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明治時代の金原明善(資料『インストラクター教本』)
治山治水事業に貢献した1人として、明治時代の金原明善を挙げることができる。静岡県天竜川の治水事業および治山治水造林に半生を捧げた明善の特色は、治山治水という公共事業と、林業・林産業という経済事業の両面を視点にいれて、地土或振興のための杜会資本投資を行ったという点である。従って、明善は単なる思想家あるいは公共事業家というだけではなく、優れた企業家でもあった。
天竜川は、農産物、木材など重要商品物流の大動脈として流域地方にはなくてはならない存在であった。しかし、天竜川はたびたび氾濫し、大洪水は多くの人々を苦しめていたのである。明善は、天竜川の治水事業に私費を投じて取り組んだ後、天竜川上流地域の造林事業に着手した。治山治水の根本は、上流の山に森林をつくること。それが明善の信念であり、それを自ら実践しようとしたのである。技師を吉野林業地やドイッに派遣し、造林技術を学び、合理的な施業方法を取り入れた大規模な人工造林を行ったのである。
中でも十年余りの年月をかけて成し遂げたのが天竜川流域の瀬尻山の造林である。1898年、スギ250万本、ヒノキ40万本、面積にしておよそ900haの人工造林を天竜111流域に育つ人工林は、現代の天竜林業地を支える森林資源を完成させた。
また、明善は製材業や木材の鉄道輸送会杜を設立した。これによって、造林と木材加工事業および輸送が連携した林業・林産業の生産基盤が築かれたのである。天竜川流域の林家に合理的な林業経営を啓蒙普及し、大勢の人々が人工造林に取り組むきっかけを明善は作ったのである。自らの力だけでは、広大な地域の造林を成し遂げることは不可能であり、大勢の人々の人工造林への意欲をかき立てる意味で、造林・製材・輸送の三位一体の基盤づくりは大きな意味をもつのである。それは、後の林業地としての発展の基礎を築くことにもなった。
明善は、自ら経営する金融業の資金力をもとに、こうした事業を行っており、長期的投資であると同時に社会還元事業でもあった。時の明治政府は、まだ財政力が弱く、造林や鉄道建設など公共的な事業を十分に行えるほどの余裕はなかった。そうした中で、民間資本により、公共性と営利性を兼ね併せた造林投資を行ったのが明善である。
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