サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

サブやんの時事放談

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○「続日本記」にみる、驚くべき官僚役員の実態

元明天皇 霊亀元年(715)五月十四日

 次のように詔した。
 すべて諸国が調・庸を運び納めるのに、それぞれ期限が定められている。しかしいま国司らの怠慢で、納期はおくれ、農耕の障害にもなっている。そのため運送の人民も労役にわずらわされている。これは国・郡の善政とはいえず、人民をいつくしみ養う要道に反する。今後もしこのようなことがあれば、重罪として検討せよ。また海路で庸せ運ぶことは、簡単におろかな民にゆだねているが、そのため、あるいはすでに漂流してなくなったり、あるいは多く水にぬれて損なわれている。これは国司が先の禁制に従わなかったためである。今後、悔い改めぬ者には、犯行の軽重に応じて罪を科し、損害は国司に弁償させよ。

聖武天皇 天平十六年(744) 九月二十六日(「続日本記」)

天皇は八道の巡察使らに次のように勅した。
 今回派遣の巡察使らは、事の次第を検問する場合、国・郡の宮司で事実の通り報ずる者は、たとえその罪が死罪に当るものであっても、すべて許して論告してはならぬ。もし尋られて、臣下としての務めを果していないことがわかり、使いの取り調べを受けること となった者があれば、事は些細な事であっても法に従って処置し許してはならない。巡察使は丁寧に事柄を告げ知らせ、一条でも法に触れることがあれば勅に准拠して施行せよ。

聖武天皇 天平十六年(744)九月二十七日(「続日本記」)

天皇の勅があって三十二力条を巡察使に頒布した。その事柄は別勅に詳しい。そして天皇は次のように勅した。
 だいたいこの頃聞くところによれば、諸国・諸郡の官人らは法令を正しく行なわず、空しく巻物の中に放置して、法律を恐れはばかることもなく、欲しいままに自己の利益を求めて、そのため公民は年々疲弊し、私人の宅は日々に栄えていくという。朕のたのみとする臣下たちが、このようであってよかろうか。今後はよろしく頒布した条文によって、四考(国司の任期四年ごとの勤務評定)の終わるごとに必ず本人を訪ねて検察し、奏聞せよ。そこで政治のしかたの善悪に応じて、その人物の書きものを進め、悪しきものを退ける。最後には清らかな注水と濁った滑水に区別があるように、賢い者と愚かな者に、その才能に応じた地位を得させよ。
 もし巡察使が人にへつらい事実を曲げる心が強く、官位の昇降に正当を欠くことがあれば、法律に基づき任免を明確にすべきである。行為に偏りがなく、党派も作らず、風俗を正したならば、通常の順位よりも抜擢して高い地位を与えよう。これらのことをよろしく所司につげて、朕の本意を知らせるようにせよ。

また口勅(口頭による勅語)十三条が別勅に詳しい。更にまた天皇は次のように勅した。
 天下諸国の政治の実績の可否を検査するため、今巡察使を任命し、諸道に派遣する。しかし近年任命した巡察使の訪問観察は充分詳しくないため、官人の処遇に適切を欠き、ために官民ともにつつしまず、教化が充分に行き渡っていない。そこで今、具体的に事の内容を定め、命じて巡検させる。唯恐れるのは官人が法律の条項に精通せず、多くの過ちを犯し、却って法網にかかることがないかということである。そこで特別の恩恵を施して、罪を犯した者も自ら心を改め新しい道を開けるようにする。

 孝謙天皇 天平勝宝六年(753)年九月十五日(「続日本記」)

 天皇は次のように詔した。
 諸国の国司らは、田租や出挙稲の利潤を貪り求めるので、租の輸納は正しく行なわれず、出挙した利稲の取り立てにも偽りが多い。このため人民はだんだん苦しみが増し、正倉は大へん空しくなっていると聞く。そこで京および諸国の田租を、得不を論ぜず(不三得七の法にかかわらず)すべて正倉に輸納させることとし、正税出挙の利稲は、十の中三を取ることを許す。ただし田の作物が熟さず、調・庸を免除する限度になった場合は(欠損八分以上の場合)令に准拠して処分せよ。
 また去る天平八年の格を見ると、国司らが国内において交易し、無制限に物を運ぶことは既に禁止されている。ところがなお敢えてこの格に従わず、利を貪って心をけがすことが珍しくなくなっている。朕の手足となるべき者が、どうしてこのようであってよかろうか。今後、更に違反する者があれば、法に従って処罰し、哀れみをかけて許してはならぬ。

孝謙天皇 天平勝宝6年(753)年冬十月十四日(「続日本記」)

天皇は次のように勅した。
 この頃、官人や人民が憲法(国法)を恐れず、ひそかに仲間を集め、意のままに双六を行ない、悪の道に迷いこみ、子は父に従わなくなっている。これではついに家業を失い、また孝道にも欠けるであろう。このため広く京および畿内と七道の諸国に命じて、固く双六を禁断せよ。この禁を犯した場合、六位以下の官人は男女を問わず、杖百(叩き)の刑に処し、蔭(おん)や贖(しょく)などを適用してはならぬ。ただし五位の官人は直ちに現職を解任し、位禄と位田を取上げる。四位以上の官人は封戸の支給を停止せよ。職(左京・右京と摂津の職)および諸国の国司・郡司が黙認して禁止しなければ、またこれらも解任せよ。もし双六を行なう者二十人以上を、宮司に告発する者があれば、無位の者には位三階を授け、有位の者には絶十疋・麻布十端を賜うこととする。

孝謙天皇 天平勝宝八年(755)十一月七日 十一月七日

 天皇は次のように勅した。
 聞くところによると、この頃、官物を出納する諸司の官人たちは、官物が納入される時、上前をはねようと、巧に留めおいて、十日経ってもあえて官物を収納しようとしないという。このために運送の人夫たちは、その足止めに苦しみ、競って逃げ帰ると聞く。これはただ政治を損うだけでなく、実に人民の教化を妨げるものである。まさに弾正台に命じて巡検させねばならぬ。今後、二度とこのようなことがあってはならない。

天平宝宇五年(761) 八月一日(「続日本記」)

 天皇は次のように勅した。
 この頃七道の巡察使の奏状を見ると、これまで一方国も公平にかなった政治を実行している守がいない。朕はひそかに、欲深く心の濁った人が多く、清廉潔白の官吏は少ないと 思っている。朕が聞くところでは、賢く物事に明るい人物に、官を授けるのでないと、すべてことごとく邪となり、人材を得て任用すれば、多くの政務はことごとくよく治まるという。国司というような職は、ひとえに親しく人民の戸簿を管理し、その風俗を良い方に奨め導き、人民をいたわり育むべきである。特に詳しく人選して必ずその職に適した人物を任ずべきである。家にあっても孝行せず、囲に対しても忠心がなく、自己の利益のためには非行もいとわず、財に対しては恥も忘れ、上のものに交わるのに礼を失し、下のものにはへつらうことが多く、政治を行なえば思いやりがなく人民をひどく苦しめる。辺境の要地に派遣しょうとすると、偽って病が重いと称し、権勢の強い官に任じられるとなると、競って自分から拝命しょうとする。聖人の教えの本義を聞くのでもなく、法令に従おうともせず、気持ちを傾けて心にかけるのは、ただ利益を見ることのみである。たくみに法律をもてあそんで、しだいに皇化の政事をけがしている。このような手合いは風俗を傷つけ習俗をみだすものである。もしそのような人物に周公(周の武王の弟で、成王を助
け、よく国を治めた) のような才能があったとしても、朕は注目はしない。以後は重ねて任ずることなく、田園に追いかえして耕作に従わせよ。もし過ちを悔いて心を新たにするものがあれば、必ず褒賞を与えるであろう。道に迷ったまま正道に返らなければ、官位を下し永久に遠ざけるべきである。このことを広く遠近に布告して人民に教えさとせ。

神護景雲元年(767)四月二十四日(「続日本記」)

天皇は次のように勅した。
 そもそも農業は天下の根本であり、官吏は人民の父母のようなものである。よって農耕や養蚕を勧め従事させるには、きまった制度があるようにさせよ。
 この頃、諸国で毎年不作が続いているが、これは天道が程の良さを失っているだけでなく、そもそも々の行ないが怠けおこたっているからである。全国に命じて農耕や養蚕にはげみ努力させるようにせよ。そこで国司の中でぬきんでて職務に忠実な者を一人と、郡司および人民の中で善良・謹直で誠実な者を郡毎に一人選び出し、その勧賞に専ら当らせることとし、その者の名前を記録して上申せよ。その者たちは、まずつつしみ敬う心をもつて、その地域の霊験あらたかな神祀に祈頑やおまつりをし、ついで心をこめて管内の人民の産業を勧め励ませよ。その祈念した神に霊験が現われたり、行なったことに効果をあらわしたら、専ら事に当った者に対しては、別に褒賞を与える。

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 私はこの火災が発生してから連日仕事や暮れ正月の行事に不参加を決め込んで、見に行った。これはある面では不謹慎な行為かも知れない。しかしこうした現場を数多く見ることによって、如何に火災を少なくするかに役立つと信じている。また安全確認されれば火災の現場や内容を自分の目で確認して報告したい。
 さて今回の火災消化で活躍したのは、見た目ではヘリコブターによる消化活動である。今回のような場合は近くの貯水場などが利用された。山梨県の山間部には私たちの知らないこうした貯水ダムが結構ある。しかし人家近くの水路には最近水が流れていない。これは用水として使用しないか、冬期間は水を流さないか、カラカラになっている。この大蔵経師山付近も同様で、ふもとではむかしからブドウの適地として多くのブドウが栽培されている。地層は岩盤砕石で埋め尽くされていて、ここには山梨県でも有数な横根桜井古墳群が広がっている。これだけの古墳は山梨県でも貴重であり、担当地域の教育委員会も調べて○○号墳などの看板がさまざまな形状で横たわっている。

 さてこの火事で大活躍をした自衛隊の統率のとれた活動内容もつぶさに見ることができた。上空には指令機がいて、間断なく現場から出る煙と延焼状況を確認、水を運ぶヘリにその投下場所を指示する。それが本当に間断なく続く。1月1日はこの活動が終日続いた。本来なら森林の多く火災拡大要素内蔵している山梨県では、この自衛隊に変わるくらいの規模消防力を備えていなくてならない。

 自衛隊のみなさん本当にありがとうございました。

当日横内山梨県知事も感謝の意を消火にあたった自衛隊のかたがたに述べていた。それはそれとして早急に山梨県森林火災予防策を講じてもらいたい。
 山梨県林業には一考に光が見えない。林業公社や事業体の問題など、閉塞状態の中ではこれといった決め手もない。事故資金力がないからどうでもよいような補助事業に手を出して中途で放り出し、さらに山村過疎や限界森林が進むことになる。

 爪の先ほどの事業をさも山梨県林業の再生のように伝えられては困る。報道関係者も行政広報でなく、実際現場に足を運んでいただきい。そこに展開して様をみれば、富士山の世界遺産万歳などと叫んではいられない。山梨県の報道は行政サイドに立地した記事や内容が多く、しかも少ない「良いとこ撮り」では、空虚感さえ漂う。

 今回の消火活動は空だけであったが、いずれ大火災には陸上自衛隊にお願いする事態も想定できる。これからもさらに研鑽を積み、いち早い消火を地域とともに確立してほしい。

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<山梨県の世情と北杜市の市長・市会議員選挙> 

 弱ったものである。北杜市の市長選挙もせまり、中傷や暴露合戦が展開されている。田舎選挙丸出しであり、それこそ見っとも無いことである。
 多大な借財を抱えての船出ではあったが、旧町村単位の確執が持ち込まれて複雑になっている。私たち傍観者はこうした事態の中の行動で、その候補者の本質を探ることになる。あふれる「怪文書?」でようやくこれまでの政治や内幕を垣間見ることができる。
 市民にとって本来必要としない町村合併を演出して、数年前から駆け込み施設つくりや、必要としない事業を思い切って拡大して、借財を風船のように膨らませて、合併に持ち込む。当時のパンフレットにはできもしない美辞麗句やばら色の将来を約束した。市民もそうした将来などできないことは承知しながら、旗を掲げて合併となった。
 しかし誰も合併後生活環境が好転したなどと考えていない。駆け込み事業など多くの負債を市民に背負わせた。これが現在も大枠の生活を圧迫する。当時合併に先制していた人も好転しない環境を憂い、「合併などしなければよかった」の愚痴がでる。
 田舎の占拠など「金次第である」金を持ってこない候補者など相手にしない。かってこうした選挙に慣らされて選挙民は、「きれいな選挙」への展開を情けなく思う。有権者一人5万円一家8人では40万円ともなり、温泉地の家族旅行も可能であった。こうした明確な違反行為も田舎で恒例行事として存在した。
 政治とはイベントであり、家計を裕福にする手段でもあった。昔の政治家など報酬もなく持ち出し政治家も多かった。現在は政治家(せいじか)など見たことがない。政治家(せいじや)が横行していて、職業化している。周囲には我田引水型の人々が集まり、貪欲に自分の意向を重ねる。選挙が終われば明らかな恩返し人事や取り組みを、さも新たな発想から生まれたように事業を展開する。
 私たちは現在「立派な政治家」など見たこともであったこともない。ある高校で社会科の時間に協力したことがあったが、知事であり市町村長であり誰も名前すら知らない。学校行事などに数多く出席しても認知度は0なのである。まして彼らの尊敬する中にも皆無である。これは、昔と違い自らの努力や本当に人々のために尽くす政治家が少なくなり、他力本願の政治家が横行しているからである。
 多くの補助事業や身動きできないしがらみの中での政治が最良とされる昨今、旧来の政治姿勢から抜け出せないようでは未来はない。
 現在過疎化や高齢化がすすむ北杜市では後継者のいない集落が続出する、その隙間を縫って??法人などが事業の表裏に跋扈する。
 将来の見えない事業を画期的な事業などと言い換えて、とってつけたような政府事業に手を出し失敗した例は山梨県では枚挙に暇がない。
 山梨県ではあいも変わらず、中央から有識者と称する人が訪れ、多額な費用で開催される講演会など、市民より行政職員がよく聞く内容が多く、私たち庶民は綾小路の漫談で憂さを晴らすことのほうが有意義である。
 子守唄尽き講演会は多く、大半は眠っている。達人になれば眠っていることは気づかれない。会場を見渡せば、関係者も眼鏡が鼻に斜めにかかったままの転寝、これは報酬内居眠りと呼ぶ。上司になれば達人になれる。
 私は常日頃子供に接し、その活動の場を広げる努力と工夫をしている。年間300日はこれに関わっている。他力本願の子供の環境、内部から子供を思う、たぎるような姿勢は、今の政治家からは読み取れない。これから将来を支える子供に情熱や資金を投入できないようでは地域の将来は見えてこない。
 最近山梨県でも??法人なるものが、植民地政策にも等しい感覚で出現して、多くの政治事業に関わっている。最近では南アルプスを世界遺産になどと言って新たな法人が設立された。富士山の世界遺産登録作業などもこうした類の法人が関わっている。わからない理解できない。山梨県にはこうしたことを扱える人材も部署もないのであろうか。
 世界遺産登録など保全や保存のためでなく、観光事業が目的であることは明確で、虎視眈々と狙う業者や関係組織団体までそれが照準である。白川郷や日光東照宮など見学の対象が世界の人々であり、動きもとれず身動きできない。こうした中でも資金力と宣伝力のあるところは残れるが、地域に力のないところは行政がいかに力を入れようがむなしいものとなる。
 さて田舎選挙であるが、中傷合戦などやめなさい。お互いが良い所を認め合う様な大人の選挙をしてほしい。お互いの欠点や政治展開を非難しても、北杜市の借財や環境は好転しない。今は力の結束が必要で、植民地政策からの脱却である。だれがやっても長い距離苦闘が続くことは誰でも理解している。
 行政も市民の上に存在するのでなく、市民を支える立場の確認が必要であり、市民より意識を高く持つことが肝要で、市民より勉強不足が目立つ昨今再教育が求められる。職員自らがどのように地域づくりに取り組むことができるかが今後の市政の鍵を握る。必死の姿勢があまり見られない。補助事業のみに頼りすぎると、取り返しのつかない郷土となることは林業を見れば一目瞭然である、「豊かな景観」「豊かな自然」「豊かな森」を自ら崩壊させる事業を展開しているようでは将来の大きな財産の消失なり、子孫の郷土離れを増進させることになる。
 「企業の森」や資金など何の必要も認めない事業で、周囲に森林を食い物にするものが陰日向にうごめくことになり、田舎の森林が利用されるだけである。
 地域の人が育て地域の人々の生産の場にすることが目標理想であり、これを求めることが林政の基本である。とってつけたような林政にを受けると多大な地域犠牲が生まれることなど識者であれば理解できる。

 自然破壊を繰り返す林政は山梨県でも多く見られ、森林地帯には戦場さながらの重機が行き交い、山野が踏みにじられている。大鷹も熊鷹も貴重な動植物も踏み荒らしながら進む植林や間伐事業からは「水と緑の山梨県」は見えてこない。
 行政関係者は今こそ実態調査をして再考しないといけない時期で、観光の基本を失いことにもなる。
 無用の施設が多すぎる施設も、運営上即、「民間委託」にすることなく、多くの視野から決断が求められる。多くの「指定管理」から市民の使用勝手が制限されるものも多くなっている。闇雲に指定管理を進めるのであれば、行政そのものを指定管理にすれば、スリム化して職員も現在の半分で済む。
 多くの市町村合併前の職員を総抱えするほどの財政のゆとりなどない。自ら見を切る厳しさが職員にも求められる。無理な合併、無理な運営は続く。
 長い間企画も資金も上から流れ続け、これは現在でも続いている。これが職員の自らの試練と勉学の場を失った。外部の会社の作成した文脈からは、言葉は巧みであっても内容が伴わない。「緑」「太陽」「自然」「水」「森林」など組み合わせ、間に数字と難解の言葉を重ねると、「緑と自然が豊かな町つくり」「太陽の下で清流のせせらぎ」など標語が生まれる。
 「環境を創造」するとの言葉も意味深である。環境の中の大部分は「自然」である。それを創造するとはどういう意味を持つのであろうか。これは神のみ成せる業であり、政策にはなりえない。
 私は現在のような低レベルの政治などに何も期待していない。できること私にできることを家族とともに着実に展開して、樹木と家族と子供のことを考えながら死んで生きたい。
 選挙のときに躍起になる方々は日ごろの活動がすべてであることを認識すべきある。荒れている森林は自ら入り手入れをして、困った人には口でなく補助金要請でなく、手を差し伸べ、講演会の演者には地域から発信して、大学教授連に聴かせる。そうした人材の養成もしていきたい。
 自らが年金で暮らし、そうした中で多くの職員の高額な退職金など支える能力などない。生産と消費のバランスの崩れはもう修復できないところまで来ている。借財財政の中で、今後も削ることができないなら、破産してやり直したほうがよいかもしれない。
 もうこう以上の中傷や人間尊厳を非難することはやめて、今後北杜市をどうするのか、わかりやすい言葉話してほしい。非難合戦から生まれるものは何もなく、人間関係の修復も残像の中で永続する。選挙でなくても持論や施策は実現できまた訴えられる。
 こうした選挙を繰り返すのであれば、北杜市内の子供に将来はない。過疎化の進む中でこうした政治過疎的選挙展開は即刻やめて、そのエネルギーを子供にください。その費用をもください。田舎の良識は「得々選挙」「人脈選挙」である。「人柄選挙」「実績評価」の物差しにはならない。これからは少ない人材と少ない費用で最大の効果を生むことが慣用であり、これができない人材では、市政を任すことはできない。北杜市内は文化と??法人それに政治の吹き溜まりにならないように願う。また市会議員に望むものは何もない。ただ給料分だけは仕事をしてください。政治は議場ではない市民の中にこそあるのです。<誤文・誤字・脱字・言い過ぎ・誤解など未訂正>

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