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反骨百年
北富士の農民たち(漢数字を一部訂正)
御料地編入と下戻しのたたかい 福島達夫氏著
(「歴史地理研究」岩崎学術出版社 145 昭和43年発行)
福島達夫氏yahoo検索
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農民営林を開始
全国的に燃えひろがっていた下京し運動が、今日その多くが終息していったなかで、北富士の農民たちが、そのたたかいを今日に継承しているのであるが、その分かれ目は、下戻し運動が多くの場合地主層の指導下に入っていくときに、北富士の場合にはそのような階層によるたたかいの分裂がはとんどなかったこととともに、取りあげられた山野を地元の生産地として確保するたたかいがあったことに注目しなければならない。
山野の引戻し運動は、めどもなく続けられていくなかで、″盗伐〃横行し、層理が放置されていくならば、山野は荒れていく。山があれていくことは、地元住民の生活をますます不安に追いこんでいくし、引戻す対象である山野を荒すことは、住民の財産を荒すことでもあった。北富士の人たちは″盗伐″という″囲い込みへの抵抗″のほかに、入会団体を組織し、山を自分の財産として保護・育成に手がけることにした。たとえ御料林という制限された枠のなかではあっても、そこに地元民が割りこんで、自主的に山林事業を行なうことである。それは地元民が、とりあげられた山を、実質的に生産の場として利潤し、地元民のほうへ山を引きつけるたたかいであった。
明治25年12月、中野・忍野・明見・瑞穂・福地の五村の入会村〔今の富士吉田市・中野村・忍野村)は入会団体連合会を結成した。この連合会は「富士入会地並に梨ケ原共有地の管理方法及び其の他各村連合にて協議を要するのに必要あるときは連合会を開き議決する」ことを決め、十二条からなる規約書をつくった。その″其の他″のなかには、下戻し運動が含まれ、後にこの運動を強力に推進する機関として、この連合会は大きな役割をはたした。
明治26年8月28日午後四時、五村からそれぞれ二名の代表は福地村(今の富士吉田市)役場に集まり、「富士山御料地旧上吉田村外十ケ村(当時の五村)入会地を民有に引戻の義其の筋に出願する」ことを決議した。出願委員は各村二名、甲府へ、静岡へ、東京へ請願に出ることになった。その日、日当40銭、旅費は甲府行60践、静岡行70銭、東京行は汽車賃の外に80銭ということも決めている。
この連合会は明治29年3月29日、御料局静岡支庁長の認可を得て、衛料地入会団体に改組された。その団体規約書は第十七条からなり、第二章監護では七力条の細かな徹料地内立入りの規制、監護を定め、第三章の賦課徴集について六力条を定めている。
この御料地入会団体が明治30年2月「福地村外四ケ村剣丸尾外二十一字御料地拝借部分林植付願」を提出することを議決し、翌31年2月に正式に出願、31年になって借地を受け植林し、また開墾した。この植林事業の開始こそ、北富士のたたかいを根強くすることになり、そのたたかいの力は生産の場の確保と結びついてつくられていくことになった。またこの入会団体は『入会御料地保護規定』 『入会組合徹料林払下樹木伐採心得』 『入会勧料地副産物採取心得』等を定めた。いずれも山をまもり、山を育てる地元住民の対策であった。
さらに、この山林事業の経営を本格化するため、明治33年1月関係五力村の村長は「富士御料地入会団体並に組合林共有地に関する事務を協同処弁する為め町村制第百拾六条により組合設立」の認可を山梨県南都留郡長に願い出て、同年3月13日に同郡長より組合設立を許可された。ここに入会組合は地方公共団体としての役場を完備し、入会団体と組合林に関する事業を担当することになった。
このような山野の自主的な経営事業の着手が″盗伐″を減少させていった。しかも植えた木が育てば育つほど、地元住民の山への愛情はふかまり、山への渇望は絶えることはなかった。
当時、全国的に依然として下京し運動は展開していた。明治31年には福島県山野引戻期成同盟会、青森県下の下北郡森林原野特別処前願同盟会などが結成され、地方議会でも下戻請願建議が多数提出されていた。これらの下戻し運動は明治32年4月『国有土地森林原野下戻法』を公布させることになった。御料地については33年『衛料地及立木竹下付規定』を公布し、下戻しを受けつけた。
この規定が公布されるや直ちに北富士の入会組合は下戻しの諸準備をととのえ、33年8月8日、五力村の村長が連署して『御料地下戻願』を宮内大臣に提出した。その願には
「江戸時代入会村は富士山山年頁といって幕府へ永銭を直接上納し、入会各村は山野の保護育成に努めてきた。しかし、明治9年1月の地租改正事務局議定山林原野官民有区別処分法第一条か第二条によって当然民有となるところ、第三条を適用して官有地とした。この決定に関係人民は大いに驚き、所有権の取得に奔走尽力したが、その筋は古来の旧慣はそのまま踏襲し、すこしも民業に支障をあたえないから安心せよとの再参の説論を信頼して、強くその権利を争わなくなってしまった。しかし、幾ばくもなく林区署の管理下に、また御料局の管理下に移り、その管理の方法や払下の手続などすこぶる綿密、繁雑で容易に払下げてくれないし、払下料金も年々増加して人民の負担は大きくなってきた。そこで、関係人民はますます不便を感じ、これまでの慣習で山野を自分の所得と自認しているので、人民はひそかに伐刈して罪をうけるもの年々その跡をたたない」とこう述べ、つぎのように結んでいる。
「其情誠に怒察すべきもの有之候問改租当時の情状を酌量し無代価を以て土地草木を挙げて関係人民に御下戻成下度此段奉願候也」
明治34年6月17日には入会団体組合は、再び宮内大臣あてに『衛料地下附願』を提出した。しかし『国有土地森林原野下戻法』は北富士や全国の下戻しを求める人々の期待を実現する法律ではなく、政府の国有林経営の基礎を確立するための捨石的法律であり、下戻し運動に対する「明治政府の勝利」(古島前掲書74頁)であった。しかも、この法律によって下戻しを申請するには、証拠書類を収集するための出費、長期の出訴に多額の費用を要した。ことに入会地の下戻は難かしく、この法律によって入会地の官汲はかえって決定的となった。しかし、全国の下戻し運動は持続し、明治39年松岡農商務大臣は「往々にして徽細なる違反事件を摘発して刑法上の処分を求め、往々にして人民をして、その措置の苛酷を怨嗟せしめ、終に人民をして野火を傍観せしめ、甚しきは火を山林に放つに至らしむ」と大林区著長会議で訓示したほどであった。
明治39年6月、宮内大臣は『入会御料地特売規定』を令達した。「入会御料地中立木簡少の林地及百町未満の点在地は相当代価で入会成体に払下ぐ」という内容で、これまた直ちに北富士の人たちも翌40年6月、山梨県下入会勧料地特売規定第一条に該当する21カ所の地所を払下げるよう願い出た。その相当代価1万9366円3銭と算定した。北富士以外でも、山梨県の出願数は2492件に及び、その合計見込面積は16万余町歩に達したが、貯治44年3月に申請の許可があった面積は僅かに9百町歩にしか過ぎず、再度北富士の人たちの手もとに山は帰ってこなかったのであった。
この措置も、ひとつの衡料地のふるい分けであった。下戻しされなかった山は、いっそう御料林として確定した。
明治42年3月16日、帝室林野管理局甲府支庁谷村出張所長他二名が入会組合を訪ね協議を申し入れた。谷村出張所良二瓶貞次郎が申入れた案件は「帝室林野局が営林事業を行なう施業内地の森林の木は年毎払下げるが伐採した跡地の入会権を放棄すること、しかしそのかわり施業地以外の現無立木地のうち2千町歩を向う120ケ年植林地として無料貸下げる」というものであった。組合側議員の出席者は11名、午後3時から5時40分まで協議し、つぎのように決した。
「本件に就ては各村会に謀り尚部落団体民の意嚮を徽し、来る4月15日迄に何等の挨拶を致す」
そしてこの会議の記録をとり、議員の前で朗読し、その正当であることを証明するため著名捺印した。
4月5日、午後3時、組合議員13名、それに私利の代表二名が出席して、谷村出張所の申入れについて協議した。その模様をつぎのように記録し、これも出席者が署名捺印した。
「本件は満場数刻協議に捗りたるも、各打出張所長要求条件に対しては将来本団体民の生活維持せざる結果を生ずるに就き、団体一般同所長の要求に応ずること不能の意簡なるにより従前の通りに入会棒を保有し置く事に決す。議長は之に於て本会の要旨終了したるを以て閉会を宜せり。時午後4時50分。」
この谷村出張所長の申入れは、帝室林野局が営林事業を着手するためのものであった。そのために入会権の放棄を地元民に懇願した。ここでは、懇願の立場がそれまでと転倒している。また入会権の放棄を求めたということ自体が、それだけ強く帝室林野局が、「入会権のあ頂ことを認めての措置」としてその後の下戻し運動の証拠ともなった。
そして明治42年衡料地部分林設定が許可され、組合は「入会御料地組合部分林植栽に関する事業要領」を作成、造林計画をたてた。その造林計画面積2千町歩、うち5百余町歩は43年に造林に着手、その他の残り部分は以後引続き植栽し明治49年完了の予定とした。このころ植えられた木々は、今日成木して森をなしている。またその一部は日本のその後の歴史の犠牲にされた。しかし、その木のなかをながれる樹液のように、北富士のたたかいの血は地元の人たちへ体をながれつづけた。
参考資料 北富士闘争
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%CB%CC%C9%D9%BB%CE%C6%AE%C1%E8&ei=euc-jp&fr=usf&x=20&y=17
山梨県明野最終処分場闘争
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv3-ybb&p=%E6%98%8E%E9%87%8E%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%87%A6%E5%88%86%E5%A0%B4%E9%97%98%E4%BA%89&ei=UTF-8
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