サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

里山のポエム

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北杜市白州町台ケ原活性化 大学の研究提示について
http://blogs.yahoo.co.jp/hakusyunetto2009/8567167.html

須玉町 ミズガキ山周辺の紅葉が見ごろ 山梨県で最高の紅葉
http://blogs.yahoo.co.jp/hakusyunetto2009/8572992.html

 古い引き出しのそこにこの色紙があった。田舎暮らしをしたいとこちらに家作り。その折製材品を納めたり作業の手伝いをしたときのもの。二人とも田舎風の仕度が似合っていました。当時は「日本昔話」の最盛期。思わず当時を思い出しました。

常田富士男さん
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B8%B8%E7%94%B0%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E7%94%B7&ei=UTF-8&fr=slv3-ybb&x=wrt

 古い引き出しのそこにこの色紙があった。田舎暮らしをしたいとこちらに家作り。その折製材品を納めたり作業の手伝いをしたときのもの。二人とも田舎風の仕度が似合っていました。当時は「日本昔話」の最盛期。思わず当時を思い出しました。

常田富士男さん
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民話対談 小さな小さな民話の本 (山梨)
<『民話』1975年「」民話と文学の会発行>
語る人 相川文利
 聞く人 佐藤結子
<割注 一部標準語に>
 「アジアの民話」という小冊子が、山梨具に住むおじいさんの手によって出版された。地方の民話を集め考える会が各地に設けられ、民話に親しむ人々が増えている今日、「アジアの民話」を訳し、ガク刷の小冊子にされた、ということに惹かれて、私は、甲府から真に一時問程、電車に揺られて甲斐岩間の相川さんのお宅を訪ねた。東京では、散りかけた桜も、山梨に入ると満開で、期待していたこぶしの花は見られなかったが、二度日の花見をしながらの旅であった。


王様の天国行き インド(相川文利訳)

 ユネスコが出版した『アジアの民話』より、相川文利さんがお訳しになったお話のひとつを紹介しましょう。相川さんはさし絵もビ自分で描いております。絵本を見ながら模写したり、工夫を加えて描きそえたり、素人ながら楽しい本作りを行っております。

 昔のことだったがな。太っちょで愚かものの王様と、彼につかえるずるがしこい大臣様がおったとよ。その大臣様、事あるごとに、自分の智恵を王様に示すようにつとめたから、王さまも、この大臣様がいなくては、夜も日も明けぬようなってしまったとよ。王様が大臣に、「わしを見棄てるようなことはしないと誓ってくれ。」と言うたびに、大臣様はいつも、「どういたしまして、陛下さま。貴方様のいらっしゃるとこなら、この世は勿論、天国でも地獄でも!お伴をいたしますとも。」と答えたってさ。王様はとても満足顔だったって。
 ある晩げのこと、この王様、河の岸辺をプラブラして、宮殿に帰って来なされたとよ。もちろん、かの大臣様もいつものように、そばにおったってよ。突然、近くの森で狐がほえるのを聞いてさ、王様は大臣様に、怪しんで尋ねたとよ。「あんなに、沢山の狐がほえるとは、なぜかね?わしの高貴な耳も、あの騒ぎを聞かざるをえないとはね。」
 かの大臣様、すぐ答えたってよ。「はい、陛下様。ビ存知の通り、この冬は特別に冷えますので、費乏狐どもめが温い着物
もなく、貴方様にせめて毛布のl枚でもと、願うておるんでございます。」
「そうかそうか。それにしてもお前の賢いことよな、狐めのことばも解るとは大したものよ。ところで、毛布が狐どもの手に入らぬとは、一体どうしてかね。」
「実は、係りの役人の怠慢からでございます。」とその役人に怨みを持っていた大臣様、ここぞとまくし立てれば、「くそいまいをしい。その役人を毛布の係りから追っぱらえ。よし、役人を毛布で巻いて、海へほうり込んでしまえ。そしたら、沢山毛
布を買い入れて、わしの親しい友の狐君たちにやってくれ。」と王様は命じたとよ。
 大臣様、大急ぎで、王様のおふれと吹聴したが、王様の命令の前半分だけ役人を海にほうり込み、狐どもへの毛布を買うお金を王宮の金庫番から手に入れ、あとは、毛布は買わず自分のふところヘポッポという始末。
 次の晩、王様はまたしても狐どものほえるのを聞き、「何ちゅう事か?何故未だほえるのかね?」と驚いて尋ねると、
 かの大臣様、すまして答えて、「貴方様にお礼のことばをと、ほえているのでございます。ハイ、陛下さま」と。「こりゃ素晴しい。お前のような賢い大臣を持つ王様は他になかろう。友よ、お前はいつまでもわしから離れないと約束しておくれ。」
「決して決して。私めは天国でも地獄でもきっとお伴をして離れませんとも。」と大臣様、王様に聞く誓ったとよ。
 王様はとても満足したが、それも長くは続かず、突然小さい猪が森から跳び出して来ただって。王様、まだ猪を見たことがないので、「ヒヤーッ、何ちゅう生き物かよな」と大声出したとよ。かの大臣その生き物が何であるか百も承知だったが、胸に一物落ちつき払って答えた「この生き物は、貴方様のお待ちの象の一匹でございます。ハイ、陛下さま。象係りの役人め、餌をやるのを惜しんだあまり、こんな貧相な姿になってしまったので。」と。
 王様は怒って、即座にそんな役人は死刑にしてしまえと命じ、かの大臣に、必要なお金はいくらでも金庫から持って行って、可末相なかの生き物を養生してくれろとの頼み。これ幸いと、又も狡る大臣、王庫から沢山のお金を引き出したが、これも又全部自分のふところヘポッポとよ。
 一月ほど経ったある晩、王様がかの大臣と連れだってのぶらぶら歩きの帰り途、王様の目の前払かの猪が再び跳び出し、びっくり仰天、そばの大臣に、「こりゃ、いつかの飢えた象だぞ、どうしてあんなにしてやったに、少しも太らぬとは。」と不審がると、かの放る大臣少しも騒がず、「いいえ、どういたしまして。あの象は貴方様と同じ位肥えまろんでおりますって、ハイ。陛下さま、この生き物は王宮の台所で、たらふく食べて太った鼠でございます。全くもって、料理人の不注意には。」まあるい、愚かな王様の顔が真赤になって、目をギョロギョロ、口もブツブツ云うばかり、「こりゃなさけない。料理人のやつの不注意で、わしの大事な食糧が鼠に食べられて台なしとは」彼は、料理人に自分の料理をつくったら、ただちに縛り首だと命令したとよ。その夜、その料理人は、ひそかにかの大臣のとこへ一山の金貨を持って行って差出し、大臣が自分の命を助けて下さったら、お礼に王様への特別料理をこれから別に一揃いつくって上げると約束したとよ。大臣様大満足、料理人に「みんなわしに任せ給え、悪いようにはせぬよ。」と胸をボン。その夜おそく、料理人が王緑の目の前で縛り首になるその直前に、かの大臣、大声で、『暫らく、暫らく』と叫びながら登場。王様に言上するに、「恐れながら、陛下さま、ただいま私めが暦
を調べましたところ、この夜おそくのこの時刻は、とても幸運の時でございまして、ただいま縛り首になった者はみんな、天国の特等席に坐れるのでございます。陛下様、たゞいま料理人を縛り首にしては、全く罰することになりませんで、ほめることになってしまいます。罪人をなぜ天国に送ろうとなさるんですか。」と。
 意外にも、王様は青んで跳び上り、「こりゃ好い、とてもじゃ!ずっと前からわしは天国を見たいと思ってた。よし、わしは天国を一刻も早く見たい、代りにわしの首を縛れだが、待てよ」とかの大臣をふりかえり見て、わしの良き友よ、お前はいつもわしの行くとこへはお伴をしますと約束して来たな。わしは天国へ行くとこだで、お前、道案内せい。首縛り役人ども。先ず彼を縛り首に。」と。あわてふためいた大臣どの、ことばを出すひまもなく、護衛役人の鎗先が彼の首にプスリ、縛り首役人が室高く引っはり上げたとよ。王様は役のこの果断なやり方に満足したが、大臣の始末が終るや、縛り首役人は今度は王様をも同じように縛り首にしてしまったとよ。それは本当に彼の欲していた通りではあるが。彼らが天国を見たかって?そんなこと、わしらの知らぬことでさ。

 <写真は同誌に掲載の写真>

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 いろいろな本を読んでいると、山梨のことが載っている小冊子や同人誌・季刊誌などに出会う。この「民話」古書店で無料にてただいたものである。失礼ながら私は佐藤結子さんも、相川文利さんも知らない。

民話対談 小さな小さな民話の本 (山梨)
<『民話』1975年「」民話と文学の会発行>
語る人 相川文利
 聞く人 佐藤結子
<割注 一部標準語に>
 「アジアの民話」という小冊子が、山梨具に住むおじいさんの手によって出版された。地方の民話を集め考える会が各地に設けられ、民話に親しむ人々が増えている今日、「アジアの民話」を訳し、ガク刷の小冊子にされた、ということに惹かれて、私は、甲府から真に一時問程、電車に揺られて甲斐岩間の相川さんのお宅を訪ねた。東京では、散りかけた桜も、山梨に入ると満開で、期待していたこぶしの花は見られなかったが、二度日の花見をしながらの旅であった。

 民話にひかれて

佐藤 いつごろから民話を手がけていらっしゃるのですか。
相川 昨年です.
佐藤 え?
相川 私は薬学の方が専門でしたから、理科の先生をしとって、この年まで、民話をやってみようって気はなかった。
佐藤 すると「アジアの民話」を本にされた動機は?
相川 書くことは好きだったね。日記はずっと十年以上続いている。高校の教師をやめてから、百姓や山仕事のあいまに、聴
な時間を生かして何かまとめてみたいって気はあった。
佐藤 それがどうして民話のお仕事と結びついたのですか。
相川 十月二十日の朝日新聞に記事が出ていた。「アジアの民話」って木をユネスコが出すってね、バングラデシュとカンボジアとかね、アジアの民衆が語った民話というんで、やっとこの本を手に入れたけれど、英語の本でした。これなら自分でも訳せると思った。
佐藤 訳すのは大変でしたか。
相川 それほどでもないが、民話は勉残しとらんしね、じいさんばあさんが「むかし、むかし」って話す、そうした語りの調子を生かすには、さて、どうやって書いたもんか見当もつかん。そうしているうち、まもなく、また朝日に記事が出た。民話と文学の会が季刊『民話』を出すって、小さな記事だったけど」目にはいったわけよ。(笑)
佐藤 私たちの雑誌もお役に立ったわけね。
相川 朝日で載せるんだから、そんなにふまじめな雑誌じゃないだろうと思ってね。(笑)それからもうひとつの動機、これも新聞に出とったことだが、八王子に『ふだん記』ってグループがあって、みなで力をかしあって本を出しているってことを知って、さっそく連絡をとったわけ。
佐藤 そこで出版についても見通しがついたわけ。
相川 いや、みんな立派な本を作っている。でも、そのグループの中に、ほら、日本武道館ってあるでしょ。そこにつとめているおばさんが、ガツ版刷りの童話集を出している。三十五頁ほどのものだけど、なるほど、活字印刷によらんでも、自分のやりたいことができる。そう思ってね。そのおばさん式に学んで本を作ることにした。これならそんなに金がかかるわけでもなし、どこからも反対はでんだろう。うちのばあさんにも怒られないですむと思ってね。(笑)

初めての本作り

佐藤 さて、いよいよ本作りが始まるわけですが、どんな点で苦労されましたか。
相川 ひとくちにガリ版刷りといっても、原紙に書くのはむずかしいもんだね。ことに絵が困る、いちいち消すわけにいかん。そこでせがれが応援してくれて、ファックス原紙を買ってくれたんですよ。これなら鉛筆でやれる。
佐藤 ずい分かわいらしい絵がありますね。ほんとにお上手です。
相川 絵の力はないけれど、下手の横好きでもいいからやってみょう思ってね。孫の絵本をひっくり返して、はて、ゾウはどんな姿しとるかって、調べたりさ。(笑)少しでも面白くしようと、そこが苦労だった。
佐藤 印刷ほこの部屋でなさったのですか。
相川 部屋いっぱいちらかしてね。インク使うしね、こんとき、ちよっとばあさんに叱られたな。(芙)「じいさん、なにやってんだ」ってね。(笑)でも、この本は安くできたんですよ。
佐藤 印刷にかかった諸費用も、ちゃんと日記帳にはりつけていらっしゃる。
相川 見てくださいよ、これ。印刷インク代七百円、ファックス原紙二十枚分が千二百円、紙代、ホッチキスなど、製本代の費用などいっさいがっさい(一切合財)しめて六千七百円、これで本が百十部できた。
佐藤 すると一冊が六十円とちよっと。
相川 安くできたでしよう。
佐藤 でも、労力を計算したら大変なもんですね。
相川 そうそう、二ケ月はかかっているからね。だけれど楽しかった。毎日が楽しくてしようがなかった。
佐藤 近ごろ、特に東南アジアのニュースが多いし、こういう時期に、この本が出ることに、とても大きな意義があると思います。それに、民話のあとに、ところどころ解説がありますね。″カラスの民話″(バングラデシュ)の付記を引用させていただきます。
 「国民の二割が飢えている。バングラデシュは、昨年夏、北部地方を襲った大洪水で、深刻な食料不足を来し、人口七千五百万人のうち、約二割が、飢餓線上にあるといわれています。こうした中で、各国からの食糧援助が寄せられていますが、政府要人の援助物資の横流し、配分をめぐる汚職は、日に余るものがあるそうです。悪いカラスが自ら身を焦がし、正直雀が腹一杯食べられる日の近いことを。」また、ベテル・アレカ物語には、「べトコンに米を与えないため…ベトナム人の大切な食糧資源に枯葉剤が、アメリカ軍によってふりかけられた。大量の敷布により耕地の六割が台無しに、子供を殺し、妊婦を流産させ、一九七〇年、アメリカ政府は、『24五Tの非人道性を考慮して、散布を中止する』声明(朝日新聞誌)」と載せ、南ベト
ナムの森林、田畑のどれだけに枯葉剤が散布されたかと、図を示しております。

旗と労働と

相川 人間は労働しなきゃだめですよ。遊んでばかりいたんではだめだね。労働して、休養があって、始めておもしろいんですから。
佐藤 旅もおすきのようですが…。
相川 この前はばあさんと東北の旅をしましたよ。山形へ寄って、紅花染めの作業場を見学したりね。あそこの人は親切だなあ。
佐藤 おひとりで旅をされることもあるのですか。
相川 今度は、薬学関係の同級会が岡山であってね。遠っぱしりするんだから、一晩泊ってすぐ帰るんじゃもったいない。季刊『民話』に奥丹後半島の伝承がでていたでしよう。よし、奥丹後を回ろうと思ってね。
佐藤 民話にはめぐり合えましたか。
相川 いえ、とてもじゃないけどね、五日なり、一週問なり、その土地に腰を落ち着けてなきゃ、集まるものじゃないよ。だいたい、ま、どういう話があるとかね、予備調査くらいのものならいいけどね、なかなか集まるもんじゃない。
佐藤 奥丹後の印象はどうでしたか。
相川 丹後というのは、山あり、海ありで、ちょっと他とは違った風土で、民話のありそうな所だね。あんまり過度に開けていないから、まだまだ民話があるんじゃないですか。
佐藤 しかし、うらやましいですね。各地を旅なさるし、なさるお仕事もいっぱいあって。
相川 とにかく私は「かなづち丈右衛門」の四代目ですからね。
佐藤 かなづち丈右衛門?
相川 私の書いた随筆を読んでみましょうか。これ、うちの御先祖さまの話なんですよ。
佐藤 ぜひ、聞かせてください。
頼川 「かなづち丈右衛門」 丈右衛門さんが、駿河の旅から戻って来た。馬の背につけた叺(かます)を、家の土間にどかっと落した。「ほうら、みんなで勘定だぞよ。」そのどなり声を待ち構えていた家中の者が土間に集まり、夢中で、差に通した穴あき銭に飛びついたそうな。今はない、母の自慢話の一節である。丈右衛門さんは、我家の四代程前の御先祖である。彼は、農が一段落すると、かねて仕入れた農作物の種を叺(かます)に入れ、馬に付け、駿河へ、そこの馴染の農家へ、種を卸すのだった。収穫を終えたところで代金をいただく、こんな彼の商法が、商業の発達していなかった当時、現金の貴い農家に重宝がられ、彼の精根良さとが、帰りの叺一杯の報酬となって、家の者を喜ばせたのであろう。小原庄助さん流の話であろうが、披は人の遊ぶ盆、正月には家におっては、無駄の質とばかり、暇を悼んで、商いの族に出掛けてしまい、嫁ぐ一方の堅物、かなづち丈右衛門、そんなあだ名が、いつしか彼に奉られてしまったそうな。それが今だに我が家系を属する呼名として続いている。
佐藤 家号だけではなく、あだ名が付いているというのは、おもしろいですね。
相川 そんなわけで、払もそうした血を引いているんでしような。幸いにして、祖先が残してくれた山があるんでね。このごろは山の手入れをする人もいなくて、あちこち荒れ放題ですわ。家でぶらぶらしとるのもつまらんから、ひとつ、わしがやぷを開き、道を作ろうと思った。それだけではない、自分の小遣い稼ぎにと、木を切り出して推茸栽培も始めたんですわ。
佐藤 おひとりで始めたのですか?
相川 ひとりでね。親がいい体力を恵んでくれましたんで、去年は二千貫の木に栽培してね、失敗したこともあったが、いまではもうちょっとしたもんだ。おみやげに、うちの椎茸をどっさり持って帰ってください。
佐藤 都会ではいまとても高価なんですよ。
桶川 ちょっとうちの山を見ませんか。これでも多少は世の中のためになっていると思っていますよ。
佐藤 ぜひ、お願いします。

 その後、相川さんの案内で裏山を歩きながら、お話を聞いた。

 裏山は、相川さんが入る以前は、背丈程も雑草が生い茂っていたという。相川さんが山に通って草を刈り、水はけを良くする為に土中にパイプを埋めているうちに、道ができたのであった。人、ひとり通る道が、正に相川さんの後にできたのである。上水道ができた為に、使用されなくなった清水、相川さんは遠くからパイプでその水を引き、仕事の時に使うという。近所の人々は、山に入って手入れをすることがないので、「先生の山」と呼び、「先生の道」と言っているとのこと。時代に逆行しているようで、寂しいと思うこともあった。と言う相川さんは、けれど、年寄りがやらなかったら、と毎日裏山に登る。
 三年前の山火事で焼けてしまった、元の松林にほ、のびるが生え、れんげ草が地面をおおっていた。すると目の前に朽ちかけた小屋が見えてきた。相川さんが建て、そこで泊った事もあるという。私は、小さい頃友達と造った「秘密の小屋」を思い出し、いつまでも冒険心と夢を忘れない相川さんをすばらしいと思った。
 相川さんはドンドン奥へ入り、一軒の家の縁側に腰をおろした。以前は七軒あったという家も今はその家だけになった。親子三人共笛吹川の蛇行や町並を見渡せる山の上が気に入って、ぽつんと暮している。縁先には梅や南天などの木々と産山面の芝桜がきれいに手入れされていた。出て来た家の人の話によると、笹熊もたぬきも縁の下にやって来るという。その家の亡くなったおばあさんが、民話をたくさん知っていらした。とのことで残念だったが、たぬきと笹熊が縁の下でけんかをしているので家の人が床板をはぐってみたら、たぬきが困ったような顔をしていた。というかわいいお話をみやげに、私たちは裏山をひ
と回りして相川さんのお宅に戻った。

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