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原発 間違って信じていること 打ち砕かれた「究極のエネルギー」幻想
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
しかし一九五〇年代後半の核融合ブームは、たちまち雲散霧消してしまった。楽観ムードばかりが先行し、超高温プラズマを安定的に閉じ込める手法の開拓が遅々として進まなかったのである。
第二の核融合ブームが到来するのはそれから十年余の冷却期間を経た、一九七〇年代前半代前半である。この時代になると、「トカマク」とうドーナツ状の容器(磁気容器)にプラズマを閉じ込め、加熱することにより、核融合炉への人力を上回る出力を取りだす(エネルギー収支をプラスに転ずる)ことができる可能性が、ほぼ確実視されるようになった。そこで核先進国は大型核融合装置の建設計画を練り上げ、一九七〇年代半ばまでに装置開発に着手した。
この時期に開発計画がスタートした代表的大型装置は、アメリカのTFTR(一九八二年運開)、ヨーロッパ連合のJET(一丸八三年運開)、日本原子力研究所のJT−60(一九八五年運開)の三台である。これらの大型装置を中間ステップとし、その次のステップで、「実用炉」に準ずるプラズマ加熱・閉じ込め性能をもつ核融合装置(いわゆる「実験炉」)を建設し、さらにそれに引き続き、数々の「炉工学技術」(炉材料技術、超伝導技術など)を順次、実用ることは間違いない。しかし非常に高価な電力しか生産しえないという決定的デメリットをかかえ、しかもそのデメリットを補うだけのメリット(資源面・環境面・用途面・安全面など)にも乏しいテクノロジーを、カネと時間を湯水のように使って開発することは、どう考えても「合理的」ではない。
核先進国の財政当局者たちは一九八〇年代までにそのことに気づき、核融合開発プロジェクトに対して消極姿勢を示すようになった。第二のブームは終焉したのである。
米・ソは事実上、単独の「実験炉」建設を放棄したと見られる。ヨーロッパ連合と日本はいまだに単独の建設計画の可能性を捨てていないが、風当たりは厳しくなりつつある。
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