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《水涸れの川》《参考資料:『ブナの放流』・「森は地球のお医者さん」宮下正次氏著》(一部加筆)
群馬県の上野村は、1985年(昭和60年)に村内の山中(御巣鷹の尾根に日航機が墜落したことで有名だが、村を流れる神流川流域でも激しい水涸れがおこっている。
昔、道路もなかった時代に、御用材を江戸に運び出す手段は豊富な水に頼るしかなかった。太さ1メートルもあるケヤキを「鉄砲堰」という堰をつくって、そこに水を溜めて一気に水門を抜いて次の堰まで流す。その作業を下流へむけて次々にくり返して丸太を運んだ。地元の古老に聞いてみると、「水量は昔と比べると一割ほどに激減した」と話している。今の水量でどのくらいの丸太が流せますかと聞いたら、「同じことをやっても太さ30センチの丸太も流れないだろう」と話してくれた。
また、若い頃、川には河童がいるといわれ、青々と深い淵は「河童淵」と呼ばれ、怖くて近づけなかったという。そこには豊かな水量と、50センチを超えるイワナもたくさんいたという。
この山は天然美林の宝庫で、面積6500ヘクタールにおよぶ大森林でもあった。そこは今ではあまり見られなくなったシオジをはじめとして、イヌブナやサワグルミ、トチ、.セン、カツラなどの巨木でおおわれる原生林だった。
『高崎営林署101年の歴史』という記録によれば、この本谷国有林は、明治時代にクリやケヤキ、その他広葉樹などの伐採が行われ、それは「中林作業」と呼ばれていた。
大正時代に入ると、抜き伐りをして親木を残し、その親木が種を落として自然状態で更新してゆく方法(「択伐天然下種更新」)が行われた。
《「皆伐新植」》
昭和時代になると、全部伐採して植えるという「皆伐新植」に変わった。
保護林はこの時「森林植物帯研究上有益である」として一部分残された。
その面積は481ヘクタール、材積は11万4000立方メートルにおよんだ。
しかしこの保護林も大増伐の中で解除され伐採されてしまった。「当時の保護林は本谷国有林のシオジ林の中で一番みごとな林が保護林として設定されていた。シオジは太さ1メートルを超え、樹高は30メートルを下らなかった。これほどみごとなシオジの天然美林は他では見ることができなかった。伐採後は一斉にカラマツが植林されている」という。古老は現在の川について「細々とした流れにかわり、淵は土砂で埋まり、当時の面影はない」と語ってくれた。
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