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毎日森林火災が続く。森林不整備や乱雑な森林管理が被害を拡大する。枝打ちや間伐材の残材が大きな要因となる。これに関しては林野庁は推し進めたのであるから何も指導できない。しかし現在さらに伐り捨て間伐放置林を作り続ける行政を誰が指導できるのであろうか。森林火災は人家火災とも重なって深厚な問題なのに、一向に対策を取れない。これには現在の林野庁の予算を全て使っても解決できないほど広範囲でしかも年々増加傾向にある。最近やっと木材の山野からの搬出が進められているが、それも市場が不況になれば忽ち山野のごみとなる。木材などはよくて三年早ければ一年でも腐食発酵が始まり、二酸化炭素の放出源となる。しかも山地は梅雨時期から秋にかけては湿気が多くその度合いは激しさを増す。しかし最近のように暑くなると自然発火も予想でき、如何に山野を整理整頓しておくかが、森林火災を最小に抑える大きなもので、現在のように大型機械で心無い作業ではこうした配慮はできない。森林を資源と見るならばペレットにこだわる偏見林業などまったく不可思議な話である。数百に及ぶ樹木の活かし方を今こそ実践すべきで、建築用材から離れた林政が求められる。 |
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2009年04月11日
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私たち個人で林業に携わる人間は農林水産省や林野庁などまったく関係ない存在である。これまで懸命に生きてきて周囲を見回すと、その殆どが止めてしまったり他の仕事に転換していった。林政も直接林家への助成援助や生き抜くための方策など全く示さず、自らの保全に勤しみ借金の山を築いた。しかもその要因を山林所有者の手放した森林を保林育成したからだと嘯く。こうした悪しき慣習は今でも続いている。林政と林家を結ぶべき事業体は販売を捨て利益を補助事業に求めた。その行為が林家の山離れを促進した。現在行われている各種の補助事業を事業体でなく直接林家山林所有者に行き渡る施策があれば、たとえば維持困難の山林でも適切な維持管理者を直接選ぶ自由も生まれたはずである。林政も昭和50年当時から押し寄せる自由化と住宅事情による使いやすい外材への偏重から、それまで普遍的に展開していた、「植林→育林→成木→伐採→販売→生計・植林」の二代から三代にわたる森林経営が破綻してしまった。この間の林業白書など傾いた林政と自らすべき行為を理想論に置き換え財政圧迫を国民にゆだねる「分収林制度・緑のオーナー制度」などの何の当ての無い施策を展開して周囲の事業体の運営費に展開させた。この昭和末期に将来木材販売が好況になるなどの予測は専門家なら誰も考えないことで、悪化予測しかなかった筈である。そして売れない売らない中でも事業体の林業施業は続き、人手不足と称して大型機械を神の山に入れ、木を育てるための植林や造林でなく事業費の受け入れの為のものに主流が変わった。それから数十年樹木森林は自然現象や事業により、持ち出さない持ち出せない木材が山野に放置され、しかもそのことに不感症になった林政を捨てることを奨励して予算計上して山野を壊してきた。中には稀に正常の植林地や造林地を見るが、その殆どが無駄な無理な将来の見えない森林多出させてしまった。しかも放置した森林に「認証林」などの造語をつけて、さらに隣家の山離れを促進した。事業体ありきの森林管理などとっくに崩壊しているのに、時代に即応した森林管理販売など求めても応じれない環境までもつくってしまった。 |
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