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四季の自然 神のいたずら(『青洲』第299号 2月号 黒沢良彦氏著)一部加筆
男と女を自由に産み分けるようにするのは、人間にとっては長い間の夢ですが、未だに果すことが出来ません。ところが、神様のなさることは誠に不公平なもので、こんなことは或る種の昆虫ではとうの昔にやり遂げてしまっています。社会性の蜂類、例えば、蜜蜂、スズメバチ、アシナガバチ、蟻など、それに蜘虫(アリマキ類)や白蟻がそうです。
その方法は昆虫の種類によって多少異りますが、アシナガバチを例にとれば次の様になります。
アシナガバチの雄と雌は秋に交尾を済ませ、
雄は間もなく死んでしまい、
雌は雄からもらった精子を貯精嚢と云う袋に貯めこんで
適当な隠れ場所を探して冬の眠りにつきます。
翌春眠りから覚めた雌は巣を作って卵を産みますが、
卵は貯精嚢の口を緩めて受精させてから産みつけられます。
生れて来た子蜂は、母蜂一匹では働きが足りないので、
全部栄餐が足りなくて出来る不完全な雌、即ち働き蜂になってしまいます。
やがて多くの働き蜂は働き出すので、糞も大きくなり、
子蜂の中から特別な栄養をとって育った雌蜂が生れて来ます。
夏も終りに近づき、雌(女王)は袋の中の精子も底をつき、
未受精卵をどんどん産み始めます。
この未受精卵から生れて来る蜂は全都雄になります。
この様に、蜂の雌は体の中にある貯精嚢の口を開閉するだけで白由に峨雄の卵を産み分けることが出来る訳ですが、
この場合貯精嚢の開閉に峨蜂の意志が加わることは絶対になく、常に本能匡よって左右されることに注意しなければなりません。
雄蜂は種族の傑存のために生れて来た様な哀れな存在で、一族の中では常に邪魔者扱いをされ、交尾以外に用のない存在です。
次には本当に神様のなさるいたずらについて書いてみましょう。
雌雄は本釆別々な筈の昆虫の中に一匹の虫でありながら、雄の特徴と雌の特徴が混り合って現われて来るものがあります。見事なものでは、雌雄で形や模様が全く異なる種類でありながら、一匹の虫の体の左右どちらか半分が雄で、他の半分が雌になります。雄の模様の中に一部分雌の模様が混るのが普通ですが、体は雄か雌のどちらかの場合が多く、体と趐(けつ)までが完全にはっきり左右異なるものはめったにありません。これは発生の始めに何かの間違いか、神様のいたずらで決められた雄と雌のモザイクが、毘虫には生殖腺ホルモンがないために、途中でどちらかの性に変ることなく、成虫にまで現れて来たもので、人間の場合は発膚の遇程で性ホルモンが分泌されますから、その作用で外観は男か女かのどちらかに似てきます。
昆虫のこの様な雌雄モザイクを私達は雌雄型と呼び、自然界ではめったにお目にかかることは出来ません。従って誤刷切手と同じ様に昆虫の蒐集家の問ではそれこそ目玉の飛び出る様な高値で売買されます。蒐集家の中には雌雄型ばかりを蒐めて得意になっている人もあり、写真(略)はアメリカの或る金持が持っているメキシコゾウカブトムシというメキシコ産の大きなカブトムシの一種の難雄型で、左が正常な雄、右が雌で、中が雌雄型です。全体として雌ですが、胸の左の角の部分と頭の半分が雄で、頭の角は左半分だけなので角のない右半分の雌型に引っぱられて右にねじ曲っています。一般に雌雄型は蝶に多く見られて甲虫には少ないので掲げてみました。
雌雄型は、余りに高値なので、にせ物を作って一儲けを企らむ者もありますので、左右完全に雌雄に分れているものは、注意しなければなりません。
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