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山梨県文学講座 『睦百韻』の小叙(二世来雪襲名披露記念集)
人見竹洞(幕府儒官)子、素堂を謂ていはく、
「素堂は誰ぞ、山口信章来雪なり」と。
かヽる古めきし名は当世知る人あらず。
来雪は前号也。ことし雅君忠久名あらため給ふる。
其旧号心つけて其高当乃価□(高蹈の価値)をしたひ行一歩にや。
むさし野の草の心かりよるとくりなきため山なりけり。
そや、この名を為したまふ倶老が詠じ奉るに、
笹のつゆ何のさわりやさぶらはん。
風雅を学ぷは風雅の徒、ただにつゝみし候して、長くこの有にあなひましませ。
来雪と聞へしは『長学集』によれる名とぞ。
于時宝暦万年第二申歳孟春吉
江東草々斎黒露(雁山)著
《解説》
この小集はごく身近な人で構成され、七吟百韻は、黒露・来雪’寒我・竹酔などであり、その他の多くは黒露の知友や門人であった。因に二世来雪は佐々木一徳で字は仲祐、名は忠久と云ったようであり、後に来雪庵三世素堂となる。二世素堂は誰なのかは、後述するが素堂の嫡孫とる山口素安が素堂没後素堂の親族である寺町百庵に譲ろうとしたが、百庵は固辞した為に空席のままであったと思われる。
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