新!サブやんの気まぐれ調査研究

サブやんの気まぐれ調査研究の続編です

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複雑な問題なので多数のサイトがさまざまな視点の記事がある。

http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv3-ybb&p=%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C%E6%98%8E%E9%87%8E%E6%9C%80%E7%B5%82%E5%87%A6%E5%88%86%E5%A0%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C&ei=UTF-8

 明野ゴミ最終処理場について考える
 私は戦う人々は立派だと思う

官にたてつく庶民の行動は一揆とか暴動とか言葉のイメージは悪いが、考える立場によってその捉え方は違う。この分野を扱う行政部門は現在山梨県で懸案事項を抱えている部署で、特に最近の政府の馬鹿げた方針で実施される花粉症対策の「大量杉伐採」や逆効果も考えられる、「間伐」など山梨県の自然や森林に深刻な影響を与える森林作業の机上論の部署でもある。
山梨県では現在でも使用可能な木材が山地に棄てられている。これは持ち出す費用や持ち出しても流通に乗せられないからである。今度の花粉症対策の杉材伐採などは東京都石原知事の思いつきの事業で、生きるもの、森林そのものを「粗大ゴミ」「用棄物」と捉えている証拠である。こうした愚策を自慢そうに話す麻生総理大臣を現場を見せてやりたい。
 私も山梨県山林野を調査研究しているが、必要の少ない林道や観光道路用林道などの周辺には大量のゴミが散乱あるいは投棄されていて、その膨大な量は今度の処分場では収まらない状況である。また公共事業でも造成下部には大量のゴミが埋まっている現場も目にする。さらに深刻なのは工事造成地伐採の木材も埋められ沢地に放置されている。また大量の伐り捨て間伐材放置や、大型機械による森林事業は破壊事業ととれる地域もある。無造作に造成された地域への植林行為など将来のまったく見えない事業展開で、過去も未来も見えてこない。
 自ら木材粗大ゴミ放置事業を展開している山梨県が今回のようなゴミ処理の担当であることに危惧することは当然でもある。こうした問題の解決には「県民がどう考えているか」などの意識調査やアンケートを実施することも恐れてはならない。いつの時代も政治のつけを庶民に押し付けることは賢明とはいえない。
また私がこれまで強く指摘している「赤松虫害薬剤処理放置材」と「ビニール」の大量放置はいかに考えても行政のすべきことではない。また過去においては市町村単位での処分ゴミの埋立地も随所にある、中には公然と県有林内や国立公園内に積み重ねられている場所もある。
 大型伐採では多くの貴重な植物や動物の住処を失い、大量伐採で地下の水は流露を失い山地を彷徨う。
 こうした中での明野処分場担当部署であるから、いつも歯切れの悪い信憑性が見えないから住民に疑われる起因となっている。
 現在でも進む自然森林悪化の中枢行政は、地域のためでなく、中央官庁のくだらない奥行きの無い無策にも等しい林政展開に奔走する。言葉を最大限檄すれば「残飯林政処理班でもある。したがってその残飯木材が山梨県を覆っている。私は土砂崩れの取材に訪れ、通行可能な道を探していたとき、沢に大量の粗大ゴミや生活ゴミが棄てられている場所を見た。その膨大の量は言語を絶するものであった。
 森林ゴミ問題は真剣に考えるべきであるが、独自の予算をもてない山梨県では中央官庁と足並みを揃えて、執るに足らない事業をこれからも繰り返すことになる。
 明野のかたがたが町民のために、将来の子供のために戦う姿は行政とっては頭の痛い問題であるが、そこにはともに生きるために話し合う姿勢が大切で、行政理論と民衆理論の差を埋めておかないと今後のこうした事業への足枷ともなる。
 有史以来に日本では地域庶民の中央官庁への抗争が繰り返されてきた。一揆や暴動も多くあったが、視点を変えればこうしたことで日本の政治は保たれてきた。明野浅尾地域の人々の訴えを事業推進の邪魔と捉えず、進歩の糧であるくらいの賢明さをもって対応することが大切ではないのではなかろうか。

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 人間はどこへ行くのか
人類の誕生と文明の発達
<「子供と自然」河合雅雄氏著 岩波新書 1990発行>

人間は幸福を求める動物である。猫や犬も快適な環境を求めはするが、積極的に幸福を追求する行動をとることはない。長大な生物の進化史の中で営々として作られた生態系の、いわば予定調和のような均衡系の中で、すべての生物はあるがままの姿で暮らしているのである。もちろん、そこには見えない競争があり、ときには血みどろの闘争もある。食うものと食われるものとのはげしい争いの関係が、生物の世界の根底にはある。しかし一万、棲み分けという平和共存の方策も、その中から生み出され、生物世界を構築する原理として機能している。
 人間はいつごろから、積極的に幸福を追求しようとし始めたのか。それは長い人類史の中で、おそらくごく最近のことではないだろうか。人類がいつこの地球上に誕生したかは、定かでない。化石人類学や分子進化学などの最近の知見によれば、たぶん五〇〇万−六〇〇万年前に高等猿類から分かれ、ヒトとしての道を歩み始めたものと考えられる。初期人類の生活様式は狩猟採集であったが、約一万二〇〇〇年前に農業と牧畜という新しい生業が始まった。人類の歴史をかりに五〇〇万年とするならば、人類はそのうち約四九九万年は狩猟採集の生活を送ってきたのであって、農業と牧畜の生活はごく最近始まったことにすぎない。
 農業と牧畜の発明は、人類史の中でも際立った大きな革命的事件であった。このことによって、人類は自然を自らの手で改変することを覚え、人為による生産手段を獲得し、やがては自然を征服し管理する方向に向かったのである。そして、文明の発達によって、幸福を手に入れることができると信ずるようになった。
 科学的思考および自然科学という学問を手に入れることにより、人類は物質文明を発展させていったが、いつしか幸福は物質的に豊かになることによって獲得できる、という錯覚に陥ってしまった。わが国においても、第二次大戦後の惨澹たる疲弊を克服し、高度経済成長の後の科学技術の進展による物質文明の発達は、自を見張らされるばかりである。戦後の苦境の中で、
誰がこの豊かな状況を予想しえたであろうか。
 われわれを取り巻く環境は、あっというまに人工化し、急速に自然が破壊されてしまった。昭和三〇年頃までは、東京都の二三区内でもトンボヤカエル、バッタなどの野生小動物がけっこうたくさんすんでいた。ところが、三〇年から四〇年までの間に、それらはすっかり姿を消し、農村でも農薬の大量使用によって急速に動物たちは消滅してしまった。戦後生まれの人たちも、しばらくの間はセミやトンボ捕りに興じ川遊びや木登りに夢中になって、自然とたわむれた記憶をもっている。しかしそうした幼少年時代を支えていた環境が一挙に崩壊し、子どもたちは自然とのつきあいを断ちきられてしまうことになった。
 一昔前は、道路には子どもたちが群れていた。今は自動車が道路を占領し、子どもたちはそこからすっかり躯逐されて、家の中に閉じこめられてしまった。多くの子どもは小さな家で飼育され、学校では厳しい管理の下に画一的な教育で締めつけられている。そして、テレビやオーディオセット、ファミコンなどの電子器具に埋もれ、無機的な世界の中で密室文化に耽って
いる。まるでクモの巣にかかった蝶が、もがきながら体液を吸いとられていくように、子どもたちは過剰な情報の網目の中で、もがきながら精神を衰弱させていく。

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サブやんの気まぐれ調査研究その2
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