。
富士急が串請をしてから3年以上の年月がたつが,いまだに許可がおりないでいる。
「文化財保護委員会の委員ときたら,70才,80才のおじいさんだから,頭が古くてねえ」
昭和5年生れの青年社長,堀内氏は嘆きの表情をかくそうともしない。日光,箱根その他の国立公園にも,ケーブルはいくらでもある。むしろ,特別名勝であることが,富士山のモグラ・ケーブル実現の障害になっているようだ。日本一の名山というのが,富士山五合目以上を特別名勝に指定した理由である。
さて,そうなると,文化財保護法第80条により,現状を変更したり,保存に影饗をおよぼす行為をするときには,文化財保護委員会の許可をえなければならないのだ。
「許可をするかしないかの基準に明確なものはない。世論の代表的な見方によってきまるといってもいいでしょう」
この文化財保護委員会の見解をおしすすめるならば,時代がさらに変り,文化財保護委員のご老体たちが天寿を全うするまで,モグラ・ケーブルに日の目を見させることはむずかしいようである。
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