
とにかく白州には遺跡や遺構が多くあった。そう過去形である。サントリーに位置する西北側は特に多い。農場整備事業前には、多くの遺跡調査が行われ、人骨さえ一体出てきた。また古代から中世までの遺跡や遺物も畑の横や土の道路に散乱していた。また馬場美濃守信房公の屋敷跡(未確認)もあった。私たちは正式な調査はできないが、それでも遺跡に当たることもある。それは工事現場や圃場整備事業など急速に進むと遺跡調査を省くことが多い。現在の名水公園一体の遺跡群は農水省によって大量は破壊されてしまった。これは事業期間が迫っていたいたためで、それこそ無数に散乱する土器や石器は今でも脳裏に焼きついている。長野県の考古学者(知人)がやってきて「もったない、ここは関東でも通年遺跡として一級である」と感嘆して、早速県の所轄に連絡、農水省関係の人物も数人きて「公表しないでくれ」との言葉を置いて帰って行った。
公表もなにもない。私はこの工事の2年間それこそ毎日通い、キャタビラの隙間の土器や大量の土器の積層群を写真に収めた。またこの地域は地層の隆起も多く現れた。現在でも白州中学校を左折して横手方面に向かい尾白川橋を渡った、すぐ左の山肌にはいまだにクッキリその形跡が見える。
さてサントリー周辺でもどんな工事でもあるとそっと見に行く。中には遺跡の囲炉裏跡の上に家が建つ場合もある。本来なら届けるべきであるが、現在は。あるときなど電柱を建てるのに数メートル穴を掘る。その土砂の中に土器が含まれていることもある。白州は砂地であるが、中には押し流された土砂数メートル下から土器がそののまま出てきたことがる。これは上流にあった住処が鉄砲水なので、一挙に流されたことを示している。現在サントリー上部を走る大幹線林道沿いから中世の茶碗が数個出てきたことがある。これは当時の街道が現在の大幹線林道を巻きながら通過していた可能性もある。現在のサントリーの水源の森の先の平久保の池を一度すっかり干したことがあるが、そのとき中性の土器が出てきたこともある。
現在では大型工事でもほとんど遺跡調査をしない。出たら数ヶ月は調査にかかる。大型遺跡だと数年かかる場合もある。工事の途中でもそうしたものを発見した場合は届けることになっているが、ほとんど届けない。というより遺跡が異物がわからないのだ。
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