新!サブやんの気まぐれ調査研究

サブやんの気まぐれ調査研究の続編です

桧の話

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○サブやんのきまぐれ調査研究
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人と樹木  
(白州林産加工研究所 主宰 清水三郎)


1) 人と樹木のかかわり・古代〜中世

 人々はこの世に誕生して以来白然との共生や戦いの連続であった。その時折生きていくために樹木の木の実や木の葉も食用につかいその木を伐り家や生活用品を作り出した。また林地を開墾し畑をつくりまた時代が進むと稲作も始めた。水を使い、草を刈り取って暮らしをささえてきた。
現在の遺跡発掘では未確認であるが旧石器時代以前からも樹木は衣食住に渡り人間に寄与していたことは現在の山村の生活からも察しることができる。言い換えれば、樹木がなければ人々の文明の発達は無かったとも言える。また伴う利用文化の進化も展開もなかった。

 特に豊富な樹木資源に囲まれた目本人は山と木とのかかわりのかたの中で、時の権力を握る人々は生活の中で木の文化を最大限に生かした。
縄文時代の衣食住支えた樹木の使用勝手など自然の恵みえを最大限に活かした最たるもので、静岡県登呂遺跡や各地で出土している農耕や神事それに生活用品は樹木の使用勝手を現在に伝わる物作りの原点である。
私は新聞報道に誘われて奈良県橿原の展示会に行って「水の中に浮いた木製品(保存のため)」を見た。それは現代よりはるかに樹木の特徴を熟知したもので、時代を戻してその時代の生活が脳裏に浮かんだ。現在のように細部にわたった工作機械のない中での物作り作業は、人間の知恵と工夫の賜物であり、その時代の暮らしの中で森林や樹木は大きな役割を果たしながら、人間の乱開発とも思えるような使用例を黙認してきた。樹木は開発地の極端の開発は周囲の環境変化にも及び、やがて人々は樹木を植え種を撒き植林地となって人工林となる。現在一般的に天然林といわれる中にはこうした歴史の中での植林地も含まれている。言い換えれば里山や山人の生活地にはほとんど天然林は無かったともいえる。
 
朝廷における宮廷建築や人間生活の大半を支える樹木は、周囲の山林は良木から切り払われていった。そして残った木材はさまざまな人たちにより、葉一枚まで使用された。縄文時代の生活が良く判る青森県の三内丸山遺跡や古代建築物には栗の大木が使われていて、この栗は日本木材の中で腐り難い木の代表であり、縄文時代には木材知識としてそうした認識が既にあったとも考えられる。そしてこの栗の特徴は現在でも受け継がれ、一部の家屋の土台として活用されている。

2) 木と人の関わりの歴史資料

 木と人の関わりを歴史資料から見てみよう。朝廷は乱伐や乱用が繰り返されたために、平安時代の初めにあたる延暦17年(788)につぎのような禁令を出した。

 「山川藪沢(そうたく)の利は公私共にすべし。しばしば占兼を禁じたが、今なお寺や王臣や豪民などは憲法をはばからず独り利潤を貪り、広く山野を併包して細民の柴草を採ることをを禁ずるばかりでなく、所持する鎌や斧を奪うものもある。今後は官賜専買(かんしせんばい)を問わず一切の山野は公収し、利用は公私共にすべし」

豪族などが山野を独占することを厳しく戒め、奪った土地は没収するというこの類の禁令はしばしば発せられている。これは国司などにもいえて、各種の詔が発布されている。これは遡る大和時代の大化元年645)から平安時代の延喜2年(902)までの約260年間に10回以上を数えた。

3) 森林を領有する公権と、利用する住民の私権

 このように森林を領有する公権と、利用する住民の私権が共存する関係から、森林は私的の対象でなく公物であるから、その利用も同じにすべきであるという考え方、公私共利説」は.長い間森林利用権の所在を示す、中で、林政の基本に座してきた。
今日でもこの思想は根強く生きてい令一方では土地の生産論として、近世には「尽地力説」が現れた。
土地は万物を生ずるものであるから、山林、川沢、丘陵、小高い所、原野の中からよく生ずるもの選り出せば、人々の役に立ち国の利となるとする考え方である。
地カを尽くすとは地カを収奪することではなく、地力維持しながら適地適産によって最も多くの利潤を挙げることができ、国富もまた増進するというのである。この思想を実践に移した為政者は少なくないが、歴史を紐解き朝廷の触れ書などを見ると私利私欲に走る国司を諌めたり罰則強化に努めていたことがわかる。
江戸開発時代以後、度重なる拡大と火災などで木材の利用は急速に進み、地域では乱伐も認められる。明治初期にヨーロツバの林学が入ってきたが、その影響を受けて林政の基となる新た考えとして「地木結合説」が唱えられた。それは地力を智、適応した資本・労カを投ずることが荒廃を防ぎながら生産を続ける基礎となると考え、地位に応じて樹種を選び、土地の生産力をよく理解して、その土地に適した育林することが、森林の性質に似合った利用方法であり、林業の得失はこの土地と樹木の結合良否によって定まるとしている。
以後わが国のこうした方法で進められてきた。
この保全.生産の両立をはかるという構造は、この地木結合の考え方の上に成り立っている。明治〜大正年代に、「森林経営の基本目的は優良木材の永続的生産でその基礎を確立すべきである」とする説もある。一方では治山と治水のほうが大切で、それに見合った森林作りが重要であるとの考えもあり、当時の国情からは前者の「経営林説」に軍配があがって、以後は国有林、市町村有林、私有林などの経営管理の方針はいずれもこの考え方に基づいて進められるようになった。
経営林説の特徴は、
(1)林業の基本がスギ(杉)、ヒノキ(桧)などの用材生産すること
(2)毎年必ず収益を得られるように伐つたら植えること。
したがって国有林でも市町村有林や私有林でも、スギやヒノキを植えて、毎年収益を図るようにしてきたが、これらの実践の中では、地域住民が林野を利用できる古くからの慣行(入会権)はなどは時代の流れの中では次第に否定されていった。やがて外国相手の戦争が勃発すると、「木材供出」というな名の下で、地域の優良木材は伐られていった。

4) 森林の荒廃と経営森林

やがて大戦も終了して、森林の荒廃が目立つようになりその中で、昭和三十年代後半ころからの高度経済成長期には、産業としての林業の確立に努める国策にのって企業経営が目立ち始め各地に社有林の計画生産も始まった。収益をあげて企業として成り立った林業経営にすることに力がそそがれ、具体的にはスギ、ヒノキの用材を生産し、青林業の経済性を高めることがの目標とされた。そのためには森林を伐るために育て、伐ることによって収益を上げることが森林の大きな役目となっていた。
これは経営森林が公益性、災害を防ぐ働きを殺ぐものではないとの趣旨で「経済性と公益性は調和する」という考え方が生まれた。このような「調和論」は「伐る」ことを正当化しようとした当時の願望が生んだものといえる。
しかしその対象の森林の中では、乱伐がすすんで環境は破壊され、荒廃も確実に進んでいった。その結果あらためて「伐る」ことと「伐らない」こととの関係をどう考えるかが間題になってきた。経営林説が広く行きわたった背景には、明治以来の主要な考え方、「生産第一義説」があった。
これは木材、それもスギ、ヒノキなどの大材、用材を生産する(伐る)ことを森林の働きの主なものとし、風や砂をとめ、水を貯え、森林を保全する(伐らない)などの公益を従とする考え方で、しかも生産を優先させても合理的在伐採を前提としている限り、環境保全の役割を減少させることにはならないとしたのであった。


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