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原発 暗転した実用化計画
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
核融合が実用的なエネルギー源の開発を指向するプロジェクトとして頭角をあらわしたのは、前述のごとく、一九六〇年代末である。それから先の十数年間、核融合予算はまさに指数関数的な急成長をみせることになる。核融合予算がピークに達するのは一九八二年度であり、その金額は五百三十七億円に達したのである。だがそれ以後、核融合予算は減少過程に入り、現在は三百億円余となっている。
一九八二年という年は、予算が頭打ちになったばかりでなく、核融合の実用化の見通しが大きく暗転した年でもある。一九七〇年代には核融合関係の官庁文書のなかで、核融合発電の「実用化目標時期」がつねに明示されていた。「第二段階計画」(一九七五年)では、西暦二〇〇〇年頃に「実証炉(商用炉第一号)」を完成させるというタイムテーブルが示されている(表2)。
ところがその後、「実用化目標時期」は加速度的に後退していった。そして一九八一年の報告書を最後として、「実用化目標時期」までのタイムテーブルはおろか、目標時期自体についてのコメントまでが、核融合関係の官庁文書から一斉に姿を消すのである。これは一九八〇年代初頭の段階ですでに、日本の原子力界において核融合への悲観論が強まっていたことをうかがわせるエピソードである。日本の核融合開発の「黄金時代」(第二次ブーム)は一九七〇
年代であり、八○年代を迎えるとともに核融合開発は「斜陽期」に入った、というのが筆者の見解である。
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