サブやんの気まぐれ調査研究

日本の里山は崩壊します。守るのは私たちです。行政主導の時代は終わり新たな取り組みが求められています。

白州を知る資料

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 この神宮川の水は直接サントリー工場内に勢いよく流れ込んでいる。この神宮川の水が濾過され飲料水になることは考えられないが、一抹の不安が残る。それは所々にある水門や、向かいっている先が「水工場」方面であるから。中に入って確認のしょうもないが、逆に言えば、サントリー何のために神宮川の水を取り入れているかが理解できない。花栽培などに使用していると思われる。この川の両岸は花崗岩の砂礫地帯であり、その中を滲み出る湧水が源流となるが、絶えず土砂が流れていて水はそれに揉まれる。この川の水は地元では飲料水には用いていなかった。

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○神宮川とサントリー取水口付近
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 現在富士川の源流として釜無川は位置づけられている。過去には釜無川は無くなって沿線の標識も「富士川」に変わった時代もある・南アルプスの鋸岳にその源流の標識を建てたこともあった。この川の上流は右岸が山梨県、左岸が長野県である。これは国界橋を渡ると両側とも山梨県となる。

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地下水はサントリーの独占物ではない。

水の大切さを知らないものは水で滅びる(中世の言葉より)

白州町の生活用水の歴史(「白州町誌」)

○水道の変遷
我が国の井戸の歴史は古く、弥生期ごろ圭言われている。そのころから農耕が始まり、かんがい用水を求めるために河川、湖沼から導入したり、土堰堤を築いて貯水するなどの技術が発達し、同時に生活用水を供給する役目を果していた。公共給水のため築造された水道の起源は明らかではたいが、安土桃山時代から江戸時代にかけてであろうと推測されている。
水道がない時代には各河川から水路(堰)をつくり飲料水に利用していた。勿論井戸水・湧水(泉)も利用していた。白州町内各集落では次のような水路(堰)が利用されていた。

大武川 ―まえ川、新泉の水
山口  ―大目沢の水
上教来石―宮沢川
下教来石―加久保沢、流れ川
鳥原  ―濁川(神宮川)、松山沢川
荒田  ―域の沢、松山沢川
松原  ―濁川(神宮川)
前沢  ―田沢川
竹宇  ―田沢川、尾白川
白須上 ―田沢川、濁川(神宮川)、雨ごい堰
白須下 ―雨ごい堰、しょてい(所帯)川、尾白川
台ヶ原 ―尾白川
花水  ―深沢川、釜無川
横手  ―宮沢川、さわがみ沢、横手堰
大坊  ―湯沢、横手堰、新田堰

○河川利用と伝染病

一度伝染病が流行すると、この用水を通じて蔓延したものである。この悩みをたくすため、井戸を堀さくし飲料水の確保につとめたが、どうしても井戸が得られない所もあり、ようやく共同井戸を堀って利用している地区もあった。

○鳥原地域の水利用
一例を鳥原集落にとってみると、一見水は豊富に恵まれている地区に思われるが、集落中央を流れる用水は、飲料水とかんがい用水に使われ、水田に水が使われる時期になるとそれこそ水の分配に大騒ぎとなる。雨が降って用水の水が濁っていても一家の主婦は朝早く起きて飲料水の確保にやっきとたる。
農の最盛期には飲料水にこと欠くときがしばしばあるという現状を考え、当時の渡辺喜久治区長らが先頭にたって、当局に陳情したり、区有林等から財源を確保し、昭和二十九年(1954)十月十日簡易水道の認可申請が行なわれたのが白州町の水道の始めであった。
以後各集落は水道の設置に努力したので、各集落にそれぞれ水道がひかれ飲料水は勿論生活改善にも大きた影響を与えた。
鳥原集落の人が如何に熱意をもって水道設置に努力したか左に記す「趣意書」でもうかがえる。
○ 鳥原集落水道設置趣意書

西に重なる連山の麓に東西傾斜に位置して、狭隘たれども愛耕せる農地を眺めるとき、往時より稍恵的農山村でありしやの本区であつたとも思惟されるが、国道を離れること九百メートル、古くより道作(みちつくり)と称し、歳々の行事とし来るも、今日尚山道に等しくまた往大神の池水、陣場の溜池、伏之木沢の引用水、或は区内数ケ所に弁水を求めて深さ十数メートル余を掘襲するも、なほ湧水なく一、二その残骸を残すのみ、この間飲用水使用上の注意の声は年を重ねて大きく叫ばれる。
これらの痕跡をみるにつけ、佳年交通不便と環境衛生の不備とに幾多吾等の祖先が苦悩し来りたるかを物語るものである。大東亜戦争(第二次世界大戦)敗戦直後より、文化建設という急速の流れに即応して、吾等の生活の向上文化生活の実現を計らんとするには、先にこれ等積年の難事を解決せねばならない、その機を与へられたのである。
昨年、昭和二十七年度道路改修促進の運動は、その成果をおさめ国道より福昌寺前まで
を三ケ年計画にて、県ならびに村の助成金とを合せ、年度内の着工とたり第一期工事は遂行された。
衛生不備の根源たる利水については、水道敷設の声となり、歳を重ねて高まるも、文化は農村財政を窮地に追い込みつつあり、財政的至難事として一時かえりみられなかつた。現況より共宥林立木の財源に俟つの外、術なきことに思惟するに至る。
たまたま、三ヶ村組合立中学校建設負担金を、先祖の残せる共有林石尊神社裏山・小鷹山一部等立木売却金を以て充当することに、一決せることに便乗して最少限度に本工事費にも一段の協力を希望してやまず、その配分金を得て、漸く吾等多年の宿望に十の曙光を求め得たるも歴史的木年の大凶作に遭遇し、その恐怖感は吾等の初志を挫かんとせしに区民等しく悲壮なる決所をなし、参百五十有余をくだらない利水の便の為また子々孫々の為一挙に本工完遂さすべく選進せるものなり。
想うに先祖の残せる財力は、永遠に光となって消えないでしょう。史上いまだ知らない大凶作は吾々に僅か三、四ヶ月の保有米を与へしのみ。この一大恐慌時に全長弐千有余米の本工事(詳細本工事設計書)五十日間に亘り、使役延人員七百有余人を以て、完遂の域に達せしめたる熱と力の結晶は、文化の遺産となって水の流れとともに永久に尽きないでしょう。<祖堂しるす>

○ 町内水道の歴史
経済的や衛生管理面を考えるとき町移管、町営の水道が妥当として、その運動がみのり● 菅原地区は昭和三十三年(1968)四月一日より(壊工時)、
● 大武川、横手、大坊(大坊の一部を除く)は昭和五十年(1975)四月一日
● 下教来石、鳥原、松原、荒田は昭和五十二年(1977)八月一日
● 上教来石・山口地区は昭和五十五年(1981)四月一日から町移管となった。


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