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間伐と樹種転換(赤松皆伐採、桧植林)植林「林業白書」を読む
自然林であれ人工林であれ、それは終局的には人間との共生であり、人間への自然資源の提供である。したがって人間の自然親臨管理がいつの時代も適切であることが望まれる。またそれは人的不純物を除いて適切に森林を見つめる目も必要となる。林野庁で出している「林業白書」にはそうした行政の苦悩と苛立ちまでも編入されている。
<割注>
I 森林のもつ多面的機能の持続的な発揮に向けた整備と保全(平成20年度「林業白書」)
1 「美しい森林(もり)づくり推進国民運動」の展開
我が国の3分の2を占める森林は、地球温暖化の防止や国土の保全、水源のかん養、生物多様性の保全などの多面的な機能を有しており、このような機能の持続的な発揮に向け、森林を適切に整備・保全する「美しい森林(もり)づくり」を進めていくことが必要である。<割注―これは希望と期待論>
具体的には、関係閣僚会合で決定した基本方針に基づき、官民一体となって幅広い国民の理解と協力の下「美しい森林(もり)づくり推進国民運動」を展開することにより、木材利用を通じた適切な森林整備、森林を支える活き活きとした担い手・地域づくり、都市住民・企業等幅広い森林づくりへの参画などの取組を総合的に推進する。
<割注>これは目標から実施で、これは積年林野庁が唱えていることでその進捗状況が芳しくないことが裏面にあると思われる。この「美しい森づくり」が大切である。しかし林野庁はこれを国民運動や企業参加、ボランテイア活動と結びつける観点がずれている。なぜかといえば現在森林作業に当っているのは林野庁や行政周辺事業体であり、国民の参加など本来の森林作りには概して影響は少ない。森林の行政と国民との関係は国の健全育成と国民の適切な利用で結ばれる。林政の大きな間違いは生育過程にはさまざまな施策はつくっても、国民が木材利用手段を構築しないことにある。私は常に国民の手に国産材を提唱して数十年そのために奔走してきた。たとえば日本全国に設置されている「道の駅」や「農産物直売所」は最近ではヒット施策である。しかし大量の木材を山地に寝かせながら林政は、企業や事業体それの最近ではNPO参加を急速化させ、一向に国民利用活用ための市場開放ができない。本来なら地域の山林所有者は農業と同じで、自らの山林産物が直接販売できることが望ましい。木材の活用利用には事業・企業サイドと国民に直接販売があっても不思議ではない。多くの間伐や企業不用木材でも国民は利用する能力を持っている。森林機能を正常に保ち、山林所有者が潤う産地にするには、育成段階の国民参加でなく育った樹木の活用も国民に図る「トータル林業」が求められる。また多額な補助金を出している事業体や企業の国民に向けての啓発や普及活動は単発的で継続性を持たない。山梨県など私は個人的に30年くらい続けているが、いまだに被補助事業以外の積極的な取り組みは持たない。このあたり林野庁のもっとも遅れているところで、「求めるものは国民」「与えるものは取り巻き」の図式からは日本森林の正常化は生まれない。
国民と森林の関係をよく表しているのは、白書の次によく出ている。
国民参加の森林づくり等の推進(「林業白書」)
森林・林業及び木材の利用に関して、広く国民の理解を得つつ、森林整備を社会全体で支えていくという気運を醸成していくことが重要であることから、植樹祭等のイベント等を通じた普及啓発活動や森林ボランティア活動への支援等を通じて「国民参加の森林づくり」を推進する。
<割注>国民にどう木材を提供するかが何も無い、国民利用型の典型的な考えである。森林整備をしたら国民そこから利用できるものは開放・無償提供するくらいの施策が望まれる。
森林事業がいかに国民の求めるものと格差を生じているかは、現在の機械森林作業がよくあらわしている。こればど森林破壊で、国民の目にどう映っているかなどまったく無化関係であり、「美しい森づくり国民運動」など「美しい森づくり林野庁内運動」の展開が求められる。林野庁自ら「100年先の森林」を見据えるとある。
多様で健全な森林への誘導に向けた効率的・効果的な整備として「林業白書」
多様で健全な森林整備や国土保全等を推進し、「美しい森林(もり)づくり」を進める。
具体的には、100年先の森林の姿を見据え、間伐等の保育を適切に実施するとともに、広葉樹林化、針広混交林化、長伐期化等の多様な森林づくりを推進する。
また、国民の理解の醸成と参画を促進し、地域を挙げた森林所有者への働きかけを行うほか、今後整備が進まない箇所においては公的主体による森林整備等を推進する。
<割注>であるなら写真のような事業は有り得ないはずである。
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