新!サブやんの気まぐれ調査研究

サブやんの気まぐれ調査研究の続編です

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(森林)保水力より。保土力に効果あり
林は水を溜める「自然のダム」ではない
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
森林問題において、酸素と並んで大誤解なのが水である。
 いわゆる「緑のダム」論である。森林は水を溜める、山に森林があると川の水が涸れないという考え方−それは山に入れば経験的に感じるものだし、現在の森林保護運動の根幹にもなっている考え方だ。
 だが、これも残念ながら間違っている。森林は水を溜めるどころか、水を消費して総量を減らしてしまうのだ。
 森林の役割としていわれることに水源涵養機能がある。森林の保水力ともいう。だが、私は昔から疑問を持っていた。その理由は極めて単純、無から有は作れないからだ。水は降水でしか得られないのに、森林がどこからか水を作り出すはずがない。
 それに森林生態学の大家・四手井綱英氏の著作に森林の水源涵養作用に否定的な見解があったことが決め手となった。簡単にいえば、森林も生物なのだから水を消費することはあっても、水を生み出すことはないという。
 私は、改めてこのテーマを調べてみることにした。
 この相反する意見は、実は昔からあったらしい。
  森林の土壌は、腐葉土などが多くふわふわしているのは誰でも知っている。落ち葉や落ち枝が分解され、土壌動物の活動や根が伸びることによって土壌内に空隙を作るからだ。ここに水を溜めることが水源涵養作用の重要な理屈だったはずだ。
 「土壌の多孔質化によって雨水貯留機能が高まるのは推測できますが、この効果が発揮されるのは中小の出水についてであり、大出水では効果は漸減します。むしろ豪雨に際しての森林の効用としては、大孔隙を通しての排水機能によって崩壊発生を防止している役割があることを評価すべきでしょう」
意外に多い森林からの「水分蒸発量」
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
水源涵養の思想を日本で体系づけたのは、江戸時代の岡山藩の儒者・熊沢蕃山である。彼は自著『集義外書』の中で「山に本草が繁茂していれば盛んに神気が起こり、渇水期にも雨が増加し、川の水を豊かにする」と述べている。
 しかし、皮肉なことに蕃山の地元である岡山の農民に、彼の見解と対立する意見があったことが明治の記録に見られる。岡山では雨量が少ないため溜池が多く造られていたが、農民は山の本が無くなれば川の水が増え、溜池にたくさん貯水できることを経験的に知っていた。山で本を伐ると、普段の川の水が減っても、雨が降った時に一気に水が流れるから短期間で溜池は満水になる、結果的に総水量は多くなる、というわけだ。
 この問題については、一九三三年の岡山県大旱航の際に、当時の森林測候所の気象部主任平田徳太郎と岡山県技師の山本徳三郎の間に論争が起きている。
 平田は、森林には水源山地の保水力を増し、河川の最低水位を高める効用があると説いたのに対して、山本が反論した。彼は、「森林は降雨遮断、蒸散による消費量が林冠による蒸発散抑制量より大きいため流出の絶対量は降雨量に比べてかなり減少する」「森林が成立して雨が増加し、ひいては流出量が多くなることはある特別の場合に限る」「利用に便利なように出てくれる水が増加すると、絶対流出量までが増加したかのように錯覚されがち」だというのだ。
 一体どちらが正しいのか。
 整理すると、森林が水を呼ぶという発想は、森があれば河川の水が涸れないという経験によっている。また禄地は水分が蒸発しやすいが、森林はそれを抑えるという理屈もある。森林には腐がかかり、空気中の水分を捕らえる効果も見込んでいた。
 しかし、実際の研究結果は違っている。「森林科学」第9号に「森林と水に関する研究動向」を発表している名古屋大学大気水圏科学研究所・福嵩義宏教授によると、
 「日本の気象条件下では森林からの蒸発散量は水面蒸発量の一〜一・五倍にも達しており、全国平均で水面蒸発量の約一・三倍になることは明確な推定法により確認されています。ほかの地核面に比べて森林は地面にとって最大の水消費者であり、水面蒸発量に匹敵あるいはそれを上回る値を大気に戻していることは今やあきらかとなっています。林地で蒸発散量が多い理由は蒸発散面である樹冠部は地表から高くて、かつその凹凸が大きいために、熱子不ルギーの動きが大きいから。また森林は雨後に枝葉や幹の表面にIミリ程度の水を溜めますが、これも蒸発を促進します」
 一方で森林に覆われた山から流れ出る川は、水が干上がることは少ない。逆に岩山などの川は、すぐ涸れてしまうのは事実だ。
 だが、いくつかの現地調査によって、一見涸れた川でも、その下には豊富な水が流れていることがわかってきた。
 森林のない山は、土砂を流出しやすく川床などに堆積する。この堆積物には大空隙が多くあり、流れる水はその間に取り込まれて伏流水となる。だから人の目には触れない。しかし、砂防ダムなどの下に行くと、渇水期でも水が流れている。水が無くなったわけではなかったのである。
林は水を溜める「自然のダム」ではない
 『「森を守れ」が森を殺す』田中敦夫氏著 藤森健二氏発行 株式会社洋泉社発行所 1996
 
森林問題において、酸素と並んで大誤解なのが水である。
 いわゆる「緑のダム」論である。森林は水を溜める、山に森林があると川の水が涸れないという考え方−それは山に入れば経験的に感じるものだし、現在の森林保護運動の根幹にもなっている考え方だ。
 だが、これも残念ながら間違っている。森林は水を溜めるどころか、水を消費して総量を減らしてしまうのだ。
 森林の役割としていわれることに水源涵養機能がある。森林の保水力ともいう。だが、私は昔から疑問を持っていた。その理由は極めて単純、無から有は作れないからだ。水は降水でしか得られないのに、森林がどこからか水を作り出すはずがない。
 それに森林生態学の大家・四手井綱英氏の著作に森林の水源涵養作用に否定的な見解があったことが決め手となった。簡単にいえば、森林も生物なのだから水を消費することはあっても、水を生み出すことはないという。
 私は、改めてこのテーマを調べてみることにした。
 この相反する意見は、実は昔からあったらしい。
 
「臨界プラズマ条件達成」という貧しい成果
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
 一九八七年十月、原研はJT−60が「臨界プラズマ条件の目標領域」に到達したと発表した。これは「第二段階計画」の主目標が達成されたことを意味するので、いよいよポストJT−60の「次期大型装置」(建設費は四千億円とも六千億円とも言われる。これはJT−60の建設賢二千億円の二〜三倍に相当する)の建設を主軸とする「第三
段階計画」の正式承認のためのお墨付きが得られたことになる。じっさい原子力委員会の「第七次長計」(八七年六月)にも、「次期大型装置は、我が国の核融合研究開発にとっては不可欠のものであり、JT−60に続きトカマク方式とし、JT−60の臨界プラズマ条件達成後に、その炉心プラズマの生成・制御等の評価を踏まえた研究開発を
開始する」との一節がある(傍点は引用者)。
原子力委員会のレベルでは事実上、「第三段階計画」に対するゴーサインが出されたと考えることもできる。
 しかし前述のように、「臨界プラズマ条件」というハードル自体、必ずクリアーできるようあらかじめ意図的に低く設定されたハードルに過ぎない。欧米の大型核融合装置(JETおよびTFTR)は最初から、そのような作為的なターゲットを掲げていない。しかも日本の原子力委員会のいうところの臨界プラズマ条件は、(T−nr)図上で極大値から極小値まで数倍の開きがある非常に広範囲の「目標領域」として示されており、本来の臨界プラズマ条件は、その極大値に近いところにある。
 しかもJT−60は、「目標領域」の極小値をクリアーした(しかもD−TプラズマやD−Dプラズマを実際に燃焼させない水素を用いたシミュレーション実験において)に過ぎない。
 JT−60計画がその目標を達成したとの原研の発表は、決して虚偽の発表ではない。だがJT−60の収めた成果は、必ずクリアーできるよう意図的にきわめて低く設定されたハードルを越えた、ということ以上の何ものをも意味しないのである。そのような貧しい成果を核融合の「科学的実証」であると自画自讃し、「第三段階計画」のお墨付きのように大々的に評価することは、常識人(たる筆者)からみて、相当に非常識な意図的プロパガンダのように思われてならない。「第三段階計画」の今後の成り行きを、注視してゆきたい。
原発 開発のための意図的プロパガンダ
「地球環境・読本』「別冊宝島101」掲載 吉岡斉氏著(九州大学教養学部助教授)
 
 核融合開発においても、原子炉開発の慣例がそのまま準用されてきた。核融合の実用化までのタイムテーブルが最初に描かれた官庁文書として、前述の、一九七五年の「第二段階計画」の付表がある。
 これは異様なタイムテーブルである。なぜなら、あるステップの装置が完成したのち、チェック・アンド・レビューを実施し、それに合格してはじめて、次のステップの装置の開発にゴーサインが出される、というのが「チェック・アンド・レビュー制度」の原則であるが、表2は、前のステップの装置の完成をまたずに次々と次世代の装置の設計・製作が開始される、というストーリーになっているからである。
 原子力委員会は「第二段階計画」の発表の際、「核融合研究開発の推進について」(七五年七月)という文書を公にした。そこには当委員会今世紀末ないし、来世紀初頭に核融合動力炉を実現することを究極の目的とし、そこに至るまでの研究目標を段階的に設定し、これを目指した研究開発を国として強力に推進すべきであると考える」との一節がある(傍点は引用者)。
 おそらく原子力委員会は、石油危機という当時の社会情勢を最大限に利用して、核融合開発の飛躍的スケールアップを図るために、意図的に非現実的な「実用化目標時期」を設定して、「核融合の実用化は間近である」との印象を国民(とくに財政当局者)に植えつけようとしたのであろう。ここでも原子力関係者の得意とする「意図的プロパガンダ」が顔をのぞかせている。そして、この文章の内容と何とか辻棲を合わせられるタイムテーブルを作成したら、表2のような「チェック・アンド・レビュー制度」の禁制を犯す異様なタイムテーブルになった、というのが事の真相であると思われる。
 ともあれ「第二段階計画」のタイムテーブルは、もともと非現実的なものであった。だから原子力委員会核融合会議(またはその分科会)がそれ以降に発表したタイムテーブルが、改訂されるたびに加速度的に「実用化目標時期」(実証炉の運開時期)を後退させていくのは、当初から予想された事態であった。
 とはいえ、核融合会議長期戦略レビュー委員会が一九八一年三月に発表した報告書−「自己点火条件の達成をめざして」という副題がついているーまでは、曲がりなりにも実用化までのタイムテーブルが示されていた。ところがそれを最後として、核融合会議の報告書にタイムテーブルが記載されることはなくなり、それ以外の官庁文書からも一九八二年以降一斉に、核融合のタイムテーブルは姿を消した。(ただし原研が一九七五より毎年刊行している『核
融合研究開発の現状』だけは、一九八八年版からタイムテーブルを復活させている。だがこれは研究所の生き残りのために何としても、傘下のナショナル・プロジェクトとしての核融合の生存と成長を図らねばならない、という原研の苦しい台所事情のあらわれではなかろうか)。
 日本の政策当局は一九八〇年代に入って、エネルギー問題に対する冷静なセンスを身につけ、核融合の実用化などという空論を、真面目に受け取らなくなったのであろう。石油ショックの嵐が収まり、その精神的後遺症も快癒に向かうにつれて、第二の核融合ブームもまた終焉したのである(ついでに言うと、第三次オイルショックが今世紀中に仮に到来しても、核融合開発に再び熱い政治的関心が向けられることはなかろう。

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