サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

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技術は資源を食いつぶす手段
(瀬尾健氏著『地球・環境読本』別冊宝島101 1989年)(数字変換)
 
 以上、ざっと人類のエネルギー利用史を概観したが(ただしヽ西洋文明に支配された地域だけの話である)、ここからすぐわかることは、人類が一貫してエネルギー資源を食いつぶしてきたということであろう。それも食いつぶすエネルギー資源が、簡単に手に入るものから、次々と利用困難なものに変わってきている。まず森の木を切り尽くし、石炭に手を出し、石油に乗り換え、石油がなくなるから原子力、そして未来の核融合、という具合だ。後になるほど高度の技術を要するから、必然的に技術の改良・革新が促された。まさに技術は、エネルギー資源を食いつぶすための手段であったのだ。そしてそれに伴ってエネルギーの正味の収穫は低下し、ついには投入エネルギーの方が上回る事態になってしまった。
 当然のことながら、これらの資源は無限にあるわけではない。各エネルギー資源の埋蔵量を、現在の世界全体の年間エネルギー消費量で割ってみると、石炭は480年、石油は40年、天然ガスは35年、ウランは8年ぐらいになる。この数字の意味は、年間エネルギー消費量が変わらなかった場合、例えば石炭だけでこの消費を賄えば、480年で石炭資源が枯渇することを示している。右の数字を見る限り、石炭は当分なくならないにしても、石油や天然ガスは数10年、原子力の原料になるウランはもっと少ないことがわかる。限りあるものを使えばいつかはなくなるのは当り前のことだ。
 石炭や石油は、太古の地球に降り注いだ太陽エネルギーが数千万年から数億年かかって蓄えられたものである。これを数百年で食いつぶすというのは、それが生成されるまでの10万倍から100万倍のスピードで消費していることになる。放蕩息子がひたすら遺産を食い散らしているというのが、今の我々の姿である。我々が使えば、それだ
け子孫に残す遺産が減っていく。消費すればした分だけ、人類は貧しくなっていく。
 こういう子供でもわかる理屈をまじめに受け入れようとせず、あなたはまだ、科学技術の幻想にしがみついて、新たなエネルギー源に望みを託すつもりなのだろうか。
儲けを独り占めにする電力会社
(瀬尾健氏著『地球・環境読本』別冊宝島101 1989年)(数字変換)
 
我々の生活そのものも、エネルギーの浪費を強いられている。人口が都市に集中し、それが土地の高騰を招き、人々はせまい家に押し込められ、通勤地獄に苦しめられている。人口が密集して風通しの悪い家に住めば、暑い夏にはクーラーが必需品となる。快適な家への夢を断たれた人々は、せめてもの憂さ晴らしにマイカーを買いこみ、用もないのにドライブに出かけていく。趣味を聞かれてドライブと答える人が多いというのは、何とも情けない話ではないか。
 必要だから消費するのではなく、企業の儲けのために消費する、むしろ消費をさせられるといった構図は、資本主義一般に認められる特徴であって、エネルギーについても例外ではない。とくに問題なのは、エネルギー産業の最大手である電力会社が独占企業であり、無競争で儲けを独り占めできることである。電力会社は国策として、絶対に損をしない,ように保護されているため、無駄な投資でもすればするほどそれを電気代として消費者に転嫁し、儲けが増える仕組みになっている。原子力が大量の石油を浪費するだけのものであろうとなかろうと、とにかく原子力発電所をつくれば儲かるのだ。
 電力会社が日本ほど保護されていないアメリカで、原子力発電が壊滅状態なのを見れば、原子力の虚構は一目瞭然である。発電設備をつくり過ぎた日本の電力会社は、省エネルギーのかけ声もどこ吹く風、最近ではなりふり構わずエネルギーの浪費をあおって恥入る風もない。
技術は資源を食いつぶす手段
(瀬尾健氏著『地球・環境読本』別冊宝島101 1989年)(数字変換)
 
 以上、ざっと人類のエネルギー利用史を概観したが(ただしヽ西洋文明に支配された地域だけの話である)、ここからすぐわかることは、人類が一貫してエネルギー資源を食いつぶしてきたということであろう。それも食いつぶすエネルギー資源が、簡単に手に入るものから、次々と利用困難なものに変わってきている。まず森の木を切り尽くし、石炭に手を出し、石油に乗り換え、石油がなくなるから原子力、そして未来の核融合、という具合だ。後になるほど高度の技術を要するから、必然的に技術の改良・革新が促された。まさに技術は、エネルギー資源を食いつぶすための手段であったのだ。そしてそれに伴ってエネルギーの正味の収穫は低下し、ついには投入エネルギーの方が上回る事態になってしまった。
 当然のことながら、これらの資源は無限にあるわけではない。各エネルギー資源の埋蔵量を、現在の世界全体の年間エネルギー消費量で割ってみると、石炭は480年、石油は40年、天然ガスは35年、ウランは8年ぐらいになる。この数字の意味は、年間エネルギー消費量が変わらなかった場合、例えば石炭だけでこの消費を賄えば、480年で石炭資源が枯渇することを示している。右の数字を見る限り、石炭は当分なくならないにしても、石油や天然ガスは数10年、原子力の原料になるウランはもっと少ないことがわかる。限りあるものを使えばいつかはなくなるのは当り前のことだ。
 石炭や石油は、太古の地球に降り注いだ太陽エネルギーが数千万年から数億年かかって蓄えられたものである。これを数百年で食いつぶすというのは、それが生成されるまでの10万倍から100万倍のスピードで消費していることになる。放蕩息子がひたすら遺産を食い散らしているというのが、今の我々の姿である。我々が使えば、それだ
け子孫に残す遺産が減っていく。消費すればした分だけ、人類は貧しくなっていく。
 こういう子供でもわかる理屈をまじめに受け入れようとせず、あなたはまだ、科学技術の幻想にしがみついて、新たなエネルギー源に望みを託すつもりなのだろうか。
 
原子力と核融合の無惨な現実
(瀬尾健氏著『地球・環境読本』別冊宝島101 1989年)(数字変換)
 
 ところがこの原子力は、当初のバラ色の期待も空しく、冒頭でも述べたように今や惨惜たる状態である。
 そのすべての困難の原因は、原子力というエネルギーが石炭や石油のような太陽エネルギーの缶詰ではなく、まったく異質のエネルギーであることにある。原子力は石炭や石油のように、分子・原子のレベルから出てくるエネルギーではなく、それより10万分の1も小さな領域から出てくる(したがって10万倍もの温度で特性づけられる)
エネルギーであって、従来の技術で扱ってきたものより10万倍の難しさがあっても不思議ではない。
 石炭や石油は取ってきて燃やせば簡単に1000度もの温度が出せるけれども、原子力の場合はそうはいかない。ウランを含んだ岩石を大量に(石炭の何百万倍もの量を)掘り出してきて精錬し、おびただしい電力を使って濃縮し、精密に燃料を加工し、さらに火力発電所よりもはるかに大がかりに安全防護設備を張り巡らした原子炉に入れてはじめて、電力が取り出せる。それ以外に原子力の利用の仕方はなく、しかも電力しか取り出せず、そのうえさらに、発生したエネルギーの三分の二は海へ捨てざるを得ない。原子力は高度の技術をもってしてはじめて利用できるエネルギー資源だが、まさにそれ故にこそ、正味のエネルギーが得られるのかどうかもおぼつかないという、まことに情けないことになるのである。
 未来の無尽蔵のエネルギー源として喧伝されている核融合についても、事情は同じか、もっと悪い。実用化の時期の予測が、時が経つほど遠のいていくという事実がこの技術の本質的困難さを示しているし、当初バラ色に描かれた「クリーン」で「無尽蔵」というキャッチフレーズも、すべて嘘だったということが明らかになってきている。さらに、複雑で高度な技術に頼らなければならないという事実はやはり、核融合も正味のエネルギーを生み出さないことを強く示唆している。
 最近、核融合を推進する人たちからも、核融合だけでは採算が取れないから、従来の原子炉と組み合わせて複合炉として実用化する必要がある、という声が出ている。複合炉なら採算が取れるといっても、それは膨大な放射能の長期保管管理や大事故による損失などをすべて無視したうえでの採算だったことを思い出そう。
 

 
百年前の代替エネルギー論争
 (瀬尾健氏著『地球・環境読本』別冊宝島101 1989年)(数字変換)
 
昔の人々は、ほぼ「同時代」の太陽エネルギーだけを利用していた。近代文明発祥の地となったヨーロッパでもそうであった。
 四世紀頃までのヨーロッパは、今では想像もつかないほどびっしりと森林で被われていた。ところが、建築用材の需要による大規模な森林伐採と農地拡大によって、17世紀までにはこの広大な森林はほとんど姿を消してしまったという。人々は暖房用燃料の不足に悩み、新興産業のエネルギー源の絶対的不足をきたし、ここに人類最初の「エネルギー危機」に直面することになった。あれほど広大な森林も、無計画な乱伐の前にはひとたまりもなかったのである。
 この「エネルギー危機」を切り抜けるために、人々は石炭に手をつけた。石炭が燃料に使えることはもっと古くから知られていたが、人々はいろいろな意味で本よりも劣る石炭を顧みなかったのである。石炭は汚いし、燃えにくく、燃やすど臭い。そのうえ何より問題なのは、石炭は本のように簡単に取ってくるわけにはいかず、多くの場合、地中深く掘らなければならなかった。地中深くから石炭を掘り出すには大変な労力を要したし、大がかりな換気と、湧き出てぐる大量の水を汲み出す必要も生じた。これらの難問を解決するために蒸気機関が発明され、産業革命の口火が切られることになる。だがその後、石炭が動力機関の エネルギー資源として大量に使われるようになると、資源の枯渇が早くも問題となった。今から百年以上も前に、石炭代替エネルギーが議論されていたのである。
 石油についても古くから燃える水として知られ、ランプなどの照明用として使われていた。しかし、石油の採掘は石炭と比べて、さらに高度の技術を要する。したがってその動カエネルギー源としての本格的な利用は、石炭より百年以上遅れることになった。
 だが、石油の探鉱技術と利用技術が向上するにつれ、輸送が便利で用途の広い石油は、エネルギー資源の王座にのし上がってきた。そして現在、生活の隅から隅まで石油に支配される、まさに石油漬けの便利な生活を我々は送っているのである。それと同時に、石油資源の枯渇が問題となり、「エネルギー危機」が叫ばれ、代替エネルギーが議論され、たまたま発見された原子力が、約束された未来のエネルギーであるかのように祭り上げられるにいたったのである。
 
 

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