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静岡・山梨の開発競争 “牛のクソと甲州っぺ"
「太陽」昭和41年発行 42年新年号掲載記事 平沢正夫氏著
( 日本一金になる山)
静岡県人は,いまなお,こう言うのをはばからない。
「甲州人はこすっからいから,うっかり近よるな。牛のクソとおんなじだ」
というわけだ。武田・徳川両家の宿命的対立にまでさかのぼるのは,いささかオーバーかもしれない。
だが,とにかく,静岡と山梨は,富土山をあいだにはさんで,対抗意識をもやし下いる。気候・嵐土・産業のどれをとっても,両県は対照的だし,それが県民性に影をおとさずにはおかない。
山梨は高冷地が多く,産業はふるわない。
静岡のほうは,気候温暖で,農業,漁業ばかりか,工場の建設も急ピッチで,東海道メガポリスのフロンティアになろうとしている。
それを反映して,山梨の1人あたり県民所得(38年)は,15万7,641円で全国21位であるのに対し,静岡は17万4,025円で第9位をしめる。
静岡県人は,お人好しで万事に大様だ。山梨県人は努カ型だが,抜け目のなさをそなえている。
静岡からは,大政治家も大実業家も輩出しないが,山梨からは,甲州商人の伝統に支えちれて,小林一三,根津嘉一郎氏(東武鉄道会長)をはじめ,小林中(元開銀総裁),小左野賢治(国際興業会長)らの諸氏を生んだ。
富士山麓は,東京都区部の約2倍,19万2,OOOヘクタールの広さをもつ。そのうち,山梨県側4万6,O00へクタール,静岡県側14万6,000ヘクタールであり,人口は,山梨県約7万人,静岡県約90万人である。人口・産業などの総合力は,静岡側のほうが,山梨をはるかにしのいでいる。
39年9月,小林中氏を議長にして,「富士山麓総合開発委員会」が生まれた。静岡・山梨両県知事をはじめ,財界人や学識経験者など16名で構成した。両県の行政区画,ことらわれず,富士山を中心とした地域の開発をすすめようとの野心的な構想であった。
当時,スバル・ラインは完成を間近にひかえていた。そもそも,スバル・ラインの計画は,吉田口からのモグラ・ケープル建設の許可がおりないため,山梨県が業を煮やし,オリンピックまでにと,実現をいそいだものだった。
これでわかるように,モグラ・ケーブルだけをとっても,富士急の富士宮ルートと山梨県の吉田ルートがせりあっている回道路にしても,スパル・ラインの繁盛ぶりをみて,静岡県もついに腰をあげ.御殿場から冨土宮までの“周遊道路"(43年度申に完成・有料)建設のため,13億5,OOO万円の予算を計上した。いまはデコポコ道の富士宮登山道を拡巾舗装して,スバル・ライン並みに,五合目までスイスイと車でのぼれるようにすることもきまった。静岡県では,御殿場の北東にあたる小山町に,財団法人・富士霊園をもち,東京都内の墓地不足の解消に目をつけた。それに刺激されたのかどうか,山梨のほうは,スバル・一ライン沿い,高度1,200メートルのあたりに,富士聖苑の建設を計画している。
要するに,富士山を舞台にして,二つの県が陣とりごっこをはじめそうな勢いである。
「富士山麟総合開発委員会の発案は,私だったんだが,両県に気がねしながらでないと,どうも,ことがすすまない」
堀内社長は,高さ2,O00メートルのところで,鉢巻道路をつくり,スパル・ラインと冨士宮登山道をつなぐアイディアをもっている。しかし,それは夢のまた夢みたいなものであ
ることがわかった。両県ともに,登山者を相手の県に渡したがらない。鉢巻道路のように,おたがいのナワ張りをウヤムヤにする試みは,うけいれられる余地がないのだ。総合開発委員会は,暗礁にのりあげてしまった。
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