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国会中継を今見ている。難解の言葉や数字が並ぶ。農林水産省や林野庁の言葉の中に「高齢者になり担い手が無くなる」言葉がよく見える。これは農業・林業「担い手を無くならした」のは行政にも一端の責任がある。私も多少農業をまねてみたが、これは難しい、ジャガイモひとつとってもいえる。
国会の質疑応答から私たちのような林業者や農業者がどう潤うのであろうか。これまで実施してきた大型生産田畑改良工事などまったく生産工場であり情緒も景観もまったくないもので、それについてそれが日本にとってどれだけの損失か誰も話し合わない。殺風景な農村環境を作り出したとえそれが生産的には優秀であっても、それだけを追求してみても、他の関係とか相乗効果は生まれない。これまで農村の家は富山の散居に見られるように、家の周囲には家森があり、田畑に囲まれていた。そこだけで生産と消費ができるようになっていた。また農家と林家は同じ世帯であり、冬季と夏季の人力労力を使い分けて生きてきた。たとえば米つくりであっても、何でも機械化して大型農場にするばかりでは政治とはいえない。現在でも多くある「千枚田」のような風景はそれだけで人々に安らぎと歴史景観を届ける。林業も農業も担い手不足を招いたのが民衆のせいにするだけの行政であってはならない。「生産工場化」する農地や林地を見るたびに多くの財産を消失している現状を国会でも論じて、機械生産ばかりでなく、人が手をかける農業も林業も残す必要がある。
技術の進化はとどまらない。高齢者が安心して取り組める農業や林業の研究開発も求められる。
農業と林業を切り離した結果、その接点の土地などまったく解放区で荒れ放題である。
折りしもそうした中で「明野処分場」問題で行政も揺らいでいる。ここも農地である。低地でなく高地へのこうした施設は地域住民にとって不安が高まるのは自然である。
「山の話が国会で」
民社党の質問 雇用問題
林業就労についてミスマッチにつて
答え 林野庁 まったく机上の空論
質問 間伐について 協会調査について
境界明確化のための調査資料
答え 農林大臣
実行率が高い
林業構造・木材価格安定
<私も写真つきで質問したい>
質問 花粉症について 杉の伐採
答え 林野庁の答え 広葉樹に植え替える。苗木の調達確保
苗木の生産と環境整備
お寒い討議である。大切なのは毎年花粉症対策で伐採され杉の木の行方は現在まったく見通しが無い。それは市場が低迷している。結局多くの林地では山に積み残されることになる。杉の辺材は腐食が早く空間を設けて保管しないと数年で二酸化炭素の放出源になる。こうしたことを質問側も不勉強で、答える林野庁も答えを持たない。「闇」の世界である。他県ならともかく山梨県の流通過程はまったく先行きが見えず好転の兆しはない。そうした中で山積する木材は喘いでいる。
あ〜あ国会などまったくつまらない。状況把握のない論議は時間の無駄遣いでであり、仕事を休んで見るほどの価値もない。仕事に戻ろう。
<明野廃棄物最終処分場をめぐる経過>
<「山梨日日新聞」 (2009・5・21>
1993年2月ごろ
廃棄物最終処分場を、1県内5圏域に順次開設する方針を固める
1994年7月
浅尾区が処分場に「条件付き賛成」を決議
8月までに地元8地区が条件付き賛成・容認
9月 処分場予定地が浅尾区に決定
2000年
11月 事業団か反対派住民8人を相手に、測量妨害禁止の仮処分を申請
12月 反対派住民約1400人が、県と事業知を相手に処分場の建設差し止めの仮処分を申請
2002年3月 甲府地裁か建設差し止めの申し立てを却下
5月 県が処分場の埋め立て規模を約2割縮小する見直し計画を発表
2003年
2月 知事選で山本栄彦氏が初当選
村長選で反対瀬の篠原真清氏が初当選
4月 山本知事と換庶村長が初の対話
2004年
4月 峡北地区最終処分場整備検討委員会を約10年ぶりに再開、建設候補地の実質的な再選定か始まる
2005年
5月 浅尾区以外に3カ所の新侯補地が浮上
10月 検討垂が新候補地3カ所も含めた中から浅尾区を建設予定地に選定
12月 県ヽ北杜市、事業団の3者間で処分場にかかる基本協定書締結、埋め立て規模の3割縮小に合意
2006年
6月 県、北杜市、事業団が公害防止協定締結 事業団が処分場敷直許可の変更を申請
9月 県が事業団に処分場の変要許可証を交付
10月 造成工事に着手
2007年
1月 知事選で構内正明氏が初当選
3月 処分場本体工事に着手
12月●次期処分場虚数地に笛吹市境川町上寺尾区が決定
2008年
5月 事業団が廃棄物受け入れ料金と、最終的に1800万円の黒字化を目指す収支計画を策定
2009年
3月 処分場本体工事か完了
5月 「県環境整備センター」として開所
明野処分場開所反対派住民抗議の座り込み
怒号・にらみ合い一時間
根深い県への不信感
<「山梨日日新聞」 (2009・5・21>
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