新!サブやんの気まぐれ調査研究

サブやんの気まぐれ調査研究の続編です

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5)環境保全森林とその理想(「生産.保全両立説」)

今日の林政論の特徴は環境保全に森林が果たしている役割を重視し、「伐る」ことと「伐らない」ことで果たす森林の二つの働きはどちらも主要であると説くことにある。
生産と保全の二つの機能は等価値であり、したがって両立をはかることに現代における林政の在り方があるというこの考え方が「生産.保全両立説」である。林政はいまや二つの中心をもって展開していると考えられるようになった。「二点林政」とか「楕円林政」とかいわれるものである。このようにして森林資源のとらえ方も変わっている。スギ、ヒノキの針葉樹だけでなく、ケヤキ、シオジなどの広葉樹、シイタケ、ナメコの原木、パルプ用材樹種などの生産資源としてはもちろんのこと、さらに保全林業の重要性が高くなるにつれて、水を養い、緑を保ち、風を防ぎ、砂をとめ、洪水から護るなど環境資源としての森林資源の取り扱い方が考えられている

6)国が駄目にする治山治水

日本の林業を支える林野庁は本来自主経営であり、売ることによって経営成立が基本であり、多くの天然林を伐りはらい販売、そこへ針葉樹の植林を繰り返してきた。得の優良な遺産的な森林の多くも無差別伐採の時期もあり、このあたりから国の森林経営管理の行き過ぎが目立ち各地で争いが頻発した。その後は木材流通の低迷時には木の生産事業はなりを潜めて、保育の目的として林業における、「生産」や「治山治水」どちらにも適さない、「切捨て間伐」などが主流となってこれは現在でも続き、二酸化炭素吸収と放出の観点からは大問題になることは必死である。またこのころから「目先林業」「行き当たりばったり林政」が目立ち始め、大型機械導入などにより狭い民有林などは大きく傷つけられている。
これからの林業は、生産と保全の各種目的にそった森林の取り扱いにより、森林の働きを最高度に向上させ、人間の生き洪いと豊かさを約束するところに目標を定めるべきであるが、作業を賄う事業体には事業費取得が第一であり、現在でも事業費のための施業が続いている。これが日本の森林育成には大きな障害となっている。育てることの大切さはある面では「経営森林」から生まれるもので、保護からは利益が生まれないに日本独特の林業が横たわっている。
明治の初期に大材生産主義が推し進めて以来、森林資源といえばアカマツ・スギ、ヒノキ・カラマツなどごく限られた有用樹種だけを指すのが普通となった。これらの樹種については根の働きから生長のメカニズム、生産の方法や利用の形態まで実に細かく研究がすすめられたが、他の樹種については全くと言ってよいほど無視されてきた。これはあくまでも国側から見たもので、民間では許される配意で最大限の活用があった。それは生活の大半が雑木林の恩恵を受けていたからである。

7)理想林と現実林

実際に成木した林地を見れば、ある面では適地適種ではなく、土壌や林地地層などの基本的な上に成り立っていない植林地が多く見られ、これは現在でも続き、そこに苗があるから植えるのであり、幼木の間は持つが、やがて成木になると急傾斜地などでは倒木や土砂災害の要因ともなっている。現在の皆伐採桧植林などは決して将来優良木材生産など望めない、事業消化直林となっている地域があまりにも多い。「経営森林」「治山森林」のどちらにも該当しない「事業森林」の続出は今後の日本の森林への大きな憂いとなることは間違いない。

8)森林理想論

しかし国が進めてきた数種の針葉樹だけに限られた森林資源観に代わり、現在ではケヤキやシナノキ、ブナ、クヌギ、ナラなどの広葉樹はもとより、枝、葉、樹皮、樹実、花をはじめ、ウルシ、マツヤニなどの抽出成分、シイタケ、ナメコ、ワラビ、ゼンマイ、オウレンなどのキノコや山菜など、森林から生産されるものすべてが森林資源ではないかとする考え方が広まってきている。林産物だけでなく、水も石も土も、林間に放牧される牛も、谷川に育つイワナ、ヤマメも、樹間に飛び交う小鳥もすべてこれ森林資源で在いかという考え方すらも生まれている。そして森林が内にもつすべての自然の利を人間が最高度に享受できるような森林資源の管理、生産方法の発見が期待されている。

9)国政では日本森林の将来は無い

しかし林野庁の考えの基本が「事業体保護」であるかぎり無理である。それは林野庁もの各都県の林業経営は厳しく多額な負債の中にあり、民間なら倒産している経営実態が大きな障害となっている。各都県の負債と林野庁の負債は天文学的な数字で、これが要因で、基本的な林政ができない状況になっている。大幅な組織改革や機構改革それに民営化も視野に入れた林政が求められる。現在でも表装は国民向けの「ボランテイア」「企業」参加、それに「○○森」などは国民の目を他に向けさえる政治手法であり、「分収林」に見られるような、目先の無い中での杜撰な施策からは、同胞保護援助事業ばかりが目立ち、その考えや施策立案頭脳はすでに限界にきていることは明らかである。そして事業のために治山治水を亡失した林政展開が現在の姿である。

9)「森林文化論」の始頭

一書によれば、
昭和50年代(1975〜)になって「森林文化」に関する研究の必要性が広く求められるようになった。歴吏をふりかえると古代ギリシャの時代から「人間は万物の尺度である」との思想が広く行きわたり、人間が自然を克服することが文明の発展であると信じられてきた。「人間の幸せは自然を支配する人間の知恵を確立することによってもたらされる」とした近代科学は、華やかな機械文明を創り上げてきた。しかし、現代では文明の所産である機械が自然に対立し、白然を破壊し、それを創り出した人間をもその支配下に置こうとしている。荒廃した白然を前にし、また殺伐とした人間精神の現状を前にして、人間の豊かさ、幸せがあらためて問われるようにたっている。では、どうすれば再び人間らしい生活を営み、生きる喜びを人間の手にとりもどすことができるのだろうか。こうした疑間の中から自然と人間との一体的な関係の創造添あらためて求められてきたのである。白然を代表するものは山河と草木である。森林と人間とのかかわりは、太古の昔から地球上どこでも密接であった。多くの文化が両者の交流の中から生まれてきた。この森林文化を生かすことは、自然や環境の意義を正しく把握することであり、自然と人間との交渉の中で組み立てられた「生の構造」を現代に適合した形で創り上げることとたる。自然と人間との一体的な関係の上に築かれた真の人間文化をいま創り上げねばならない。こうした思想「森林文化論」が拾頭してきたのが現代である。

10)放置林の増加

これははるかな理想論である。決して実現できないことでもある。こうした思想や理想は国側のいつも繰り広げられる論で、本来なら農林水産省の枠をこえての取り組みが求められる。たとえば限りなく続く日本の道路建設、確かに便利になってはいるが、森林状況をみれば、寸断された林地は、切り立った斜面造成地の上に取り残された森林、林地へ行けない遮断道路、枯れ果て倒木予備軍、工事による疲弊森林、それに現在の日本森林を冒す「竹」の問題など枚挙に暇が無い。都会や田舎の見る人のいない限界森林の増加など、林野庁などまったく無関心である。効率と採算だけ求めると、それ以外のことは疎かになるのが常である。


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