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山本勘助に関係あるという「市川文書」を大枚かけて購入するという。それは観光目的なのか。山梨県史にとって必要なのか。歴史家の見識か。不思議でならない。
私は数年かけて山本勘助の研究を続けてきたが、「市川文書」文中の「カンスケ」が山本勘助であるような歴史的事実は見えない。それは文中の相手「市川藤若」なる人物は市川家家系や他の文書にはまったく見えない人物であり、唐突にこの文書に現れる人物である。それが山梨県の歴史家はこれが絶対的な揺ぎ無い史実のように伝える姿勢は間違っている。今後の研究は必要であろうが、勘助の史実と伝説を混在している歴史展開のこと。これは貴重な文書というより「県立博物館」の援助の窮余の一策ともとられる。私はそれより崩壊しそうな国や県の文化財の総点検や修復など肝心なことは田にあると考える。
山本「勘助」にまつわる書状など91点
「市川文書」県教育委員会
重文指定めざし調査研究(山梨日日新聞社 2009・5・2)
県教委は二十七日、「架空の人物」読もあった武田信玄の軍師・山本勘助(菅助)とみられる人物が登場する書状をはじめ、北信濃を支配していた豪族「市河家」に伝えられていた古文書「市河家文書」計九十一点を購入すると発表した。市河家は戦国時代に武田上杉両家に仕えており、県教委学術文化財課は「室町、戦国時代の甲信越地方の政治情勢や甲斐国出身の豪族の盛衰を知る上で貴重な史料」としている。
「市河家」は平安・鎌倉時代に甲斐国市河荘(昭和町、中央市、市川三郷町)を本拠地としたと考えられている。鎌倉時代に信濃に移り、越後との国境を中心に勢力を持っていた。史料は北海道釧路市在住の個人から購入。価格については「個人からの購入のため非公表」(同課)だが、関係者によると約二千万円とみられるという。菅助の実在を証明する中世の文書のほか、小笠原、武田、上杉家から送られた古文書から成る。書状は信玄(晴信)が「市河藤著」にあてた内容で、信玄と上杉謙
信が川中島合戦を繰り広げていた一五五七(弘治三)年に書かれたものとみられる。藤若の働きによって上杉勢が退散したという戦況を述べた後、山本菅助を使者として送り、詳細を伝えさせるという内容が明記されている。信玄の花押(署名)もある。
六月初旬の購入を予定しており、県立博物館のはか、武田家や上杉家にかかわる史料を収蔵する県外の博物館との共同企画展などで展示する方針。県教委は「県指定文化財への指定に向けて薫蒸や調査研究を行い、重要文化財への指定を目指したい」(同課)としている。
市川文書の調査報告
http://sky.geocities.jp/yamamotokannsuke2003/
http://sky.geocities.jp/sigennkaihatu23/index.html
http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/itikawamonnjyo
http://www.geocities.jp/kamanasigawa62jp/index.html
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