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私が甲府に修行に出た昭和37年ころは、すでに地域産材を製材する工場は少なかった。甲府にも50軒を超す製材所があり、中には大型機械を設置して、ラワン材などを専門に挽いている工場もあった。私が勤務したのは当時流行の兆しのあった、ベニヤ板を扱う「新建材店」であったが製材所も併設してあり、特に北海道の蝦夷松の建具材や南洋材それに台湾桧などを製材していた。当時は優良なラワン材で杢理が細やかで「木心がよい」ものが多かった。また当時は貨車輸送が主であり、南甲府の駅はその貯木場もあった。私の仕事場はここであり、蝦夷松などの皮は当時の日通の職員住宅のストーブや風呂中それに煮炊きの燃料としてきれいに剥いてくれた。ラワンも大きいものでは11トン車で一本直径2mを超すものがあり、当時は「木挽きさん」が居て、二つに大鋸で挽き割った。私の頭の中からもいつしか内地材が消えていた。数年後家に帰り父の製材所の経営に携わったが、こんな田舎でもそのころもう内地材より外材が行きかう時代になっていた。その後に来たのが例の「ログハウス」(丸太小屋)の時代で、このころは内地材などまったく姿を隠していた。林業白書ではこうした中で林業を離れるものが多くて山村森林の荒廃が進むなどと記載してあるが、林野庁の存在などまったく意識しない時代でもあった。売れない木材運び出しても売れない木材。そこから森林作業はしても運び出さない習性が林業全般を覆っていった。それが今でも常習化して伐った木は山に捨てる行為が当たり前になってしまった。当時の林野庁などはまるで事業体と協働して、債務の山を築いていった。当時からの累積債務は今でも各地域の林政に暗い影と解決策を持たないものとして大きな荷物を背負ってしまった。だから今でも表層林政しか展開できないのである。消化体であり、生産体には決してなれない林野庁は今でも将来の見えない愚策の連続三振を繰り返している。 |
里山森林の破壊と崩壊
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誰が片付けるのか。急速に進む森林整備。しかしその反面捨てられていく木材も急増している。 |
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1) 人と樹木のかかわり・古代〜中世 |
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夏が近づいてくると、人間社会だけでなく森林樹木社会も「衣替え」をする。特に必要のない皆伐採地植林樹木も現在「衣替え」が進んでいる。しかしそれは先行きのない「衣替え」である。「死滅」が待っている「衣替え」である。早ければ来年遅くても数年で倒れて、二酸化炭素の放出をはじめる。この森は放出する二酸化炭素の量が吸収量よりはるかに多い。 |



