サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

富士山資料室

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富士山に登った人(参考 「富士山 史話と伝説 」遠藤秀男氏著)

 1、日本武尊
 尊が蝦夷を平定後の帰り道、甲斐の吉田の地で富士山により、仮の鳥居を立てた。尊の伝説は山中湖や富士山周辺に数多く残る。尊が土地の賊の計略で、草に放火され窮地に立たされたが、ネズミの教えで周辺の草を薙ぎ払って危難かえあ逃れた「草薙」や「焼津」の地名が残った。この地名が山梨県側にあったとする説もある。

 2、聖徳太子
 推古天皇6年、聖徳太子は数多くの名馬の中から「甲斐の黒駒」に乗って、富士山頂周辺を巡り、信濃方面を散策して戻る。この伝説は甲斐の黒駒地方に色濃く残っている。さらに太子は富士山頂上で大河を発見したり、毒蛇にあったり、
その毒蛇が大日如来に変身したとも伝わる。


 3、弘法大師
 弘法大師の登山は、大同年間(806〜)須走り浅間で修業して、大師自身の机が残っている。

 4、役小角
 「えんのおづね」は、「役の優婆塞(えんのうばそく)ともいわれ、大和の人で、晩年は当時の朝廷とも深い係わりを持っていた。全国津々浦々にその伝説は伝承されている。彼は30歳頃に食事を一切絶ち、松皮や松脂を食して自然界に身を投じた。彼は富士山登山の第一人者として今でも語られている。


 5、日蓮
 文永6年(1269)富士山の中腹「姥が懐」で修業。自筆の経王をそこに埋めたという。

 6、武田信玄
 八葉召さるるなり(「妙法寺記」) 大永二年(1522)登山。

富士山に入定した人々(参考 「富士山 史話と伝説 」遠藤秀男氏著、他)

 1、安山禅師
 山梨県都留郡の人。幼少から仏門に入り、70歳で富士山で死んだといわれ、その弟子の久円も53歳で入定している。
 入定(にゅうじょう)とは、自らの死を持って、多くの庶民の救済と教化にあたるもので、まずは断食して水により体内の汚物をすっかり排出して、最期は体から余分のものは全て無くなりミイラ化していく。約2年間くらいかかるという。

 2、十竜坊承海(じゅうりゅうぼうしょうかい)
 入定は暦応3年(1340)ころで、45歳の時を示す石碑が発掘されている。
 
 3、富士講第六世、食行身禄
 享保18年(1733)食行身禄は63歳の折り、6月13日に弟子を伴い吉田口から登山、釈迦の割り石にて入定の予定が大宮浅間からクレームがついて、7合目の烏帽子岩に変更し、弟子に教えを施し入滅した。

天子岳と炭焼艮者の伝説
 炭焼長者の伝説については別にその考証を要することであるが、甲斐の国では、その生れ故郷を例の明見村とし、その名を松五郎と呼んでいる。
 さてこの炭焼長五郎の毎日毎日焼いている炭焼の煙が、富士の山よりも高く立ち昇って、それが遠く遠く都の方からも眺められた。これは不思議な煙だというので、天子様が陰陽師に占わせると、側縁遠い王女様の御婿様になられる方の立てる煙だということで、王女様は、はるばる煙を的に見知らぬ御婿様を御尋の旅に上られた。途中何のおつつがもなく裾野にお着になり、松五郎の荒屋をお訪ねになったところ、折あしく、松五郎は故郷の明見村に行った留守であったので、王女様は、「主人はおわすや。」と尋ねられた。すると、留守の者は、あすみにござらっしやり奉ります。」と答える。
留守の者は、「松五郎は明見村に行って留守でございます。」と言ったつもりだったのであるが、王女は、「明日見に来い。」との返事だと思い、あらためて又翌日尋ねると、留守の者は、又しても「あすみにござらっしゃり奉ります。」と答える。
 王女様を、一度ならず、二度までも無駄足をさせるとは、何という無礼者であろうと、お附の者は大層怒ったが、王女様は、「いやいやその見識は見上げたものだ。」とかえって喜ばれ、あらためて三度お訪ねになって、漸く松五郎にお逢い遊ばした。その折、賭物のしるしに、小判二枚を王女様が贈られたが、松五郎は一向その小判の値打を知らないので、四辺の景色一を御案内の時、近くの池(今の長者が池)に浮いていた二羽の鶴めがけて其小判を投げつけてしまった。その鷹揚ぶりがひどく王女様のお気に召して、まもなくめでたく御夫婦になられた。そのおかげで、炭焼松五郎は、日本きっての炭焼長者と出世した。
 その折、松五郎が小判を投げつけた二羽の鶴は、小判を背負って、富士の人穴の大沼に飛んで行った。それで、大沼には、小判形の草が一杯にあるのだといわれる。
 甲州街道を南へ、茫々とした萱野の果て、毛無山脈の西正面に見える天子岳には、まだ、炭焼長者に嫁がれた王女様の石の祠が、今もあると古われているが、この碑の伝説の跡を尋ねて、富士の山麓をめぐったら、湖に、森に、山に、河に、幾多の伝説は、泉のごとくに湧いていることであろう。
 
 この項は「日本山岳風土記」 富士の伝説 藤原衛彦氏著他を参考。

富士の白雪にからまる伝説

 富士の抜穴が、所甜人穴以外に信ぜられた伝説は富士の白雪の解けて地下水となり、三島の落ちて冷水泉と湧き出ずる伝説である。俗謡に
   富士の白雪や 朝日で解ける
   解けて流れて三島へ落ちて 三島女郎衆の化粧水
 というのがある。ところが、古く「山家鳥虫歌」の記録には、
   やまな白雪 朝日で解ける
   とけて流れて三島へ落ちて 三島女郎衆のけしょう水
 となっている。そこで、原唄に「やまな」と歌われているものは、実際は、簡単に、「山な」と、何々を指してともない抽象の字句であったらしいが、或は「山な」は箱根山ではないかと言っている。ところが、後世には、いつの間にやら、富士の白雪として歌っているので、その方が一般的になってしまった。
 或人の説には、
「富士の白雪は、解けて流れて三島へ落ちない。むしろ黄瀬川へ流るるのが地理に合致している。こうなると、三島女郎衆の化粧水とならないで、却って、黄瀬川宿の遊女連に用いられなければならなくなる。」と。
 黄瀬川宿は、中古時代の遊所の一で、溜浄と三島の間に介在し、今は、草に埋るる僻地となっているが、その頃は黄瀬川と狩野川の落合にあった小都会で、「曽我物語」に名を知らるる亀鶴のいたのもこの地で、
 「即ちこの黄瀬川こそ、富士の白雪朝日で解けて、解けて流るると形容されても、あえて不審ではない川であったれば、従って古の近所黄瀬川こそ、三島女郎衆の化粧水と歌われた俗謠の根源地であるように見える。」という者もあるけれども、俗謠の行われたのは徳川時代の事で、当時又、遊所は、黄瀬川より三島の盛大を来した町代でもあったようであるから、俗謠の意とするところは、全く三島女郎衆を謠ったので、地理の実際は、「高士山の積雪融解して地底を滑り、ここに洩出する。」(「豆州志稿」)と言われる小浜の泉(三島町の北小浜にある)及び其東北にある菰の池の水の、三島女郎衆の化粧水となったのを指したものであったらしい。
 菰の池にはその伝説があって、池底より滾々として湧く泉こそ、富士の白雪の解けて地底を流れ、ここに湧出するものだと古く信じられていたということである。
 この他に、富士の雪についての伝説は、「駿河風土記」に、「富士の山には、雪の降りつもりであるが、六月十五日に、その雪の消えて、子の時よりしもには、又ふりかわる」とあるぐらいなものである。

富士講
 富士講は、いうまでもなく富士霊峰の神霊を崇拝する人々の団結した講社の総称であって、今の扶桑教や実行教丸山教会等の前身で、講社の隆盛につれて種々の話中を生じ、各講中の先達、行人、信徒は、いずれも修験者の姿に凝して禊祓を暇え、或は又般若心経、陀羅尼、呪文等を誦して、陰暦六七月の交に富士登山し、丹誠を凝して祈祷し、神拝式を行う。かくて富士の神霊を拝し、さて日本六十余州の大小神祇、八百万の神々にも及ぶのであるが、こうして、登山祈祷を乞うに、その神験を得ること著しいと信ぜられて、すこぶる隆盛の時代があった。
  開祖、藤原角行
 これ原始時代の山岳崇拝に一種の意義を与えた修験道の一派ともいうべきもので、聞祖藤原角行は、俗名を長谷川左近久光といって肥前長崎の産、後奈良天皇の御宇の人で正保三年(1646)六月二日百六歳で富士の人穴霊窟内に遷化したが、それまでに、富士登山すること百二十八回、御中道廻り三十三度、苦行を修ずること二万日と伝えられている。今、人穴の奥には後代の建設にかかる角行の角塔を存するが、富士講の先達は、その後必ずここにその墓を設くる例となったので、人穴には墓が多い。
 その富士講の隆盛は、徳川時代のことであるが、富士参詣者の群集したことはそれ以前にもある。

  甲斐国「妙法寺記」
 「甲斐国妙法寺記」によると、足利時代の後土御門天皇明応九年(1500)六月に、「富士道者参無限、関東乱により須走へ皆道者付也」など見えている。それより先文明十二年(1480)には富士の吉田口に鳥居の立てられた記録も見える。当時その登山参詣の群集したことは、「猿楽狂言記」を見ても知られるところから推しても、富士登山者の歴史は随分古いことが知られる。

  日本武尊・甲斐の黒駒
 日本武尊歴史伝説は、これを別とするも、上宮太子(聖徳太子)が、甲斐国から黒駒に乗って、推古天皇の六年秋九月、富士山頂に登られたという富士登山開闢の伝説を保持するほど富士登山の歴史は古い。

 
 文武天皇の御宇には、役小角が登山の伝説を持つ。小角は修験道の間祖役行者として知られる偉人で、大和甘葛城山下の人、年三十二歳にして葛城山の岩窟に住し、術を善くした。後妖術者と認められて伊豆に流されたが、その後都に送らる途中、数時にして富士に飛行登山し、人々を驚かしたとい古い伝えもある。「役行者縁起」をはじめ、彼の上に伝えられる説話の大部分は怪奇のものであるが、要するに、彼の富士登山者としての開山的人物てあったということは碓かなようである。図録に樹棄の衣をまとわしめていることなど、古くから富士行者の開山として国民の信仰を存していたことが覗われる。この行者の伝説研究は、小篇の容易に尽さるるところでないから割愛するが、富士には、小御岳の頂から、屏風岩の西を登りて八合目に出で、頂上に達したという伝説が信じられている。
  末代法師
 役小角の他には、近衛天皇の文安年中(1444〜49)に奥院に大日本如来を安借したという富士上人末代法師があり花園天皇の文保年中(1317〜19)には、僧頼尊の代末的登山が知られている。
 富士山が、かくてようやく仏家の占領に帰し、富士講の隆盛を来すまでの経途をなしたのであった。

   このはなさくやひめ

   (川柳(参考、富士山をめぐる川柳歴史散歩。清博美氏著))
  本名はさくや姫にて御富士様
  さくや姫俗名は御富士様といい
  さくや姫三国一の富士額
  さくや姫夏珍しき薄化粧
  げっそりと夏痩せをするさくや姫
 「古事記」によると、山神には、
  大山砥神はじめ、
  正鹿(まさか)山津見神、
  遊□(おど)山津見津神、   
  奥山津見神、
  闇(くら)山津見神、
  志芸(しぎ)山津見神、
  羽山津見神、
  原山浄凡神、
  戸山津見神
 など、数多の山神が見える。
 大山祇神が富士山神を訪ね、更に又筑波山神を訪ねてようやく其処に安居の伝説も、かれらの思想の上に構成せらるべき当然の説話である。
 こうして、太古氏族は、その諸地方の諸山脈に、連帯の山々に各その主宰の山神を信じ、そこに宮処の山神の富士山神は、また浅間神とも申し、文徳天皇の仁寿三年七月官社に列せられている。
 祭神は、木之花開耶姫命といわれる。天孫ニニギノ尊が此姫命を阜姫にお立なさろうとせられて、「汝誰之女子耶」とお尋ねなされた時、姫命は、「妾是天神聚大山砥神所生児也」と仰せられている。(『紀』)
 大山砥神は女性の神であられるようであるが、『古事記』によると、大山砥神は、男性の神であられる。伊勢の内外宮には、男性の大山砥神のほかに、女性の大山砥神を祀っているところを見ると、大山砥神に既に男女両性の二神がおわしたことは明かなようである。富士山神は、女性の木華之間耶姫命であられる。
 都良香の「富士山記」を見ると、
  ……古老伝云、山名富士取郡名山有神名浅間大神……とあり、
 更に「詩林采葉集」には、
  ……そもそも此富士の権現は、信濃七国浅間大神と一体両座の垂迩(すいじゃく)にておはしますとかや、両山ともに浅間大菩薩と申す故也。……
 と見え、諸国浅間神社の祭神は、皆同一神であろうと考えられることでもある。
 
 ……昔、命、追われさせたもうて、この地に入らせられた時、土民に譲って、無数の炬火を燃さしめられた。追手はこれを見て、援兵多く列ると思うて去ったので、命は無事なるを得た。 (吉田の火祭りの起源)
 それが七月二十二日の夜であったというので、いまもなお旧暦のその夜にいたれば、田の各戸、軒毎に槇を高く富士形に積んで、頂上から火を附けるというが、炬火といい、富士形の焚火といい、円錐形に曲線を描いた如き火山の富士山が、なお活動を歇めざる姿を、軟めたる後に儀式としてその模様を無事に祝うたことであったかもわからぬ。


  (川柳(参考、富士山をめぐる川柳歴史散歩。清博美氏著))
    塵塚物語        96町  10,560m
    月刈藻集     直立25町   2、750m
    福田某氏測量     35町   3、810m(享保10年)


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