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<図版資料。
ある歴史の公僕教訓なるものがある。それは何事にも熟慮してことに当たれということで、パホーマンス政治が目立つ昨今、忘れてはいけないことでもある。
熟慮の後にことに当たれ
身分が低く貧しくても、卑屈になることはないし、高い地位につき豊かな財力があるからといって、得意になってはいけない。
また、嬉しいことがあるからといってはしゃぎ回り、悲しいことができたからといって、ふさぎ込むようなことではいけない。
国や主君には、忠実、信義を尽くして仕え、家族、家臣に対しては慈愛の心を忘れることなく接しなければならない。
忠誠の限りを尽くそうとつとめているからには、朝廷内のことを人にもらすことなど決してするべきではない。
松や柏の大木のもとには草が生えぬように、偉大な人物のいるところにはつまらぬ人物はいられない。
しかし、曲ったよもぎのくさむらの中にも真っ直ぐな麻が生えるように、邪悪な人々の中にも節操を保った人はいるものだ。
塞翁の馬のたとえの通り、人生の吉凶禍福は予想できない。大任を受けても、任を果たすために苦心惨憺(サンタン)するのは、南司(ナンシ)の悩みと同じである。
ことばを憤重にして、怨みや怒りの心を忘れ、身の行ないを正しくして、色街の歓楽を避けよ。
思えばこの世は、水に映る月影や風に飛ばされる花のように、まことにはかない一時のことに過ぎない。
それならば、どうして一身のかかり合いになるものから離れる必要があろうか。どうして、身の回りいっさいのものをふり捨てなければならないことがあろうか。そんな必要はないではないか。
何ごとにおいても、行なう前に熟慮に熟慮を重ね、その後にはじめてことに当たるように心がければ、現世も来世も、ほぼ願いどおりになるのでなないか。
今回のサントリーと北杜市の仲良しぶりは、そこに町民不在があからさまである。地域の不安や心配を無視してて、とういより考えないで大型水工場建設を何の検査もなく資料もない中での取り決めは今後の大きな憂いになる。今でも取水過剰であり、井戸水が涸れたり地震のことなど不安がいっぱいである。
そうしたことをまったく無視して企業と握手を結び恩恵を与える行為は理解できない。
つい最近までは「ミネラルウオーター税」や「水源税」などで、ある面では市民サイドの攻防もあったはずである。ところが一転して同胞として進む姿ははかない。これで町民の良識のある人々は自ら戦う道しか残っていないのか。
「熟慮の後にことに当たれ」
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